第一話 静かなる勝負

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第一話 静かなる勝負

 庸治とめぐるが同居することになったのはほんの数ヶ月前。今でこそ、このような関係だが、出会った頃の二人は闘志を燃やし合う仲だった。 ***  残暑で汗ばむ九月の夕方。夜勤明け後、睡眠をとっためぐるは高校生の頃から通っているスポーツジムにいた。地元に昔からあるジムで、最近改装工事を経て二階建ての大きな建物に変わった。一階は受付やフィットネス関係、二階は身体を鍛える為のマシーンが設備されている。ランニングマシーンが置いてある場所は、景色を楽しめるようにか、二階正面の一面ガラス張りの良いところだ。だが、もともと住宅街の離れにあった小さなジムであったため、都会のオシャレなジムとは違い、見える景色は住宅街とその奥の山のみ。晴れた日は緑が映えるが、今は夕方の霞でぼやけている。  上半身トレーニングを終えためぐるは、ランニングマシーンを稼働させた。いつも使用するのは横並びに10台ある内の真ん中のマシーン。これにはちゃんと意味がある。 ──ピピピ  隣の台から音がして、めぐるは筋肉を強ばらせた。右をちらりと見る。体格の良い男性がめぐるの隣のランニングマシーンに乗ってきたのだ。九台もあいているのに、わざわざ間を空けずに隣に来る人は珍しい。どんな男かもっとよく見ようと、腕で汗をぬぐう振りをして、めぐるは男を盗み見た。  地元のジムなのに見たことのない男だった。体格から若い男と思っていたが、男の口元には皺が寄っている。壮年と言うほどではない。しかし若人でないのは確かだ。その割に体つきはとてもよく、袖を肩までまくったシャツから伸びる上腕二頭筋は浅いお椀のように丸く綺麗な形だ。足も十分に鍛えられている。継続的に鍛えられているであろう筋肉にめぐるの闘争心がかきたてられる。  男がランニングマシーンの速度を上げる。めぐるも目視と感覚で同じ速度まで上げる。そして一人で勝手に勝負をするのだ。これがめぐるの楽しみだった。左右が確認できる真ん中に陣取り、見知らぬ相手と勝負をする。今日の相手は筋肉量や走るフォームからして、勝負の相手として申し分なかった。  10分、20分、時間をどんどん重ねていく。窓の外は夕日が沈み始めている。たいていここらへんで脱落していくのだが、今日の相手はまだ疲れを見せない。  気づけば1時間も走り続けていた。外は暗くなり、街灯がついた。それと同時に男の足が止まった。徐々にスピードを落とし、息を上げることもなくマシーンから下りた。そのままトレーニング室から出て行くのが、ガラスに反射して写っている。扉が閉まると、めぐるもランニングマシーンから下りた。 「はあ・・・・・・はあ・・・・・・」  呼吸が荒くなる。変わらぬスピード、そして時間、いつ終わるか分からない勝負に、いつもの高揚感は途中から消え去り、敗北の二文字が脳内をずっとよぎっていた。結果としてめぐるの方があとにランニングマシーンを下りた。しかし心は晴れない。あの男の涼しい顔が瞼の裏に貼りついている。 「はあ、はあ・・・・・・負けた」  脳内の文字を口に出す。悔しさが汗と共に吹き出る。勝手に始めた勝負でも、めぐるの性格上悔しくてたまらなかった。消防士として体力の自信もあり、この勝手な勝負で負けたこともなかった。敗北が浮かんでいた脳内に「驕り」の二文字が表れ、めぐるにさらなる悔しさを与えてくる。  またあの男と会えるだろうか。次こそは負けないと誓い、めぐるはまたランニングマシーンのボタンを押した。  これがめぐると庸治の初めての出会いだった。
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