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第五話 燃え上がる過去と恋心
めぐるが、消火活動中にガソリンをかけられる事件の翌日。庸治は、向井田に一本の連絡を入れた。
『悪い向井田、今日の勤務変わってくれないか?』
非番の向井田は、連絡を受け急いで出勤した。
「体調悪いんすか?」
「俺じゃない」
その言葉に、向井田は「おお」と小さく歓声を上げ、瞳を輝かせた。
「とうとう刑事に恋人っすか?! おめでとうございます! いくらでも変わってあげますよ! 俺も子どもの病気の時変わってもらってたんですから! どんな人なんですか?!」
二児の父親は、子どもの門出を祝うかのように、庸治の両手を握り腑抜けた笑みを浮かべている。
「普通の人だよ」
「刑事の筋肉もまるっと受け入れてくれる懐の深い人ですか?!」
「筋肉で応戦してくるようなやつだ」
「え? すご。いくつなんですかその人。刑事の筋肉に抵抗するってかなり若い女のボディービルダーとかじゃないと……」
「25だったかな」
「待ってください、達川刑事っていくつですっけ?」
「俺は今年で42だ」
「すごい年の差マッチョカップルだ。まっ、なんにしても早く行ってやってください! 筋肉だって風邪ひきますから! あーん、とかしてあげてくださいね。それと、火照った体の彼女にエッチなことしないように」
ニヤニヤする節操のない向井田の額に刑事課長の沢田のデコピンがお見舞いされる。
「あほか向井田。平嶋だよ。今回の事件の被害者で、今、こいつの家にいるあの消防士だ」
「えー、騙された!」
「普通騙されないだろ」
沢田は、庸治に「早くいけ」と手で追い払う。
庸治は一礼すると、車に乗り込み、ハンドルに額を押し付ける。
「くそ。全身火だるまになった男にちょっかいなんてかけられるかよ」
大きなため息をもう一つ吐き、2人の住む家へ車を走らせた。
庸治のいなくなった刑事課では、向井田が窓の外から庸治の車を見つめていた。
「様子変じゃないすか? いつもなら俺のふざけた発言に否定しかいわないのに」
沢田が、もう一発デコピンをお見舞いする。
「おかしいに決まってるだろ。保護下においてるやつが自分の事件の被疑者に燃やされたんだぞ」
「結局、また逃がしちゃいましたしね」
「遠藤は、放火と逃走のプロだ。一筋縄じゃ捕まらん」
沢田は、遠藤の写真をデスクに放った。散らばった写真は防犯カメラに写った遠藤の姿ばかり。何十枚もあるのに、どれとして同じ服装は無い。不審人物の特徴である上下黒の姿はなく、どこにでも居そうな出で立ちで人に混ざっている。
沢田はその中の1枚を手に取る。放火現場に戻ってきた遠藤だった。野次馬の中に紛れ込んでいる彼は、驚いた表情の人々の隙間で満面の笑みを浮かべていた。
「あいつのせいで、何人焼け死んだか……必ず、しょっぴくぞ」
沢田ら、目を細め署を出る庸治の車を見送る。
署を出た庸治は、寄り道せずまっすぐ家に向かった。
めぐるの容態は酷かった。火傷こそ軽かったものの、庸治の家に戻るなり、高熱が出て、そのまま寝込んだのが深夜。朝になっても熱が下がらず、意識も朦朧としていた。沢田に状況を説明し、庸治は、めぐるのそばにつくことになった。
周りに注意して家に入る。
めぐるの部屋に行くと、まだ呼吸は荒かった。出勤前に額に貼った冷却シートは人肌よりも熱を持っている。
庸治が新しい冷却シートと氷枕を持って戻ってきたとき「父さん、母さん」と寝込んだ時から続く寝言が零れる。小さく呻き、涙が伝い、酸素を欲しがるように口を開けば、また両親を呼ぶ。
「お願いだ。まだ、こいつをつれていかないでくれ」
庸治は、めぐるの手を握りしめた。
「絶対に捕まえるから。頼む」
必死に祈る。神など信じていないが、今はこうするしかなかった。
「……よ、うじ……さん……」
掠れた声がして、庸治は顔を上げた。うっすらと目を開いためぐるが、庸治を見ている。
「目が覚めたか。どこか痛いところはないか」
「……左手が痛いです。ジクジクします」
「待ってろ。薬持ってくるから」
「待ってください。今、どうなってるんですか。俺、ここで何を……」
「今はそんなことより体を休めろ」
「消火活動に向かったところまでは覚えているんです。でも、そのあとが曖昧で」
「ちゃんとあとで説明する」
「……教えてください。でないと……また、嫌な夢をみてしまう」
めぐるの瞳から一気に涙が溢れる。庸治は、観念してベッドのそばに座った。
「現場で、誰かがお前にガソリンをかけて、体に引火した。すぐ長野隊員が消火した。よくできた後輩だな。そのあと病院に搬送されて火傷の手当てを受けてここに戻ってきんだが、熱が出て今は養生しているところだ」
「俺、本当に燃えたんですか?」
「ああ」
「そっか。てっきり、あの日のことを思い出しているもんだとばかり。ちょうど墓参りに後だったし。庸治さんに格好悪いところ見せちゃいましたね。現場にいましたよね。庸治さんの声が聞こえました。今も。庸治さんのおかげで、しっかり戻ってこれました」
「戻ってこれた?」
めぐるが、庸治に向けていた視線を逸らす。
「墓参りに行くと、どうしても火災のことを思い出して、嫌な夢を見るんです。あの日の音、炎の色、熱さも、両親の声も……あの日に連れ戻されたように……だから、墓参りの日は、必ず昼には戻ってくるようにしています。たいてい半日は、ぼーっとしてしまうので」
庸治は、墓参りからもどったあと、めぐるが自分のベッドで泣いていたのを思い出した。
「けど、庸治さんの声で戻ってこれました。ありがとうございます」
「何回でも呼んでやる」
めぐるは、嬉しそうに、しかし力なく笑うと「もう少し休みます」と再び目を閉じた
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