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完成したのどぐろの姿蒸しは、良い出来栄えとは言えなかった。めぐるは「これが、のどぐろの姿蒸しかあ」と複雑な表情で見つめていた。
庸治は、どうして米をといだのか、そしてのどぐろの姿蒸しを作りたがったのか聞かず、その様子を見守った。
「初めて見ました」
「俺もだ。見た目はともかく、味はどうだろうな」
「いただきましょう!」
手を合わせる男の手には包帯。そして、腫れた目元にうなされていた彼を思い出す。今夜は一緒に寝た方がいいかもしれないとすら思っていたのに、先ほどとんでもないことを聞いてしまい、庸治は一緒に寝るのを考え直していた。
「庸治さん?」
「悪い。考え事していた。食うか」
「……やっぱり、俺がゲイって知って嫌になりました?」
「それだけはない」
「本当ですか?」
「俺は嘘つかない」
「前に会社員って嘘ついたじゃないですか」
「ついてない。断定しなかっただろ」
「そうだけど」
「心配するな。本当になんとも思ってない。思っていたら今すぐ追い出す」
「……ありがとうございます」
酒蒸しにされたのどぐろに箸を入れると、身がほろりと崩れた。一口食べると仕上げにかけたポン酢と醤油のたれが口の中で海の幸とともに広がる。
「酒にあうだろな」
「飲みますか?」
「いや、今日はいい。これ、キノコ入れてもあうかもな」
「今度しましょう!」
「そうだな。今度は見た目もよく作ってみようか。俺もまだまだだな」
「そんなことないですよ。結局作れちゃうから庸治さんはすごいです。やっぱり庸治さんに欠点なんかないですよ」
「あるよ。見たことがないだけだ。仕事でミスもするし」
「消防士なのに燃えた俺なんてどうなるんですか」
「それは、お前のせいじゃないだろ。それと、その件もあとでゆっくり話そう」
「はい。それより庸治さんの仕事のミスってなんですか? 全然想像できない」
めぐるが、のどぐるの上にのった三つ葉を隅に寄せる。
「……職務命令違反をしたことがある」
「え?! 庸治さんが?!」
庸治は、めぐるが驚いているうちに、端に寄せられた三つ葉をめぐるの皿に入れた。
「ああ。若い頃にな」
「若い頃じゃないですか。今は?」
「その一度きりだ」
「ほら、欠点なんてない!」
「もう繰り返さないって決めたからな」
「怒られました?」
「しこたまな」
「どんな命令違反か聞いてもいいですか?」
「自分の職務の範疇を越えることをしてしまったんだよ。それ以上は職務上の秘密だ」
「あっ、庸治さんが「適材適所」ってよく言うのはそれですか?」
「正解」
「やった!」
めぐるが、三つ葉を庸治の皿に入れる。
「正解したので野菜は免除で」
「だめだ。ちゃんと食え」
「庸治さんと初めてご飯行ったとき、トマト食べて褒めてもらいましたよね」
「話を逸らすな」
「逸らしていません。もし食べたら、また褒めてくれますか?」
「いいぞ」
「……褒める代わりに、今晩一緒に寝てくれませんか?」
庸治は、戻そうとした三つ葉を自分の皿に落とした。
「……」
「襲いません。また夢を見るのが怖いんです」
「分かってるよ」
「だめですか」
「……一緒に寝ようか」
めぐるの表情が明るくなり、一口で三つ葉を口の中に放った。
「食べましたよ!」
「よくできました」
「皿、洗うんで」
「今日はだめだ」
「でも……唯一俺のできることだし」
「今お前にできることは、体を休めることだ」
「はーい」
「先に風呂に入ってこい」
「分かりました」
しばらくするとシャワーの音が豪快に聞こえる。ただの日課なのに、まるで情事の前のような緊張感に襲われる。
「せめて俺がゲイなのは隠さないとな」
庸治は、悩んだ挙句一緒に寝ると選択した自分を責めた。めぐるが傷つかないようにと、最もな言い訳をする自分の心がいつ本能に蝕まれるか予想がつかない。仕事のことを考えようと目を瞑るが、脳裏にはめぐるの眩しい笑顔がチラつく。
スマホをくるくるもてあそびながら唸る。そして、熱くなった機体をぎゅっと握ると、「仕方ない。苦肉の策だ」と言言い聞かせながらスマホのロックを解除し、電話のアイコンをタップした。
「もしもし沢田さん」
相手は刑事課長の沢田。
『おお達川か。平嶋はどうだった?』
「なんとか回復しました。これからどうしましょう。ガソリンの件の説明はしますか?」
『頼めるか? それと、被害届も出すように言ってくれ。嫌がっても誘導して欲しい』
「分かりました。あと、一ついいですか」
『なんだ』
「俺と同居している理由も伝えていいですか?」
『どうした急に。事件解決後じゃだめなのか』
「……本人の安全のために」
『なるほどな。確かに話した方が警護しやすいし、遠藤もここまで迫ってきている今、そっちの方が安全かもな』
庸治は、小さく息を吐いた。
『頼んだぞ。遠藤はまだ逃走中だ。今日は足取りも目撃情報も掴めなかった』
「了解です」
めぐるを燃やした遠藤という男はいまだ逃走中。庸治は、電話を切ると、静かになったシャワー室に視線をやった。
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