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めぐるは、シャワーで火照った顔をタオルで包み込んだ。
「好きだってバレたかな……」
つい男が好きだと言ってしまった。しかも筋肉好きのおまけつき。刑事の庸治なら自分も該当者だと気づきそうなものの、そのような素振りは感じられなかった。
脱衣場の外から声がする。
「大丈夫か?」
「は、はい!」
「気分悪くなってないか?」
「大丈夫です」
「風邪ひくから早く来い。火傷の薬塗るから包帯はするなよ」
めぐるは、下着も履かずにタオルを一枚巻いた状態で、リビングへ。庸治が「頼むから服は着てくれ」と片手で目を覆った。
「いや、これはそういう意味では!!」
慌てて手を振り訂正するとタオルが落ちかけ、急いで身なりを整えた。
「着ました」
病院で貰った薬を持つ庸治は、容器をソファーで弄っている。表情からは、めぐるに対する感情が全く読めない。
「早く来い。化膿するぞ」
「はい。お願いします」
たっぷり薬をとった太い指が、左手の上を滑る。塗られた箇所がどんどん熱を持つ。
「染みるか?」
「少し」
左手の甲は皮膚がただれている個所があり、一番火傷が酷かった。
「消防服のお陰でなんとかなりました」
「けど、痕が残るかもしれないだろ」
「女性ならあれですけど、男ですから。勲章ですよ。もしかしたら嫌がる人もいるかもしれませんけど」
「そんな男とは付き合うな。ちゃんとお前を大切にしてくれるやつと付き合え」
「庸治さんは優しいですね。素敵な女性が寄ってきそうです……あの……えーと……」
「……俺はいい男じゃねーよ。やめたほうがいい」
心を読まれた気がして、めぐるは手を引いた。
「まだ終わっていない」
「すみません」
「……」
庸治は、黙々と傷に薬を塗っている。静かな間がとても居心地を悪くする。
「終わったぞ。寝るか」
「俺、男が好きって言ったのに……一緒に寝てもいいですか?」
「……ああ」
庸治の寝室へいざ行くと、めぐるは動悸が収まらなくなった。どうにか理性を保とうと、かぶりをふり、庸治が、掛け布団をもう一枚運び込むのを見つめる。
セミダブルのベッドからはみ出た掛け布団。奥を勧められ、めぐるがもぞもぞと潜り込んだ。
大きな男が二人並ぶとかなり狭い。布団が隔てているのに、隣にいる庸治の微かな動きを強く意識してしまう。
「眠れそうか?」
「まったく」
「少し話そうか」
「はい」
「今回の火災、死人がでなくてよかったな」
「もう詳細伝わってるんですね」
「いや、消防士が無線で話す声を現場で聞いただけだ。「252なし」ってな」
「それ消防用語ですよ。よく知ってますね」
「一応、放火担当の刑事だからな。252、要救助者だろ」
「はい。警察用語には火災関係ありますか?」
「赤犬」
「赤犬? 赤い犬なんているんですか?」
「放火犯のことをそういうんだよ」
「何で犬なんですか?」
「炎の形がそう見えるからだそうだ。馬っぽくもみえるから赤馬ともいうな」
「へえ。賢くなりました。それより無線が聞こえたって、庸治さん、どうして消防車の近くにいたんですか?」
「隠れていた」
「え? 火災現場でかくれんぼしてたんですか?」
めぐるは、髪の毛をくしゃくしゃにされる。
「そんなわけねだろ」
「ですよね」
「事件がらみですよね。俺もガソリンかけられちゃったし。どこのどいつなんでしょう」
「めぐるにガソリンをかけた男は、遠藤という名前だ」
めぐるは、庸治の方へ身を乗り出す。
「分かった! 遠藤は赤犬ですね!」
「そうだ」
「炎の燃え方的にガソリンを使用した!」
「正解」
「そして、俺に罪をなすり付けるためにガソリンかけた! 俺、庸治さんに逮捕されちゃうんですか?」
「……最後に大きく外したな」
「でも、疑われてます?」
ぐしゃぐしゃになった髪の毛を庸治が優しくなでる。
「誰もめぐるを疑ってない。大丈夫だ」
めぐるは、胸を撫でおろしベッドに沈む。そして、ひりひりする左手を撫でた。
「よかった俺で。長野君とか狙われなくて」
「遠藤の狙いは最初からめぐるだった」
「え? 俺、どうして狙われているんですか?」
めぐるの問いに、庸治はすぐに「知りたいか?」と返事した。まさか教えてもらえると思わず、めぐるは勢いよく体を起こした。庸治も起き上がり、めぐるの前に胡坐をかいて座る。
「覚えてるか、初めてあったジム」
「はい。そういえばしばらく行っていませんね。俺、勘違いしましたよね。庸治さんが女性を強姦したって」
「そんなこともあったな。あの女も遠藤の仲間だ」
「消防署で写真見せてくれましたあの人が?」
「ああ」
「見覚えあるか聞かれたけど、やっぱり知らない人です。なのにどうして俺は、その女の仲間の遠藤に狙われているんですか?」
「……」
「庸治さん?」
「落ち着いてきいてほしい。嫌ならここでやめる」
「知りたいです」
「……」
「……」
「……あの女は、13年前、お前の家を燃やした犯人だ」
めぐるは、呼吸が止まった。
庸治が、「これ以上はやめとくか?」と言うが、めぐるは首を横に振った。
「うちの火災が放火だっていうのは知っていました。でも、無差別なものかと……」
「まだ学生だったお前のことを考慮して事実は伝えられなかった。めぐるの両親が亡くなった火災は、爆発物が仕掛けられ、逃げ場がなくなるよう仕組まれていた」
夢の中の爆発音が脳内に響き渡る。
「どうしてうちが狙われたんですか?」
「あの女は、めぐるの父親の会社の部下だった。父親によって横領がばれ、放火を生業とする殺し屋の遠藤に殺害を頼んだ」
映画やドラマのような設定。しかし、その登場人物は自分たちの家族。めぐるは、恐怖より、全てを知りたくて、庸治に続きを催促する。
「念には念を入れてたんだろう。遠藤は、家族全員の始末を頼まれた。放火は、見つかりにくくかつ広範囲で証拠を始末できる。しかし、遠藤は失敗した」
めぐるは、震えだす手を止められない。優しく庸治に手を包まれても、止めることができない。
「俺が生きていた」
「そうだ。頃合いを見計らってもう一度めぐるを狙うつもりだったんだろう」
「でも、13年も経っていますよ」
「すぐ狙えば足がつく。警察だって、しばらくめぐるを見張っていた。でも今は違う。お前は地元で消防士をしている。放火魔っていうのは、現場に戻ってくるんだ。何かのときにお前を見つけたんだろ」
「なるほど。それなら今になって狙われたのも納得いきます。あっ、俺のアパートがこの前燃えたのって!?」
「そうだ遠藤の仕業だ」
「それで、庸治さんもあそこにいたんですね。でも、ジムで庸治さんに会っててよかった。ホームレス一歩手前でしたから」
めぐるはふざけたように笑う。しかし、まっすぐこちらを見る庸治と目が合い。頭の中でかちりと何かがつながる音がした。
「……もしかして、俺が庸治さんの家に呼ばれた理由って」
「身辺警護だ」
「……」
めぐるは、一瞬目の前が真っ暗になる。偶然が必然だったと知り、勝手に燃え上がっていた恋心がどんどんしぼんでいく。
庸治の優しい行為は、仕事だったのだ。
「そっか……でも、そうですよね。すごくお人よしだと思いましたもん」
落胆した重たい声が、寝室に落ちていく。
「それは俺もだ。自分でもあり得ない提案だとおもったのに、迷いなく俺の家にきたから」
「だって、庸治さんが好きだったからッ」
めぐるは「あっ」と両手で口を覆った。おそるおそる庸治を見ると、感情を顔に出さない男の目は見開いていた。
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