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めぐるの告白で、庸治の心はかき乱されていた。告白をした本人は、やってしまったと目を潤ませている。自分が言葉に詰まっているこの時間が、めぐるにとってとんでもない地獄だと気づき、庸治は何か言おうと口を開くが、適した返答が見当たらない。最初に脳裏を掠めたのは「俺も男が好きだ」というカミングアウト。次に浮かんだのは「仕事に支障がでる」という最もな言い訳。
「……」
「……」
「……ちょっと待ってろ」
庸治は、掛け布団に潜りこんでしまっためぐるを残し、キッチンでコップに水を注いだ。
「何を迷ってんだ俺は」
最初に浮かんだ言葉は、めぐるに期待を持たせ、一線を越える甘い誘いになる。理性を欠きそうになった庸治の手を冷たい水が濡らし、急いで蛇口を閉める。
「俺なんて好きになるなよ」
一気に水を飲み干し、シンクにコップを置いた。今日のシンクには水垢が残っている。いつもなら気にしない汚れがとても気になる。同時に、短い同居期間で知っためぐるの幼い性格、苦手ながらも挑戦する姿勢、仕事に対する熱心さ、さらに喜ぶ笑顔を思い出し、庸治は胸が苦しくなった。
「庸治さん……」
か細い声がして振り向くと、大きな体が小さくなっている。キッチンに覗かせた顔は、しっぽの垂れた犬のようだ。
「困らせてごめんなさい」
庸治の庇護欲が刺激される弱々しい姿。好意を持たれるというのも久しぶりで、庸治は飛び出てこようとする本能を「仕事」という言葉で必死に抑え込んだ。
「寝るか」
声が震えていないか心配になる。「寝る」という言葉がここまで熱を帯びたのはいつぶりだろうと、庸治は口元を覆った。
「一緒でもいいですか? 何もしませんから」
「分かっている」
二人は、もう一度ベッドに戻った。庸治は必死で目を瞑り、睡魔を待った。薄く目を開けると、めぐるは告白のことなどなかったかのように小さく寝息を立てていた。
静かに体を起こし、安らかな寝顔を盗み見る。穏やかに眠ってくれたことが嬉しい反面、残念な気持ちが水中の気泡のようにぷっくり浮いて弾けた。
翌朝、大きく欠伸をして起きてきためぐるは、朝食の匂いにだらしなく微笑んでいた。
昨日のことが嘘のように感じる。
庸治は、仕事へ行くために着替えるめぐるのベルトを掴む。
「服を脱げ」
めぐるが、目を丸くして林檎のようになる。
「朝から大胆ですね」
「ち、が、う」
「ちぇ……」
「昼飯、作ってるからちゃんと食えよ。命狙われてんのに、出勤させると思ってんのか」
「俺、仕事に行けないんですか!?」
「遠藤が近くまで迫っている。最悪、引っ越しも検討しているところだ。職場には警察が連絡しているから安心しろ」
めぐるは唇を尖らせている。
「俺の生きがいなのに」
「死んだらもともこもないだろ」
「でも、俺が行けば助かる命があるかもしれない」
仕事に対する立派な姿勢を見せるめぐるに、「絶対家から出るな」と念を押して、庸治は出勤する。
マンションを出て外を見渡す。自転車に乗っている学生、犬の散歩をする老婆、早歩きで電話しているサラリーマン。駐車場に停めてある車はいつもと変わらない。路上駐車もいない。庸治は、自分の部屋があるあたりを見上げる。何も干されていないベランダから、ひょっこり顔が出てくる。
「あいつッ!」
自分の置かれている状況も理解せず、めぐるは庸治に手を振っている。もし遠藤がみていたら最悪なのに、一生懸命に手を振るめぐるを見ていると、庸治は頬が緩んでしまう。
あえて無視をし車に乗り込む。駐車場を出るときに、短くクラクションを鳴らした。
「もしかして、昨日の好きは、そういう意味じゃねーのか?」
自分が恥ずかしい勘違いをしているのかもしれないと庸治は羞恥心で体が痒くなる。
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