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石鹸の香りがする体をすんすんと嗅ぎながら頬を染める。このあと、どうなるのか予想がつかず、湯気のように頭の中は霞んでいた。庸治の性格を考えると一線を越えることはないかもしれないという諦めの陰から、熱を帯びた期待が見え隠れしている。経験がないめぐるには、気持ちを素直に伝えるのが精一杯だった。
ドアに耳をあてると、庸治が電話をしている声がする。その声が聞こえなくなり、顔だけ覗かせると「もういいぞ」と庸治が交代で浴室に入ってきた。
「勝手に部屋から出るなよ」
それだけ言うと、めぐるの葛藤も虚しく、庸治は浴室のドアを閉めた。
真新しいシーツに顔を擦って、答えのない悩みに自問自答している間に庸治は風呂を済ませて戻ってきた。濡れた髪は、見慣れているはずなのにいつもより艶めいて見える。ドライヤーをかけながら前髪をかき上げる手を見つめては、自分も触れてほしいと悶え、ベッドの上で大きな体を転がした。
「ちょっと落ち着け。本当に何もしないから」
「してもいいです」
「しねーよ」
強い口調の庸治を盗み見ると、口調のわりに目は細く色気を纏っていた。
ドライヤーを終えた庸治が、二つあるベッドのうち、めぐるがいない方に潜り込む。めぐるは、それをじっと眺める。
「流石に今日はだめだ」
「だめですか?」
「だめだ」
「俺は大丈夫ですよ」
「ゲイ同士が同じベッドにいるのは「大丈夫じゃない」だろ」
くるりと背中を向けた庸治。
「……」
「……」
「俺は身辺警護の仕事中だ。それを理解した上なら一緒に寝てもいい」
めぐるは、いきおいよく首を振り、庸治のベッドに潜り込む。
「庸治さんって、男の人と付き合ったことあるんですか?」
「あるぞ」
「今も?」
「今は本当にいない」
「……エッチなこともしたことあるんですか?」
「あるな」
めぐるが小さく声をあげる。
「めぐるはないのか?」
「ないです。実は男の人と付き合ったこともなくて。理想の筋肉に出会わなくて。どういう所で出会うんですか?」
「同じような人間が集まる場所があるんだよ」
「怖くてそういうところ行ったことないんですよね」
「連れてってやろうか」
「庸治さんが好きなので出会いなんて必要ありません」
「俺はやめとけ。あと、この話はここまでだ。変な気起こしたら大変だろ。仕事中だ仕事中」
庸治が大きく息を吐いた。
「ところで、どうしてそんなに筋肉が好きなんだ」
「火災から助けてもらったときに、俺を助けてくれた泉田さんという人がムキムキだったからです」
「……そうか。火災が原因なのか」
「どうかしましたか?」
「いや、何もない。めぐるがジムで鍛えてるのも、その人の影響なのか?」
「それは違います。この筋肉は仕事のためです。腕とかすごいですよ。触ります?」
めぐるは、力こぶを見せる。庸治が膨らんだ部分に指を這わせ、スッと肩の上に触れる。真ん中の三本の指が首元まで迫ろうとし、めぐるは、びくんと肩を震わせた。
「んッ!」
自分でも聞いたことのない甘い声。指はさっと離れていく。
「感じるなら触らせるな」
「ち、違います! 感じるなんて知らなくて! 俺、そういうことしたことないって言ってるじゃないですか! それに、そんな小細工できると思いますか?」
「できないな」
「そこまで断言しなくても」
「素直でいいと思うぞ」
「……」
めぐるは、頬を膨らませながら、庸治に体をくっつけた。
「もっと、触ってほしいです」
「素直になりすぎだろ」
「庸治さんは、俺みたいな男じゃ物足りませんか?」
「……」
「また黙る。肯定ってことでいいですか?」
「お前に遠藤のことを話したのは、俺の予防線だった。仕事であって下心じゃないとお互いに思い込ませたかった。けど、お前の俺に対する告白は、その予防線をはるかにこえてきた。俺は、めぐると一線を越えないと断言できない。人間、どこで判断が鈍るか分からないだろ。今のお前もそうだろ。色々なことが起こって、過去の真実を知って、自分が思う以上にメンタルが参っている」
めぐるの二度の失言を的確に推理される。
「確かに弱ってます。でも嘘はついていません。俺、さっきも言ったけど庸治さんが好きです! だから、一線超えてもいいです!」
「だめだ」
「どうして」
「俺と関係を持ったら、お前は今後、絶対に後悔する」
「身辺警護の相手だからですか?」
「違う。こればかりは詳しく言えない」
「俺、もう全部知りました。自分が狙われていることも、庸治さんが仕事で俺と一緒にいることも。それ以外にも何かあるんですか」
庸治が、ゆっくり頷く。
「教えてください」
「言えないんだ。言えることは一つだけ――」
──お前は、俺を恨むほど後悔する。
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