第五話 燃え上がる過去と恋心

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「おはようございます」  何も起こらなかったベッドでめぐるが目を覚ますと、既にベッドで独りになっていた。まだ5時を回ったばかりなのに、身支度を整える庸治は、結局何も教えてくれなかった。 「準備しろ。出るぞ」  二人は太陽が昇ってすぐにチェックアウトした。  いつもは、眠そうにしているめぐるも目がしっかりと開いている。 「どこに行くんですか?」 「今日は河島のホテルだ」 「地元に戻って大丈夫なんですか?」 「詳しく言うと、警察官がたくさん見張っている河島のホテルだ」 「とても安全そうです」 「完璧に安全とは言えないから部屋から出るなよ。何かあったら俺に連絡しろ」 「庸治さんも見張りですか?」 「午前中は署に戻る。午後からは俺も向かう予定だ。不安なら、同じ年位の警察官を部屋に呼ぶか?」 「そういうつもりで聞いたんじゃありません」  二人の間にむず痒い空気が流れる。庸治はそれに気づかぬふりをして、めぐるをホテルへ送り届けた。  出勤後、すぐに遠藤の動向を確認する。めぐるの居場所は知られていない。不安は拭えないが、ひとまず自分の家よりは、安全だと庸治は、デスクで天を仰いだ。  午後、見張りの交代の準備をしていると刑事課の内線電話が鳴った。内線をとった向井田が「達川刑事!」と声を響かせる。 「なんだ?」 「受付に平嶋君がきているそうです」  庸治は、すぐに立ち上がり、受付まで駆け足で向かう。  受付前の椅子には、めぐるが座っていた。 「めぐる!」 「あっ、庸治さん!」  告白がなかったかのようにめぐるは庸治に微笑んだ。これが好意からくる笑顔なのだと思うと複雑な気持ちになる。 「どうした? 何かあったのか?」 「いえ何もありませんよ。ちょっと相談があって。聞かれたくないので、場所変えてもいいですか?」 「待ってろ。どこか空き部屋探す」  開いている部屋にめぐるを通す。ただの机と椅子があるだけの部屋。グレーの床、白い壁。めぐるは、味気のない部屋を興味津々にぐるりと見渡している。 「とりあえず座れ。ホテルから出るなって言っただろ」 「すみません約束破って。でもここまではお巡りさんにつれてきてもらいました」 「で、どうしたんだ」 「俺にチャンスをくれませんか? 庸治さんにもう一度告白するチャンスを」 「その話は昨日終わっただろ。気持ちだけ受け取るって。それにお前は絶対に後悔する」 「もし後悔したとしても、庸治さんならいいです。俺はそれくらい庸治さんが好きなんです」 「筋肉抜いたらただの仕事ばかりしてる刑事だぞ」 「それでも庸治さんがいいです。筋肉以外の素敵なところたくさん知っていますから。料理に、几帳面なところに、やさしいところに――」  めぐるが庸治の長所をあげ始め、庸治はめぐるの口を手でふさいだ。ぷくりと膨らんだ唇が触れ、掌が熱を帯びてしまう。 「お前のそういう健気なところ、卑怯だぞ」 「褒められた」 「褒めてねえよ」 「話の続きなんですけど、俺、今は守られている身ですから、まずはそれをどうにかしようかなと思って」 「出ていくきじゃ……」 「いいえ。事件の解決の手伝いをしたいんです」  めぐるの表情が引き締まる。 「俺をおとりにして、遠藤を捕まえてください」 「だめだ」 「言うと思いました。でも、もう刑事課に連絡したんです。ホテルまで来てくれました」 「は?」  にこりと笑っためぐるが沢田の名刺を見せつけてくる。 「俺、本気です。庸治さんのお手伝いもしたいし、庸治さんと対等な関係で告白もしたい。庸治さんが何を隠してるか分からないけど、それでも俺はこの気持ちを捨てる気はありません」  子どもが自立していく気持ちとはこういうものなのかもしれないと庸治は思った。だが、内容はあまりに危険だ。  庸治は、一度刑事課に戻った。庸治の姿を見た沢田が「平嶋と話は終わったか?」と言い、後戻りが不可能であると悟る。  めぐるが待つ部屋に行く途中、庸治は沢田にいつもより低い声で尋ねた。 「おとり作戦をするって本気ですか?」 「ああ。遠藤が起こしたいくつかの事件はもうすぐ時効を迎える。悠長に捜査している暇はもうない。帳場を立てる準備も、もう始まっている」 「……」 「感情的だな」 「そういうわけでは……」 「お前の良さが消えている。もったいないぞ」 「大丈夫です」  そういうと、庸治はドアノブを勢いよく捻った。 「平嶋さん、ご協力感謝します」 「こちらこそ。知らない間に守ってもらっていたみたいで」 「達川は、ちゃんとしていましたか。家庭的な面を持っていない男には荷が重いと思っていたが」 「よくしてもらいました」  沢田の知らない庸治の一面を知っているめぐるは、思わず笑みがこぼれた。 「捜査本部の準備ができるまで、達川の話でもしましょうか」 「いや、それは勘弁してください」 「聞きたいです!」  めぐるは弾けるように言ったので、沢田は笑った。 「印象いいみたいだから下げとくか」  庸治は、諦めの溜息をつくと「帳場をたてる手伝いに行きます」と言って腰を上げた。 「達川」 「何でしょうか」 「もう、もったいないことするなよ」 「……はい」  庸治は、二人を残し、部屋を出た。  意味ありげな会話のあと、めぐるは沢田と二人きりになった。 「もったいないことってなんですか?」 「あいつ、熱意と正義感だけは人一倍でな。若い頃に命令違反したことがあってな。厳密に言えば違反しようとした訳じゃなく、結果的に違反になったんだけどな。おかげで、刑事になるのが遅かったんだ。素質あるのに、もったいない一件だった。俺も、あいつをしこたま怒ったさ」 「沢田さんだったんですね」 「ん? 何か言ったか?」 「いえ。こちらの話です。沢田さんは、そんな昔から庸治さんを知っているんですね」 「ああ。今でこそ冷静で淡々としているが、昔はがむしゃらな男だったよ。そのせいで違反したんだろうけど」 「その一回きりなんですよね」 「よく知ってるな。もしかして達川に聞いたのか」 「はい。少しだけ」 「俺の名言も聞いたか?」 「それは全く」 「なんだよあいつ。そこが一番いい話なのに」 「名言って何を言ったんですか?」 「警察官には警察官にしかできないことしなければいけいあことがある! 適材適所だ! ってな。いい言葉だろ?」  庸治が心に決めていることの出発点が見えた。そして、今の庸治を作り出したであろう沢田と言う男に、めぐるは微かに嫉妬を覚えた。  庸治の話で盛り上がるはずが、めぐるは、いらない感情を持て余し、その場は解散した。その後、沢田に捜査本部の会場まで連れていかれる。
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