誘い

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誘い

「例の事件について何か進展はあったんですか?もう時効まで残り僅かですが?」 警察署を取り巻く報道陣が矢面に立つ和装の男にこれでもかと罵声にも似た質問とフラッシュを浴びせる。 「ここ巻波谷で起こった連続失踪事件については目下捜査を継続中であります。時効まで1週間となりましたが我々巻波谷署の署員が一丸となって決死の操作を行っております。犯人は必ず逮捕致しますのでどうかご安心ください。」 和装の男はそのぼさぼさの頭を何度も掻きながらその舌足らずな口調で淡々と答える。その答えに業を煮やした報道陣の一人が怒鳴り声にも似た質問をぶつける。 「地域の住民に安心しろとこの状況で言えるのですか!?そもそもこの事件がここまで長引いているのはあなた方警察の初動捜査のミスが原因じゃないか!それに当時の捜査本部を仕切っていたのは署長貴方じゃないですか!ここ巻波谷では年に分かっているだけでも10数名の老若男女が消えている。もしかしたらそれ以上かもしれない、ここまで事態を大きくした原因の一因はまさしく警察にあると言っても過言ではない!署長である中村甘(かん)、貴方が事件を隠ぺいしこの事件を長引かせ事項に導こうとしているといった噂まで出回る始末だ。この一連の騒動の責任を取り辞任する意向はないのですか?」 記者の怒号にも署長の中村はあっけらかんとし、にやけ面をぶら下げたまま頭を掻いている。 「責任をと言われましてもね。この事件を解決することが責任を取ることだと私は考えております。 それにこの様な場で根も葉もない噂を引き合いに出され責任を取れと申されてもですね。 まぁ、進退に関してはこの事件が解決してからですな。さぁ、時間も時間なので私はこれで」 扇子を懐から取り出し飄々と仰ぎ髪をなびかせながら中村をゆったりとした足取りで署へと踵を返していく。彼の背に浴びせられる記者の怒号とフラッシュの渦をなんともせずに。 その生中継を署内の刑事課のソファーで煙草を燻らせながら見ていた男は鼻で笑いながら煙草の煙を勢いよく吐き出す。 「あのタコ助、あんな回答じゃ火に油注いでるようなものじゃねえか。それに必死になって走り回ってるのは俺らであってお前はクーラーの効いた署長室で一日中煙草付加してだけじゃねえか、ふざけやがって!」 そう言いながら男は吸っていた煙草を勢いよく灰皿へと押し付ける。その反動で山盛りになった吸い殻が何本かテーブルの上へと転げ落ちる。 「神保さん!そんな大声で言ったら聞こえちゃいますよ、もう署長上がってくるんですから。 はい、コーヒー」 そう言いながら神保の後ろから現れた背の低い優しい顔つきの男が小声で喋りながら神保にコーヒーを渡す。 「寺島ぁ!お前はコーヒー一杯入れるのに何分かかってるんだよ!」 そう言いながら神保は目の前に置かれていたスポーツ新聞を素早く掴み、寺島の頭へと見事な一撃を炸裂させる。寺島をいつもの事と形式だけの平謝りをし、叩かれた部分の髪と何故か自身がかけているメガネも整える。 「今給湯室が混んでてちょっとした渋滞になっているんですよ。なんせ署の前があの有様ですからね。緊急の用事がある者以外の署員の無用の外出を禁ずるとの上からのお達しですから」 愚痴と嫌味が混じった報告を神保にしながら、彼が座っている近くにある自分のデスクの椅子に腰を下ろす寺島。年期が入っているせいか動く度にキィキィと叫び声をあげるとてもやかましい椅子である。 「そんな言い訳はいいんだよ!まぁ、確かにこんなに署員が多いのも珍しいわな。大体あのタコ助が捜査の進展もねえのに1か月に一度定例会見開いて、その度に「捜査頑張ってまーす」なんてやる気ねえ態度見せて世間の神経逆撫でするからこんなことになってんだろうが!」 神保は自身のスーツの胸ポケットから水色のパッケージのアメリカンスピリットを取り出し、せわしなく火を点け無造作にライターと煙草をテーブルの上へと放り投げる。 「確かに自分で記者や世間の人達に叩く材料を与えているようなものでしたね。ここまで騒ぎが大きくなった発端はやはり先月の会見でしたね」 先月開かれた定例記者会見ではやはり記者達の質問はこの連続失踪事件に集中していた。いつものようにのらりくらりと交わせばよかったのだが一人の記者がぶつけた事件の被害者家族に対してはどのように考えているのかと問いに署長の中村はとんでもないことを言い放ってしまったのだ。 1拍置いた後に半笑いを浮かべながら「えぇ、被害に遭われた方々のご家族、ご友人につきましてはここまで操作が長引いているにも関わらず目立った捜査の進展がないことに対して誠に申し訳なく思っております。ですがご安心ください。我々巻波谷の署員が一丸となってこの事件を引き続き捜査して参ります。まずは今年に入って行方不明になられた方を優先し捜査していきたいと思っております。 時間が経ってる方々は見込みが薄いのでね」 一瞬の静寂が会見場を包み込む。署長と対面していた記者達は呆気取られた表情をし、署長と肩を並べ座っていた巻波谷署の幹部、並びに関連署員の顔からはみるみるうちに血の気が引いていき、署長が事の重大さに気付き苦笑いで髪の毛を掻いた瞬間、静寂が爆発し会見場を一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。 それからは連日署の前に記者達が張り付き、署内では苦情の電話が鳴りやまず通常業務どころではなくなっていた。そして今に至るわけだ。 しかめっ面で煙草の煙を吐き出しながら神保は寺島の言葉に頷き、彼の方へと体をやる。 「全く酷い会見だったな。なんであんな無能がいくら田舎とはいえ署長なんかやってられるんだ? おかげでまともな捜査も出来ずに無駄な時間を連日ここで過ごしてるってわけだ」 乾いた笑いを添えながら寺島の膝に軽いパンチを食らわせる。これもまた日常茶飯事であると言わんばかりに喰らわされた膝の部分を軽く払い、無反応のまま自身のデスクに置かれたパソコンを立ち上げる。 「おい寺島、暇だからこっち来て座れよ。今日は月曜日だろ?お天気コーナーは今日はユイカちゃんだな」 そう言いながら笑顔で自分の隣をバンバンと叩き寺島に座るようにと催促している。勿論寺島は無視しながらパソコンにパスワードを打ち込みメールのフォルダをクリックする。 「神保さんもちょっとは仕事しましょうよ。そう連日ソファに座ったままだと体も頭も鈍っちゃいますよ。いくら外出を制限されてるって言っても中にいても出来る仕事だって山程…」 寺島の憎まれ口が止まったのに気づかないまま神保はソファに置いてあった孫の手に手を伸ばし自身の背中を掻きながら重い腰を上げる。 「寺島君も言うようになったね、ん?先輩に対してそういう口の利き方をしていると…」 にやけながら近づいてくる神保を怪訝な顔で制止しながら寺島は不安そうに口を開く。 「神保さん、ちょっとこれ見てくれますか?」 そういうとパソコンの画面を神保の方へと動かす。そこにはメールフォルダの受信ボックスが映し出されていた。そこには5分前にこのパソコンに送られたメールが現れていた。差出人の名は牙、件名には695/700とある。本文には添付された画像が一つ、その画像には真っ赤なハイヒールだけが映っていた。 「なんじゃこりゃ!?お前の知り合いか?」 孫の手を掻きながら眉間にしわを寄せ寺島の顔をぐっと睨む。 「そんな訳ないじゃないですか!メールチェックしてたらこのメールが僕宛に…、牙なんて人は知らないですし、この画像は一体何なんでしょうか?それにこの695/700ってのは一体…」 明らかに動揺した様子でメガネを直しながら神保に対して困惑した眼差しを向ける。 「……おい、もう一回画像見せろ、そんでこの部分拡大しろ」 神保の目には何か得体の知れないぎらつきが宿り、寺島もそれを察したのか無言で頷き手早く画像の言われた箇所を拡大させる。神保は寺島の近くにあった他の署員の椅子を手荒く引き寄せ遠慮もせずにどっしりと座る。 「何か気になったことが?」 寺島は恐る恐る神保の方を見やり問いを投げかけるが、神保は反応することなく拡大された箇所を食い入るように見ている。寺島も何かを察し神保の隣で同じく画像に目をやる。 他の署員が各所で談笑をしている中、二人の場の雰囲気は実に異質なものであった。 その時寺島が小さな声を漏らした。 「あっ!神保さんこのヒール何かで塗装されてませんか?この踵の部分のここの所、小さいですが塗料の中に枯れた草の様な物が埋もれている。それにこのつま先の部分も少し塗り残しがあるみたいです。元の色は…水色……ですかね?」 寺島の回答に静かに頷くと重そうに腰を上げ神保はここから斜向かいの自分のデスクへと歩を進める。 「気付いたか。鈍くさいやつだが流石に優秀だな寺島。じゃあ次の問題だ、その塗料は何だと思う?」 そう問いを投げかけ自分のデスクに着いた神保は一番下の大きい引き出しを開け『2001年~2002年』と書かれた一冊のファイルと封の切られていない煙草を取り出す。散乱したデスクからピンポイントでライターを探し当て、煙草の封を乱暴に開けるとまたしてもせわしなく煙草に火を点ける。 深く煙草を吸いゆっくりと煙を吐き出しながら手元に持っていたファイルを寺島のデスクへと叩き置く。目の前に急に置かれたファイルに少しビクつきながら寺島を恐る恐るその中を見る。 中は去年から今年にかけて行方が分からなくなった連続失踪事件に関与していると思われる行方不明者たちの資料や捜査記録であった。 個人的に捜査資料を複製するのは重大なルール違反だがこの際目を瞑り寺島は黙々と目を通す。 「どうだ?答えは出たか?」 意地悪そうに煙を吹きかけながら神保をニタニタと寺島を見つめる、ただ目はピクリとも笑っていなかった。 煙を払いながら寺島は口を開く。 「画面だけでは何とも…、多分普通のペンキかと。でも意味が分かりませんよ、神保さん。女性もののヒールを赤く塗って何を伝えたいんでしょうか?」 「まだだな、寺島。まだ甘いよ」 神保も口を開く、ただ先ほどのおちゃらけた感じは消え失せ短い言葉の中にはどす黒い何かが詰まっていた。 「このメールには全てが詰まっている。俺の推測だがこの塗料は多分血液だ。よく見ろ。至る所に凹凸があるだろ?これは伸ばしムラだ。血液ってのは意外に伸びにくいんだ。それにこの青いヒール、何か感じないか?お前も見たことあるはずだ」 そう言われた寺島は何かが弾けたかのように神保が持ってきたファイルを再び漁る。 ページをめくる乾いた音が辺り一帯に響く。夏も終わりだというのに残暑が厳しく部屋に設置された古い扇風機が温い空気を循環し続ける。 その時、寺島の手が止まる。そのページには里中さやという名前があった。失踪日は2002年6月10日。24歳の彼女はその日仕事から自宅へと戻り、友人との飲み会に出席するため着替えをし、1時間後に自宅を出ているところを近隣住民に目撃されていた、近くのコンビニの防犯カメラにも帰宅と外出、両方の彼女が映っていた。その姿を最後に彼女は消えてしまい未だに発見されていない。 そして資料の中段に書かれている彼女の外出時の服装は、肩と袖にフリルの付いた薄いピンクのシャツに、白いスカート、そして青いヒールであった。 「神保さん…」 寺島が発した言葉はとても弱弱しく吹けば飛んでしまいそうだった。神保を見る彼の表情は形容し難く額には微かに汗が浮かんでいた。 「もしこの赤い塗料が血液だと仮定して、この血液とヒールは彼女の物として間違いないだろう。そしてこの件名の数字。信じたくはないがもしかするとこの数字はさらった人間もしくは殺した人間を表してるんじゃないか?」 「まさか!?待ってくださいよ、695ですよ?この事件が起こってから約15年ですが多く見積もっても60人前後ですよ?それの10倍超の数をこの年数で行うなんて物理的に無理ですよ。そんなことより早く課長と署長に報告しましょう。何か手が打てるかもしれません!彼女も助けられるかも」 勢いよく席を立ち各方面に報告しに行こうとする寺島の首根っこを押さえ無理やり席に座らせる神保。 出鼻を挫かれた寺島は少し涙を溜めた目で神保を思い切り睨む。それを受け止める神保の瞳は実に空虚であった。しかし、空虚の中にも幾ばくかの悲しさがあった。 「寺島、気の毒だが彼女はもう多分死んでいるよ。まぁ、聞けよ。この仕事を長いことやっているとな、分かるんだよ。今まで尻尾のしの字も表さなかった犯人が何故かお前のメールアドレスに手がかりともいえる物を送ってきた。これがどういうことか分かるか?犯人の目的は成就間近ってことだ。 こういうことする手合いはな、歪んだ目的を持ってるんだよ。仮に彼女が695番目の犠牲者だとして、今分かっている行方不明者はあと3人いる。多分他の行方不明者も生きてはないだろ…。とすればこいつはあと二人さらえば目的を達成しちまう。そのタイミングでこのメールだ、どういうことかわかるか?」 神保はそのぎらついた双眸を寺島へと向ける。寺島はその圧に耐え切れず目を逸らしながら鼻頭をかきながら答える 「挑戦状ってことですか?この署内で一番この事件を探っている神保さんと、組んで一緒に捜査している僕への?」 ここまで大事になった連続失踪事件。公には署をあげて捜査していると嘯いているが実際の所、足を使って地道な捜査をしているのはこの神保と寺島位であった。 「正解、と言いたいところだがちょいと違うな。これは俺達を誘っているんだよ、多分な。新しい行方不明者がこいつの毒牙にかかったとして今は698になる。それに俺達二人を足すとどうなる?」 不敵な笑みを浮かべる神保とは対照的に寺島の額の汗は先程より増していた。 「700…、目的達成…ってことですかね。でもなんで犯人は僕らの存在を知っているんでしょうか?それにこのメールアドレスだって誰かが意図的に漏らさない限り知りえないですよ?」 その問いに乾いた笑いを添えながら神保は答える。 「簡単な話じゃねえか、漏らしてるやつがいるってだけだよ。多分俺達の動向もな、通りで尻尾が掴めねえ筈だ。多分犯人と内通者は俺達を最後のデザートにするつもりだ。そして晴れて目的達成ってことだろ、ふざけやがって!」 笑いながら神保は近くのテレビへと吸っていた煙草を思い切り投げつける。寺島は知っている、この状態の時は冷静に烈火の如くきれていると。この状態の神保がこのままジッとしているわけはないと察した寺島は静かに身支度を整える。 「神保さん、これからどうしますか?」 「ここにいても埒が開かねえからな、それに内通野郎に見られてるって考えると気味が悪い。とりあえず町まで出るぞ、そこで一旦作戦会議だ。パソコンとファイル忘れるなよ」 そう言いながら神保は静かに自分のデスクへと戻り、持てるだけの煙草と40センチ程の巻物状に巻かれた黒い布ケースを取り出す。 「よし、行くぞ。先に下行って車出す準備してろ」 指示を受けた寺島は勢いよく返事をし素早く刑事課を後にする。その姿を優し気な目で見送る神保。黒い布ケースを取り出した引き出しをゆっくりと閉める。そのわずかな隙間からは遺書と書かれた封筒が顔を覗かせていた。そっと締め切ると机を小突き刑事課を後にする神保。 付近は相変わらず談笑が絶えない。その中一人の男が神保のデスクへと手を掛けるのであった。
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