佇む不安

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佇む不安

地下の駐車場は何か空気が淀んでいた。古臭いタイヤと排ガスの残り香が妙に鼻を突く。布ケースを持ちながらそこを歩く神保の足取りはどうしてか軽やかに見えた。表情も少し笑みが残っている。しかし、目だけは何かどす黒い物に支配されていた。それは正に獲物を眼前に捉えた肉食動物そのものであった。 「神保さ~ん!車用意できました」 100M先から寺島の元気の良い声が聞こえてきた。車の申請許可が下りたのだろう。 「おう、ご苦労さん!今行くからエンジン回して待っとけ」 神保も負けじと元気の良い声を張り上げる。ほどなくして車のエンジンが駐車場に響き渡った。それと併せてガソリンが燃焼する香ばしい匂いがこちらまで漂ってきた。 さほど遠くもない距離だが何故か長く感じた。神保自身、いやこの空間、いやこの世界が妙な物に包まれる感覚に襲われていた。これから待ち受けることに対する何らかの警告であろうか? 「そんな馬鹿な」 誰に言うわけでもなくそう溢しながら軽く頭を振る、そうこうしている間に車までたどり着き気だるそうにドアを開ける。 「暑いなぁ、もっとエアコン効かせよ!9月ももう終わりだってのにどうしたこんなに暑いんだ?温暖化って奴の影響なのか?」 そう悪態をつくとエアコンの調整ノズルに手をやり躊躇うことなく最大まで回す。そのついでに下に付いている灰皿を引き出し、胸ポケットから煙草を取り出しおもむろに火を点ける。どうやら彼は生粋のチェーンスモーカーらしい。充満する煙に嫌気が差したのかものすごく嫌な顔をしながら寺島はたまらず窓を開ける。 「ここの所覆面の出動もありませんでしたからね。空気が籠もってるせいもあると思いますよ。確かにこの暑さの長引きも例年と比べると異常みたいですからね。そんなことよりも神保さん、車出すのはいいんですけがどこへ?」 「とりあえずボレロまで出してくれ。あそこなら落ち着いて話せるし、立地的に小回りも効くだろ」 ボレロとは彼らが外回りの際に使っている喫茶店である。深夜までやっていることもあり職業柄とても重宝している場所なのである。 「分かりました。ただ表のマスコミはどうしましょう?まだ張ってると思いますし、囲まれちゃいますよ?」 「そんなもん轢いちまえ!」 神保の一喝に驚きと呆れを覚えながら無言で気だるそうに頷くとギアを入れゆっくりと車を発進させる。 寺島の読み通り表へ出る上り坂を上がりかけるとそこにはまだ報道陣がひしめいていた。神保らの存在に気付いた報道陣はまるで角砂糖を見つけた蟻のように瞬く間に車を囲んでしまう。 「署の方ですよね?少しお話よろしいですか?連続失踪事件についてはなにか進展はあったんですか?ここまで事態を長引かせ地域住民に無用な不安を抱かせたことについて責任は感じていますか?」 まるで親の仇のように矢継ぎ早にまくしたて、それに呼応するかのようにカメラの照明とフラッシュが二人めがけて炸裂する。 「予感敵中ですね、どうしましょう?軽く質問に答えてやり過ごしますか?」 あまりの報道陣の勢いに目を泳がしたまま往生してしまう寺島を横目に、神保をスピーカのマイクに手を掛けようとしていた。 「寺島ぁ、マイクの音量最大にしろ。あと、赤灯の音量もMAXで行け。俺が注意引き付けるからそのうちに赤灯上に乗っけて強行突破しろ」 寺島は慌ててマイクの音量を最大にした後ダッシュボードから赤灯を取り出す。鼻息荒い報道陣を尻目に悪い笑みを浮かべながら思い切り息を吸い込む神保。そして、 「ガタガタうるせえんだ手前ら!緊急出動だ!さっさと退かねぇと公務執行妨害で逮捕するぞ!」 流石の迫力でどやし立てる神保の怒声に怯んだ報道陣が散った瞬間、それを見逃さなかった寺島はあらかじめ開けておいた窓から赤灯を取り付け最大ボリュームで鳴らしつける。 この近距離で鳴らされた報道陣はたまらず耳を塞ぎながら方々に退散していく。 「今だ!出せ!」 そう言われた寺島は待ってましたと言わんばかりにアクセルを踏み込み署内の敷地を脱出すると減速することなく右折し報道陣の渦を後にしていく。 「ざまぁみやがれ!寺島ぁ、タイミングばっちりだったじゃねえか!ほんの少しだが息があってきたな」 今にも落ちそうな灰を落としながら満面の笑みで話す神保とは対照的に寺島の顔を何か浮かないようだった。 「神保さん、あれ流石にまずくないですか?僕らの顔もばっちり映ってますし、多分夕方のワイドショーに乗りますよ?また責任問題がーってなっちゃいませんかね?これじゃあ僕ら始末書の常連になっちゃいますよ?」 サイレンを消し赤灯を取り外しながら寺島は嘆息する。 神保と組んでからというもの、彼の荒っぽいやり口は事件を解決に導くものの少なからず各方面に迷惑がかかり事件解決の称賛と共に始末書がセットになるというのがお決まりのパターンであった。 「なに、紙切れ一枚で済むなら安いもんじゃねえかよ。それに名目は緊急出動だ、俺らに落ち度はねえし万が一責任問題になったらあのタコ助が一切合切背負ってくれるだろうよ」 たっぷりと吸った煙を無責任な言葉と共にまとまりのない形で吐き出す。その間も車は法定速度を若干超えた速さで街へと近づく。住宅街だった風景から少しづつ飲食店やガソリンスタンドが増えていき栄えた様相を成して来た。 「始末書前提ですか…。今回はもう少し大人締めにいきませんか?こう捜査の度に始末書書いていると経歴の傷がつきますし」 寺島がいうことは全くもってその通りだったが隣で踏ん反り返っている親父には馬の耳に念仏であった。 「しっかり解決してるんだから気にすることねえよ。それにこんな田舎で実績積んだって昇進なんか見込めねえよ。自由にやっていこうぜ、なあ?」 そんな無責任なことを吐き出すこの人物はその手腕を買われ都内で起こった連続殺人事件に助っ人として捜査本部に招集された経歴を持つ。その経歴に偽りは無く結果的には彼が地道に足を使った聞き込みで聞き出した証言で事件は解決するのだが、余りにも言うことを聞かずに好き勝手やる彼の方針は幹部の人間に受け入れらず解決を待たずして巻波谷に送り返されることとなる。彼の発言にはこの件の関しての皮肉も込められてるのであろう。性格を除けば警視庁のお抱え刑事として第一線で張れるほどの実力を彼は持ち合わせているのである。 「説得力ありませんよ、過去に捜査一課の人間と肩を並べて仕事していた人間の言葉とはとても思えませんけどね」 昇進の夢がない事もない若者の精一杯の皮肉であった。彼らを乗せた車は目的地に近づき寺島は開いているコインパーキングへとハンドルを切る。 「昔の事だ、気にするな。それにな、昇進して締め切られた空間でずっと座っているよりは足動かして直接操作に貢献したほうがやりがいがあるだろ?加えて言えばお前は高い椅子に座って指示飛ばしているよりは、地道に足使って聞き込みやる方が向いているよ。それは俺が保証してやる」 大先輩の意外な言葉にまんざらでもない様相を隠し切れない寺島は微かに笑みを浮かべたまま車を白線の枠へ綺麗に収めるとギアをニュートラルに入れサイドブレーキを引き静かにエンジンを切る。 「さぁ、着きましたよ。行きましょうか」 ドアを開ける寺島に釣られ神保も颯爽と外へ出る。9月下旬とは思えない太陽の照りつきをまともに浴びながらボレロへと歩を進める二人。街には月曜日にも関わらず多数の通行人でひしめいていた。皆真夏日の様な肌を露出した格好をしている。スーツで固めている2人とは対照的であった。 喫茶ボレロと書かれた古びた看板が片隅に鎮座していた。あまりにも暑いのか神保と寺島は気持ち早歩きで店へと向かい、勢いよく扉を開ける。扉の上部に取り付けられたベルの心地よい音色が店内に木霊する。 店内に人は少なくこちらに背を向けて座る白いワイシャツ姿の男性が一人静かにコーヒーを啜っているだけであった。 喫茶ボレロは昔ながらの純喫茶で入口から向かって左右に四人掛けのブースが5つずつあるこじんまりとした店である。 神保と寺島は白シャツの男が座っているブースから一つ開けて最も入口から近い席へと腰を掛ける。 火照った体を低めの温度に設定されたエアコンが冷やしてくれる。神保は早速煙草に手を伸ばし火を点ける、それに併せて汗で湿り突っ張る感覚に嫌気が差したのか、ネクタイを乱暴に抜き取りワイシャツも2つほど外す。寺島もそれに習いネクタイを外し同じようにボタンを外す。 ほどなくして店と同じように年季の入った高齢の女性がカタカタと波立たせながら見事に冷やされたお冷とおしぼりをテーブルへと置く。 老婆はくたびれたエプロンからこれまたくたびれたメモ帳を出し、前屈みになりながら何も言わず耳だけを彼らの方へすます。ここではこれが注文をしろとの合図らしい。 「アイスコーヒー、お前は?」 勢いよくおしぼりを広げる神保とは対照的に、まずは丸まった状態で指を1本1本丁寧に拭いていく寺島。 「僕はアイスココアで」 老婆は何も言わずにメモ帳をエプロンのポケットに戻すと茶運び人形の様に踵を返し来た時と全く同じ速度、格好で奥へと戻っていく。
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