佇む不安

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「恥ずかしいやつだな、その年でココアかよ。小学生じゃあるまいし」 「飲みたい物の飲んで何が悪いんですか?それに捜査前は甘いものを取るようにしているんです。その方が捗りますからね」 指を拭き終わった寺島はやっとおしぼりを開くと今度は掌と手の甲をこれまた丁寧に拭いていく。 「あのな、デカが喫茶店で飲むものと言やぁ夏はアイスコーヒー、冬はホットって決まってるんだよ!全く、これだから最近の若い者はって言われるんだよ」 寺島に煙を吹きかけながら小言を飛ばす。どうやら仕事は敏腕だが彼の常識は昭和で止まっているらしい。 「じゃあ神保さんは金輪際僕の前ではアイスココアは飲まないでくださいね」 そう不貞腐れながら寺島は手荒く事件のファイルをテーブルの中央へと置く。 時を同じくして老婆が例に習いカタカタと震わせながら二人が注文したものを持ってくる。テーブルに置く寸前まで氷がグラスとぶつかり音を鳴らすほど手を震わせていた。しかし、そこまで震わせながら一滴も溢さないのは流石としか言いようがない。 寺島の前には少しホイップクリームが乗せられた可愛らしいアイスココアが、神保の前には無骨なアイスコーヒーとガムシロップ、小さな鉄製の器に入ったミルクが置かれた。 「ここのアイスコーヒーの良さが分からないなんてお前は人生損してるな」 ガムシロップには目もくれずミルクを鉄製の入れ物の3分の一ほど入れカラカラと優しく回す神保。この音色だけでも心なしか涼しくなる気がした。壁一枚だけで隔たれたこの空間は正に至福の時間であった。捜査でなければここに来ることはそうそうないが、仕事など一時忘れてゆっくりとこの時間を堪能したいと、神保の頭の中で微かによぎった。 対して寺島はココアに刺さったストローをスプーン代わりにして上に乗っかっているクリームを器用に掬い舐める。半分ほど舐め終わってからクリームを貫通させてそこまでストローを差し、人間の血を吸うような蚊の如くゆっくりゆっくりと味わいながらココアをその喉へと流し込んでいく。当然神保の言葉についてはノーリアクションだ。 お互いのグラスの中身が半分ほどになった時に神保が本題へと切り出した。 「よし、寺島ぁ。とりあえずそこのコンセント借りてパソコン立ち上げろ。あと、里中さやのページもう一回開け」 そう言われた瞬間に寺島は素早く黒い合皮のカバンからパソコンとアダプタを取り出し手慣れた手付きで素早く立ちあげる。立ち上げのわずかな時間の間にファイルの中から里中さやのページを引き出し、カバンからA5サイズの手帳とボールペンを取り出す。 「神保さん、準備できました」 「まずは状況を整理しようか、さっき送られてきた写真のヒールが里中さやの物だと仮定して話を進めよう」 懐からアメリカンスピリットの箱を出し器用に一本取り出して、中ほどの部分を軽く揉んでから火を点ける。ゆっくりと息を吸い込む、息を吸うスピードと比例してじりじりと火種が葉っぱを燃やしていく音が微かに聞こえる。香ばしい煙が口の中を通り抜け肺の中へ留まる。それを一気に吐き出す、肺に溜めて少しまろやかになった煙が鼻腔を通して勢いよく噴出する。 「2002年6月10日に失踪した里中さやがもし仮に殺されていたとして、どこかに遺棄されているでしょうか?」 ファイルを食い入るように見ながら寺島はボソッと漏らす。それと同時並行でパソコンのメールフォルダを開く。 「それはないな。今まで行方不明になった被害者の衣類すら未だに出てきてないのが良い証拠だ。恐らく里中さやもそうだろう、あのヒールごと一切合切処分されてるだろうさ」 煙草の煙で乾かされた喉を今なお冷たいコーヒーで潤す。神保はさらに続ける。 「多分だが手がかりは里中さやを初めとした、4人の新しい行方不明者だろう。寺島、里中さやの次の行方不明者のページを出してくれ」 「はい」そういいながら寺島はページをめくる。そこには中年と思われる男の顔写真が添付された資料が顔を出した。 「葛田俊夫42歳、電気店で働いていましたが昨年問題を起こし、一応依願退職として退職しています。その後は生活保護を申請し今年の4月頃から近所のパチンコ店に毎日のように現れていたらしいです。そして最後の目撃もこのパチンコ店となっています」 寺島は若干顔をしかめながら他の人間には聞こえない音量で神保へと報告する。 「葛田俊夫は独身だったか?」 「えぇ、結婚はしていなかったみたいです。ただ翌日がケースワーカーとの面談だったみたいで、その方から通報があったみたいです。この男役所やケースワーカーとも相当揉めていたみたいですよ。不正受給の疑いが懸けられていたみたいです」 「なるほどな、もし狙ってやったとすれば犯人は切れ者だな。独身の無職程、発見が遅れやすい状況はないからな。ただまぁ、タイミングが悪かったな」 そう吐き捨てながら、神保は次のページをめくる。 「次の被害者は室田ともみ37歳、家の近くにある弁当屋でパートをしていたみたいです。パートが終わってすぐの午後6時過ぎに職場近くのスーパーで買い物している姿が防犯カメラに映っていました。その後の消息はつかめていません。室田ともみは離婚しており今は9歳の娘とアパートで一緒に暮らしていました。夜遅くになっても帰ってこない母親を不審がり、隣人に助けを求めた所虐待を疑った隣人が児相に通報し、そこから事件発覚へと繋がりました」 その報告を聞いた神保は唸りながら煙を吐き出す。 「前もお前と話したが一貫性が全くないんだよなぁ。性別もバラバラ、年齢もバラバラ、唯一一貫しているのは巻波谷に住んでいるってことくらいか。ただ、不思議なのはさらわれた瞬間だな。田舎とはいえここは防犯カメラも多いし人通りだってそこそこある。しかも全員が最後に目撃された場所は人通りが少なくない場所だ。子供ならいざ知らず成人した大人一人を人通りの多い場所から人目にも防犯カメラにも映らずにさらうことなんて可能なのか?」 神保は遠い目をしたまま煙を燻らせる。寺島も神保の意見に全くもって同意だった。思えばこの事件には不可解な点が多すぎる。15年も足取りが掴めずに署員はただ右往左往するばかり、そのうえ見かけだけの捜査本部、実際に動いているのは彼らのみだ。それに署長の数々の不適切な言動。あのような世論を煽る発言や、捜査や事件への無関心さ。まともな感覚ではないことは誰の目から見ても明らかである。 「次の被害者を出してくれ」 「すいません、その前にちょっとトイレいいですか?冷たいもの飲むと近くなっちゃって」 「早く行ってこい!」 苦笑いを浮かべたまま寺島は足早に奥のトイレへと向かう。神保は舌打ちをしながらフィルターぎりぎりまで燃え切った煙草を灰皿へと押し付け、新しい煙草を1本箱から取り出し火を点ける。 煙草の先端を勢いよく燃やしながら、神保は気だるそうにファイルを次のページへと開く。そのページには重田由美26歳とあった。巻波谷に居を構える実家に住んでいた彼女は8月14日に集まっていた親戚一同と共に夕刻墓参りへと行き、そのあと街中のレストランにて全員と食事をとる。食事が終わり帰路へと向かうがコンビニで買い物がしたいと言い単独でコンビニに向かう途中で消息を絶つ。 レストランから近くのコンビニ4軒の監視カメラを確認してみたがどのカメラにも映っていなくレストランから向かう僅かな間に失踪したとみている、とある。 一番新しい事件の為、神保の記憶にも新しい。彼は気だるそうに目を通したあと宙を見つめる。はっきり言って頭を抱えたい状況だ。犯人とおぼしきメール以外全くと言っていいほど手がかりがないのだ。神隠しとして放り出してしまったほうがどれだけ楽だろう、その考えながら神保は自身の頭の後ろに手を組む。その時、何かがぶつかり覆いかぶさってくる。覆いかぶさってきたものを確認するとそれは神保達より奥の席に座っていた白シャツの男だった。どうやら神保が手を組んだ時に肘が通路側にはみ出したらしく、それにぶつかり体制へ崩してしまったらしい。 「すいません!大丈夫ですか?」 咄嗟に謝罪の言葉を出すと同時に、男の方を掴み態勢を立て直させる神保。男もよろよろとしながらなんとか態勢を立て直す。50代くらいの幸薄そうな顔をしている男だった。頭には白髪が目立ち、顔にも皺が目立つ。メガネを直しながら聞こえるか聞こえないか分からないほどの声量でボソッと「すいません…」とだけ呟き、その場を去る男。神保はその陰鬱な雰囲気になんと声をかけていいのか分からず、次の言葉を出せないまま無言で男を見送る。 「お待たせしました!あれ?どうしんたんですか?神保さん」 背後から元気の声が聞こえる。振り向くと自前のハンカチで丁寧に指先を拭く寺島が立っていた。 「遅えぞ!座れ、続きやるぞ」 顎でブースを示し行儀悪く座る神保。だが寺島は中々席へは座ろうとしなかった。 「神保さん、来るときそんな封筒入れてましたっけ?」 寺島の言葉に心臓を少し震わせながら彼が指さした方をゆっくりと見る。彼の背広の胸ポケットには覚えのない封筒が一つ入っていた。
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