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ミモザの花をあなたに添えて
3月でまだ肌寒い日が続く中、珍しくぽかぽかと暖かい、心地よい陽気のある日だった。
桜の花びらがはらり、と舞って、屋上に座っていた一人の青年の肩に乗る。
青年は、胸に造花をつけていた。
「大地、肩に桜がついてる」
そう言ってふふ、と笑ったもう1人の青年が肩に乗った花びらをつまんで、ふぅ、と空に飛ばす。
その青年の胸にもまた、造花がついていた。
今日は赤浪第一高校の卒業式。彼らは、ここから卒業するのだ。
********
「卒業式、なんとか終わったね。疲れた」
「…ああ」
「大地と仲良かった子達、みんな泣いてたね。尚也くんとか、顔ぐしゃぐしゃにしてたよ。怜くんもいつも通りを装ってたけど、寂しそうな顔してたし」
「…尚也は泣き虫だからな。怜はなんとも思ってないだろ」
「ふふ、どうだろうね」
「…お前の幼なじみ、あの、一樹だったか」
「うん」
「あいつもめいいっぱい泣いてたろ」
「ああ、確かにね」
「あいつ、紬、紬って言ってお前に懐いてたからな。慰めに行ってやれば良かったのに」
「幼なじみだし、距離感はあんなもんじゃない?そんなこと言うなら、大地も行けばよかったのに。あの子達のところ」
「俺はそんなキャラじゃない」
「もう、ずるい」
紬は軽く笑って、ぐっと伸びをした。
ふわ、と暖かく柔らかい風がふたりの間を吹き抜ける。
紬の少しだけ長い前髪が、風になびいてさらさらと揺れた。
「大地は、このあとすぐに兵庫だっけ」
「ああ、明日には現地に着いとかないといけないからな。紬は確か、パリだったか」
「うん。行かないかって言われてたからね。絵の腕を磨く修行に、って」
「そう、か」
「…大地と学校が離れるの、はじめてだから、なんだか不思議な気分」
「まあ、外国にいようが連絡はとりあえるし、何も変わらないんじゃないか?」
「でも、すぐに会えないんだよ?どんな感じか、全然想像つかないや」
「でも、声は聴けるから寂しくない」
「…そう、だよね。寂しくなんかないよね、きっと」
ざあ、とひときわ強い風が吹いた。大地がふいにポツリ、と呟いた言葉はその風に溶けて、紬の耳に届くことなく消えた。
「大地、何か言った?」
「…いや、大したことじゃない」
「そっか」
はらり、はらりと空に舞う桜の花びらを、2人で眺める。
船を漕いでいる時のように、時間が2人の周りだけゆっくり進んでいるような気がした。
「そろそろ帰ろっか、大地」
そう言うと、紬は立ち上がった。
でも、何故か大地は座ったまま。
紬が不思議に思っていると、
「…なあ、紬」
ふいに大地が紬の名前を呼んだ。
「なあに」
紬が返事をすると、大地は立ち上がって鞄をゴソゴソ探り、1冊のノートと押し花の栞を紬に差し出した。
「卒業おめでとう、紬。その栞は、俺からの卒業祝いだ」
「…突然すぎて、びっくりしちゃった。ありがとう、大地。押し花…大地らしいな。花、好きだもんね」
そう言って、紬は嬉しそうに押し花の栞を受け取る。
「でも、僕が杜若が好きだって、知ってたの?」
「まあな」
「大地に言ったことないのに」
「紬のこと見てたらわかる」
「ふふ、なにそれ」
「花言葉、お前の好きそうな感じだから」
「…うん。大好き」
そう言うと、紬はふふ、と笑った。
《幸せは必ず来る》
それが、杜若の花言葉だ。
大地は、少しだけ照れくさそうに微笑む。
「あ、そのノートは?」
紬が尋ねると、ああ、と大地はノートを紬に渡して言った。
「パリで、続きを埋めて欲しいんだ」
ぱらりと紬がノートのページを捲ると、そこに載っていたのは、たくさんの花の写真と花言葉だった。
驚いた様子で、紬は続けて尋ねる。
「これ、大地が全部自分で?」
「ん、ああ、そうだ。自分の見た花で図鑑を作りたくてな。中学のころから始めたんだ」
「すごいよ大地、こんなにたくさん。でも、どうして僕に?」
「言ったろ。パリで、これを埋めて欲しいんだ。この続きを、お前に綴って欲しい」
「僕でいいの?そんな大事なこと…」
「こんなこと、お前にしか頼まないさ。ああ、それと、これは俺の我儘なんだが」
「なに?」
「出来れば、花はお前にスケッチして欲しいんだ。もちろん、無理にとは言わないが…」
「ううん!絶対描く、描くからね」
そう言って、紬は大事そうにギュッとノートを抱いた。
「お前にそう言ってもらえて、よかった」
大地は安堵の笑みを浮かべた。
「あ、僕からもあるよ。卒業祝い」
紬は思い出したようにゴソゴソと鞄を探る。
そして、真っ白の細長い箱を取り出した。
「はい、これ」
「なんだ、これ?」
「ふふ、開けてみて」
嬉しそうに紬は笑う。
大地がゆっくりと箱を開けると、そこに入っていたのは、高級そうな茶色の時計だった。
「お前、これ、」
「それ、実は僕と色違いなんだ。僕のは紫」
「そうか、いや、そういうことじゃなくて、こんな高そうなもの貰えない」
「いいの、受け取って。それを大地に持ってもらうの、僕のわがままだから」
「…どういうことだ?」
「…それ、実はね」
紬が少し恥ずかしそうに言う。
「フランス時間になってるんだ。僕のは日本時間。なんていうか、時計見る度に、お互いのこと考えるきっかけになるかなって」
「…そうか」
「…気持ち悪い?引いた?」
「いや、全く。嬉しいよ、ありがとう」
「そっか、よかった」
そう言って、紬はふわりと笑った。
「…なんか、やっと卒業だなって感じ」
「なんだよ、それ」
「大地とこんなことするなんて思ってなかったなあ」
「それは俺もだよ」
「…帰ろっか」
「…そうだな」
2人で並んで歩く最後の時間を噛み締めるように、紬と大地は、ゆっくり、ゆっくりと帰路に着いた。
********
『Attention please, ladies and gentleman. Welcome abroad Japan Airlines flight 130 to Paris. …』
パリ行きの飛行機の中、紬はぱらり、ぱらりと大地から託されたノートを眺めていた。すると、何かがはらり、と足もとに落ちる。
「ん、なんだ、これ…」
拾ってきちんと見てみる。
それは押し花の栞で、紬の知らない花だった。
栞の裏には、大地の字で「これもお前に。もし知らない花だったらそのノートに書いてあるから探してくれ」と書かれていた。
紬は目当ての花を探してページを
どんどん捲る。
はた、と栞と同じ花のページが目にとまった。
紬はそのページをゆっくりと読み進める。
そして、読み終わって、ノートをパタリと閉じた。
「…なに、これっ…」
紬の頬に、次から次へと熱い涙が伝う。
「寂しくっ、なくなった、はずなのにっ…なんで、こういうこと、するのっ…」
押し花にされていた花は、黄色いミモザの花。
「大地っ、会いたい、よっ…」
ミモザ:マメ科ムネノキ亜科アカシア属
オーストラリア原産
2月から4月に開花
花言葉:優雅、友情
______《秘密の恋》
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