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場面三 鈍すぎる友の落とし方(一)
六年前の四月、枝吉に江戸遊学の藩命が下った。
実はその少し前、島にも同じ命が出たのだが、ちょうどその頃、父有師(ありみつ)が身体を壊して勤めがままならなくなり、長男の島が家督を継ぐかどうか、という話も出て、遊学など出来る状況ではなくなっていた。
いわば「おあずけ」を食らっていた島に、友を羨む気持ちがなかったといえば嘘になる。他国人との交流は制限されており、江戸遊学は皆の憧れだ。それでも勿論、島は友がその機会を得たことを喜んだし、それを伝えもした。島が祝福を述べると、相変わらずの友は「一度ぐらいは見ておかんとな」と言って不敵に笑った。
枝吉に藩命が下ったのは四月の半ばで、五月の末に出立することになっていた。顔が広いだけに各方面への義理も果たさねばならず、江戸で師事する先生への挨拶もあり、何よりも母方の従妹―――枝吉と島の母は実の姉妹なのだが、その兄、木原英興の娘―――との婚儀も整い、とにかく多忙を極めていた筈だ。
そんな中、四月も終わりに近づいた頃、枝吉が酒でも飲もうと島を邸へ誘った。
勿論、応じたい気持ちはあった。しかし、当時はちょうど家督相続の話が本決まりになった島の方も、届けだの挨拶だのといった雑事にも追われ、また父の体調が中々安定しなかったこともあって、時間が取れなかった。お互いに多忙を極める中、日程が折り合わないままに五月に入り、そしてその五月も立ち止まる余裕さえないような慌ただしさで、どんどん日が過ぎていってしまった。
それでも島は友人たちに声をかけ、豪華ではないにせよとにかく人数だけは相当に集まった送別の宴も張ったし、またこれも相当な数に上る親戚一同による「壮行会」にも顔を出したし(こちらはやむなく途中で帰った)、その場で多少は言葉も交わしたから、正直なところもういいか、という気分になったことも事実だ。
五月二七日には発つと決まったらしい、と聞いたのも人伝てにだった。
その日が、確かもう数日後に迫っていたと思う。午(ひる)前に予定していた来客が先方の都合で先延ばしになり、島は思いついてふらりと枝吉を訪ねた。「いれば幸い」程度の軽い気持ちだった。
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