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場面三 鈍すぎる友の落とし方(二)
「おーい」
身内の気安さで勝手に門をくぐって庭へ入り、誰かいるだろうと、無造作に邸へ声を放った。さほど広い敷地でもなく、島の大声は、邸内のどこにいても届く筈だ。
ややあって、縹色の着流し姿の枝吉が姿を現した。
「おお、おったか」
島は言った。
「ちかっと、暇の出来たとじゃ。もう、じきに出立じゃろ。どがんしとっとかと」
何となく、妙な感じは確かにあったのだ。
気兼ねするような仲ではない。枝吉にしろ島にしろ、相手を歓迎するなら笑顔で「まあ上がれ」とでも勧めようし、立て込んでいるなら忙しいと言う。人と会う気分ではないならそれも態度に出す。枝吉は普段陽気で豪快だが、生来の鋭敏と性急の質のせいで少しばかり癇癪持ちな面もあるから―――そしてそれは、特に島に対しては時に容赦なく炸裂するから―――、障らぬ神に祟りなし、間が悪かったな、と回れ右をするだけだ。
そのいずれでもなく、ただどことなく気が置けるものを感じて、島はやや戸惑って尋ねた。
「あー、何ぞ立て込んどっと? 特に用はないとじゃ」
「―――いや」
枝吉は短く言い、島の目を見ずに踵を返した。
「今、誰いもおらん。酒ば持って来っけん、そけ座っとれ」
後になって、時々考えることがあった。
あの日、あの機に島が訪なわなければ、一体どうなっていただろうと。枝吉と、自分は。
同い年の従兄弟同士で、近所住まいの幼馴染み。相手の親や弟妹は己れのそれも同然、という家族ぐるみの付き合いだ。共に本家の長男として家を背負い、兄として弟妹を守り、武士として国を思った。
二十三年間、実の兄弟以上に親密だった。周囲の誰もが、枝吉の事を訊くならまず島に尋ねただろうし、その逆も然りだった筈だ。自他共に許す、互いにとっての一番だと信じていた。天才肌で将来を嘱望されていた従兄は、島の自慢でもあり、誇りでもあった。
互いにとって一番で、誰よりも知っているつもりで―――だが実のところ、島は何も判っていなかった。別けても「そういう面」に関しては、下手をすると、他の者以上に鈍感だったようだ。
『何しおいは、こがん鈍か男ば好いたっちゃろの?』
世徳。
疑いもなく友を信じて。
数年になるかもしれない別れを控えて、暇が出来たから、と、呑気にふらりと訪ねた島は、枝吉からすれば、随分と鈍感で薄情で無神経に思えたのだろう。
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