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場面三 鈍すぎる友の落とし方(三)
雲一つない、初夏の日差しが眩しい佳い日だった。開き始めたサツキツツジの花の赤紫が鮮やかだ。そう、こんな日は邸の中より縁側がいい。濡れ縁に腰を下ろし、庭を眺めながら待っていると、枝吉は白い徳利と皿を手に戻って来た。
「相変わらず、気の効かん男じゃの」
島の横に腰を下ろしながら、枝吉は言った。
「酒なり肴なり持ってこんか」
「おっか判らんやったけん」
「おらんじゃったら、酒だけ置いて帰ってくれていっかな構わん」
勝手な事を。
島は烏賊の干物を遠慮なく食いちぎりながら笑う。
「もう、あらかた用意は済んじょるんか」
「そがん大袈裟なもんはなか。六畳だか八畳だかの部屋に二、三人詰め込まれるんじゃ。物ばあっと邪魔になる。こん身一つで行くさ。」
枝吉は盃を干した。
「ま、肥前弘道館の学問は日の本一じゃ。お抱え儒者の学問所がいかほどのもんか知らんが、何事も経験じゃけんの」
事も無げに言う。相変わらずの自信家だ。
枝吉が入学する江戸の昌平坂学問所は、幕府お抱えの儒者、林家の私塾に始まる。幕府が営む、基本的には幕臣の学問所なのだが、そこで教える教師への入門、という形を取れば、藩士でも入学が許される。枝吉は、肥前から幕臣に取り立てられた古賀家の儒者、古賀侗庵(とうあん)―――現在の肥前国主の鍋島斉正公の師、古賀穀堂の弟だ―――の門下として入学することになる。
「会津もんは議論に強うて、中々に侮れんと聞くぞ」
「会津ン日新館か? はは。多少文は読めようが、所詮みちのくの田舎もんじゃ。異人の技(わざ)も情勢も、あがん山奥には聞こえんじゃろう」
「異人嫌いのくせに」
「好かんと知らんとは別じゃ」
まあ、そや確かに。
肥前鍋島家は筑前黒田家と一年交替で、日本唯一の異国との窓口である長崎出島の警護を担う。負担も大きいが、そのお陰で異国の学問や技術、そして現状などについては、肥前が持つ異国に関する知識は確かに日の本一といっても過言ではない。
とはいえ―――と、島はいささか心配にもなる。
「わさんなあ」
苦笑して言った。
「何じゃ」
「確かに肥前もんの学ン高さにはおいも自信ば持っとっばってん、そいじゃちうて無駄に敵を作るもんやなかぞ」
枝吉は、身分や長幼の序はそれなりに心得て礼を尽くすが、そうでなければ「謙虚に振る舞う」ということを一切しない男だ。幼い頃から神童と呼ばれ、二十歳前には弘道館で「詩の大家の風格がある」と評された天才肌の従兄の矜恃は昔から相当に高かった。今でこそ皆が枝吉の才を認め、公然と張り合う者も見られなくなっているが、八歳で弘道館蒙養舎に入学して以来、枝吉は上級生から度々嫌がらせや、時に暴力さえ受けた。
枝吉は、誰が相手でも一歩たりとも引かない負けず嫌いだ。それでよく喧嘩をした。相手が屈強の上級生だろうが数人がかりだろうが、言葉で侮られれば痛烈な皮肉で受けて立ったし、殴られれば飛びかかって取っ組み合った。
島も、当時よく加勢をした。だが、江戸まで加勢に行ってやることも出来ない。
枝吉は眉を上げた。
「別に敵なんぞ作っつもりはなか。もっとも、下らん連中と狎れ合う気もなかがの」
………これだ。
島は苦笑いする。
「わさんがそン天狗っ鼻ば折られるっとが見物じゃ」
「ふん」
枝吉は酒を呷った。しばし沈黙が降りる。ややあって枝吉は、島を見ずに尋ねた。
「わさんはいつ来っとじゃ」
「さて。親父が身体次第じゃ。一応家も引っ継いだけん、ちかっと難しゅうなったかの」
「………そいか」
「何じゃ、大口ば叩いとって、そん実はおいン加勢ば当てににしとったとか」
島は笑った。
「ま、淋しゅうなったら手紙でも書いて寄越しゃよか。世徳がどがんしても出てきてくれて頼むとなら、おいもちかっと考えんでもなかけんの」
からかうように言って盃を置き、島は立ち上がった。
「そいぎ、達者での。ご馳走さん」
切々と別れを惜しむ間柄でもない。敢えて明日また会うような軽い口調で島は言い、軽く手を振って踵を返した。
歩き出そうとしたところで、名を呼ばれた。
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