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場面四 本気(一)
「ぬるか抵抗じゃ」
枝吉の声に、思わず呆然とその顔を見る。
「世徳―――?」
先ほどのしゅるりという音は、枝吉が自らの帯を解く音だった。
それで、手首を縛られた。まるで、狩った兎の脚でも束ねるかのように、無造作に。
胸元で縛った手を頭上に投げ出され、無防備に曝された胸元に、また枝吉の手が直に触れた。びくっと、身体が跳ねる。
「本気で止めっ気なら、何しおいの舌ば噛み千切らん。袖ぐらい引きちぎらんとじゃ。童子の戯れとは訳が違う。おいは本気じゃ」
ぞくりとした。
世徳。
神童と呼ばれたこの男には、学問も武芸も到底敵わなかった。笑われたりからかわれたり、たまにちょっとしたいたずらで引っかけられたり、たびたび腹は立てたものの、その傲慢なほどの自負心も性急さも、何だかんだ言いながらも島は枝吉が好きだった。始終つるんでバカをやり、唾を飛ばして議論もして、時に童子のように騒いで笑いあった。
得がたい友と、いつしか互いに心許した。そう、思っていた。
「本気、て、わさんは………その」
何故、舌を噛み切ってでも止めないのかと、腹立たしげに言われても、何と答えていいのか判らない。
これが誰か他人の悪意ででもあれば、死ぬ気で抗いもする。蹴り上げもすれば、舌ぐらい噛み切ってやるかもしれない。
だが―――
「世徳は、おいが、友じゃけん………」
混乱の内に言った。
「待って、くれんか………おいは、おいには、判らん………」
この男の気持ちが判らない。
それでも、長く親しんできた大切な友を、何故、無下に傷つけることなど出来るだろう。
枝吉の顔から、ふっと表情が消えた。そのまま、しばらくじっと島を見つめていた。
「友、の」
ぽつりと言った。
「おいも、そがん思うとっとよ」
枝吉は、また、島にのしかかった。島が反射的にわずかに身体を引くと、枝吉の眸が、一瞬、かすかに翳りを帯びたのが判った。
じくりと、胸の奥が疼いた。
世徳。
「団にょ」
「………」
「ばってん、友にこがんこっばしたかおいは、人でなしじゃろか」
島は、枝吉を見た。
人でなし。
自身へ向けるその苦い言葉に、友の本気を知る。
「団にょ」
枝吉が手を伸ばし、島の頬に触れた。ゆっくりと顔を近づけてくる。おのれの表情を窺っているかのような友の気配をふと感じて、島は意を決して目を閉じた。
ふうけもんが。
神童と呼ばれた友に対して、島はそう思った。
こがん縛り上げられっと、わさんの背を、抱いてもやれんじゃないか。
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