アイ/コトバ

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しばらくして男は、サユリを観察し、目線の高さまで屈むと瞳を覗き込む。 そして命令する。 「シリアルNo.005(ナンバーゼロゼロファイブ)。コマンド。モードチェンジ、デフォルト。リブート」 彼の声紋と網膜認証に反応し、見開かれた右目の瞳孔が赤く点滅し始める。 女性型ヒューマノイド/SA.U-re(サユリ) 。 シリアルNo.005。 それがサユリの正式名だった。 20代前半の美しいとされる端正な顔サンプル群、それにプラスして、まだあどけなさが残る童顔をイメージしてデザインされた人型ロボット。企業が開発を進め、家庭用AIヒューマノイドの運用を目的とする。そのプロトタイプ、五号機目の設計とプログラムを男は担当していた。 リブート前に、サユリの口から言葉が漏れた。 「ねぇ、心って、ドこ、に、あ、ル…ノぉ……」 電池の切れたプレイヤーのように間延びして、半開いた口と共に停止する。 咄嗟に男はサユリを抱き寄せた。 自身の顔をサユリの肩に押し当てて震える。 「馬鹿だ。…………君は……」 物言わぬ人形(ヒューマノイド)を強く抱き締め、想いを馳せる。 「それに、僕も…………」 もはや男の会話は、独り言に過ぎない。 ゆっくりと顔を上げる彼の表情は、愛しき人に向けるそれと変わらなかった。 悲しげで、嬉しげな、 目を細めながら眉を寄せて、 困ったような顔を…… 彼女(・・)に向ける。 その表情のオリジナルは、彼の妻のはずなのに、なぜかサユリは、百合(オリジナル)真似(コピー)をする。 幻影を見てしまう。 そう感じてならない。 サユリが思考を巡らせ、 『男なら答えてくれるかもしれない』 と算出した解が、痛々しい。 もう既に、自我の形成に至っているのかもしれなかった。 プログラミングで仕組まれた表現では無いと、設計した彼自身が断定できる。 もっと特別な何か………… そう思えてならなかった。 サユリの発した言葉。 それはまるで…… 秘密を共有する百合との、合言葉のように感じた。 耳にした瞬間。蘇る。 そして胸が締めつけられる。 五年前、息を引き取る間際。 百合と交わした最後の会話…… …………………………………………………… 『ごめんね』 『?…………何が?』 『子供』 『もういいよ。その話は』 『ずっとね。負い目を感じてたんだぁ。あなたの優秀な遺伝子を、ちゃんと遺せないんだなぁって……』 『むしろ遺さない方が、世界平和の為にはいいかもしれない』 百合は、歯を見せて、声を出さずに笑った。 『ねぇ。死んだら、私の身体、使ってね?』 『馬鹿だな、そんな事する訳がないだろ』 『ううん、これは私からのお願い。まだまだずっと側に居たかったんだもの。その残念さを、貴方に使って欲しい。後生だから……お願いね』 そう言って微笑む。 全く笑えない。悪い冗談。 『貴方の為に出来ることなんて、もうそれぐらいしかないから……』 『何言ってるんだ。今でも十分過ぎるぐらいだよ。百合は。僕にとって…………』 胸が詰る。こみ上げる感情を押さえつける。 彼女の前で泣く訳にはいかない。 彼女の手をより強く握ってしまう。 『ありがとう…………』 目を細めて笑顔を作りつつ、眉を寄せて困ったような顔をする。 天井のはるか上を仰ぐ彼女。 焦点は定まらず、 そのまま空を見つめて話し出す。 『ねぇ、倉間先生?』 『僕は医者じゃないよ』 『医師免許。持ってるじゃない』 『今はただの学者で、プログラマーだよ』 彼女は意に介さず続ける。 『(たましい)って、何処に、あるの?』 『…………そうだな…………』 彼が思いついたのは、魂の重さについての話だったが、それを今、百合に話すのは不謹慎な気がして(あぐ)ねる。 穏やかに眠るように深く息をする百合の、瞳から、絞り出すように、(まぶた)がゆっくり閉じられると、枯れ果てたはずの涙が一粒だけ、目尻に沿って流れ落ちた。 息は続かなかった。 それが、 その一雫が、彼女の魂の重さだった。 今でも彼はそう感じている。
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