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「姫さま、そりって、下るのは爽快ですけど、登るのは地獄ですね」
「奇遇ね、ばあや。私も同じこと思ってたわ」
颯爽と雪原を駆けていたアヤメとばあやは、荷物とそりを抱えて雪山を登る羽目に陥っていた。
「あ。旦那様の匂い、途切れちゃいましたわ」
滑っている途中で、アヤメが匂いを見失ってしまったからだ。急いで降りて来た道を引き返したのだが、そりで一瞬の道のりは徒歩で登ると100倍時間がかかる。健脚自慢のばあやもアヤメも早々に息が上がっていた。
それでも互いに手と手を取り合い、励まし合いながら雪道を進む。
「雪って見ているだけなら幻想的で綺麗だけど、現実は結構厳しいわね」
「ホント、足を動かすのに使う体力半端ないですよね」
積もった雪から足を引き抜き、次の一歩を進めるのに相当な力を要する。太ももからふくらはぎ辺りの筋肉が急速に鍛えられているのは間違いない。
日差しが降り注ぐ雪道は眩しくて暑い。貴重な飲み水を分け合いながら、再びそりに乗って滑る瞬間だけを楽しみに登り登って登り切り、
「あったわ、こっちよ!」
アヤメの鼻が再びガマニエルの匂いを捉えた時には、二人とももう一歩も動けないほど精魂尽きていた。
「いっけ~~~~~」
しかしその辛さも、そりに乗って風を切る爽快さを前にするとあっさりと吹き飛んで、二人はそろって歓声を上げていた。
木々の間を縫い、葉先をかすめ、落ちてくる雪を振り払う。目に映る景色は高速で巡り、頬には澄んだ空気を感じ、見晴らす限りの一面眩い銀世界を独り占め。
「さいっこ~~~」
叫びながら軽快にそりを滑らせていくうちに、
「あ、…っ!」
開けた前方の光景にアヤメもばあやも息を呑んだ。
立ちはだかる山々の合間に出現した巨大な氷の渓谷に、氷漬けになった人々が彫刻のように並べられていたのだ。古代帝王を思わせる屈強な男性。甲冑に身を包んだ厳格な騎士。天使のように儚く美しい少年。何十、何百もの人々が動きを止めて凍り付いている。
「あら~、小娘ちゃんとおばあちゃん」
「ようこそ、氷渓谷のイケメンコレクションへ」
そりを止め、言葉もなく呆然と立ち尽くす二人の前に、雪のように真っ白なドレス姿の美女たちが現れ、宙を漂いながらクスクス笑った。寒帯国の旅館にいた雪の妖精を思わせる美女、その実、妖怪雪女たちに間違いなかった。
「ばあやはばあさんではな―――いっ」
ばあやが憤然と立ち向かうが、アヤメの目は並べられた氷彫刻の一点に釘付けになった。
「…旦那様っ!!」
巨大なガマガエル妖怪の姿そのまま、氷細工に形を変えたガマニエルがそこにいた。隣にトカゲ族のマーカス、金の国のドゴール王子、銀の国のシルバン王子、そして蛙獣人の従者ガラコスとルキオの姿もある。
「このコレクションは強者か美男限定なの」
「私たちは捕らえたイケメンの精気を奪い、完全な氷に変えて保存しているの」
「彼らはここで永遠に凍り付いて私たちに愛でられるのよ」
クスクス、クスクス、うふふ、うふふふ、…
雪女たちが自慢げに話しながら氷彫刻の間をひらひらと舞い踊る。
「触ってはダメよ」「崩れてしまうわ」
「氷は脆いもの」「砕けたら決して元には戻らないのよ」
うふふ、うふふふ、くはは、くははは、あーっはっはっは、…
「…なんて悪趣味な」
雪女の高笑いに二の句が継げないばあやの隣で、アヤメは怒りに震えていた。
優しい旦那様の瞳が凍り付いている。その目には何も映していない。優しく触ってくれる手も。抱き上げてくれる温かい胸も。全て凍り付いている。
「…せない」
人の意思を奪って無理やり氷漬けにするなんて、許せない。アヤメは未だかつて感じたことのない怒りが自身の中に構築されるのを感じた。それは、降り積もり、体積を増し、膨らみ、熱く大きく極限まで到達して、
「今すぐ、ここのみんなを元の姿に戻しなさ―――いっ!!」
巨大な電流の渦になり、稲妻のように空を切って弾けた。
「…きゃああっ」
雪女たちが悲鳴を上げて飛び退く。アヤメから放出された怒りのエネルギーが熱い電流となって当たり、火花を散らしたのだ。
「なんなの、あの娘」「鬼の子?」「雷娘?」「電気ネズミ?」「嫉妬妻??」
「なんにしても、怖~い」「溶けちゃう」「溶かされちゃう~」
突然飛び散った火花に雪女たちは元々白い顔を一層蒼白にして、心細そうに身体をくねらせながら一所に寄り集まってきた。
しかし一番驚いているのは当のアヤメで、自分が何をしでかしたのか分からない。分からないが、形勢が有利なのは感じ取っていた。
一方間近でアヤメの電光を見たばあやは、そう言えば、人間には電流が流れているんだっけ、と漠然と思い出していた。昔々のその昔、ボッチャリ国が文明大国であった頃、人間に流れる電気信号を解明して「森羅万象人間」を作るというプロジェクトがあった。自然界のあらゆる現象を科学の力で再現するという荒唐無稽なプロジェクトを国家が推奨し、結果、半端な超能力を持つ人間が生み出され、諸問題が発生してなし崩し的に終焉を迎えたが、姫さまは、もしや、…
「いい? 今すぐ元に戻さないと、あんたたちを稲妻で焼いちゃうわよ!?」
アヤメにとってこの好機を逃す手はなかった。果たして自分にそんなことが出来るのか全く分からないので、それは単なる出まかせだったが、アヤメが放った一言は雪女たちに絶大な効果を与えた。
「やだやだ、怖い」「元に戻す方法教えるから」「焼かないで~」
「…なんか、やっぱムカつくわ、こやつらのしゃべり」
雪女たちはばあやをムカつかせる特有のぶりっ子口調でくねくね擦り寄ってくると、
「あのね~、氷から蘇らせることが出来るのは、相思相愛の者だけなの」
「相思相愛じゃないと一緒に凍っちゃうの」
急に得意げに胸を張った。
「つまりぃ、真実の愛が試されるってわけ」「わけ」「わけ」
鬱陶しいエコーにばあやの舌打ちが冴える。
姫さまが超能力を持っているかどうかはまた今度考えることにして、今はともかく、雪女たちから皆さまをお救いすることが肝心。苛立ちを収めたばあやの隣でアヤメが厳かに進み出た。
「分かりました」
アヤメの頭には、行き掛けに姉姫たちに言われた言葉が閃いていた。
『アヤメ、王子様には目覚めのキスよっ』
本当は、旦那様にはご許可を頂きたかったのだけれど。
アヤメはガマニエルの氷の彫刻の前に進んでいく。ガマニエルが巨大ゆえ、失礼ながらよじ登らせてもらう。目を合わせてもその澄んだ瞳にアヤメを全く映さない冷たいガマニエルの顔に胸が痛む。
旦那様。失礼します。
冷たい氷の唇に自分の唇をそっと近づけた。今朝見た夢が脳裏に蘇り、一瞬動きを止めるが、自分を呼んでくれるガマニエルの優しい甘やかな声を思い出して目を閉じた。
相思相愛って結構な博打なんじゃないの。
姫さまはあのキモガマが好きなのか? キモガマは姫さまが好きなのか? いや、好きじゃなきゃ許さんけど。
毅然と臨むアヤメの姿を前に、ばあやは胸がドキドキしてきた。
これって知らなきゃよかった二人の相性とか、カップルでやっちゃダメな占いとか、そういう類なんじゃないの。
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