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日中は灼熱の砂に覆われる広大な砂漠をものともせずに渡り、夜を駆け闇に紛れて動くトカゲ族は、荒々しく抜け目がない。オアシスの街や砂漠を渡る商人たちを容赦なく襲い、金銀財宝、酒肴、食料に衣料品、女人をかどわかすが、その生態やアジトは謎のままで、捕獲も報復も出来ない。砂漠に住む人々は、トカゲ族を恐れ、日々怯えながら暮らしていた。
「頭、なんか、俺たちを追いかけてくる奴がいやすぜ」
トカゲ族のヘッド、マーカス・マルボスティンは、今宵の戦利品である財宝や女を入れた袋を担ぎ上げ、部下とともに運びながら、最後尾で後方を確認していた部下の戯言に頬を歪めた。
追いかける?
俺たちを追いかけることのできる奴なんて、この世にいるか?
トカゲ族は砂漠の過酷な環境に完璧に適応しており、捕まったり後をつけられたりなどという失態はおかさない。
袋の中で暴れ回っている活きのいい戦利品を担ぎ直し、鼻で笑いながら後方を振り返ったマーカルは自身の目を疑った。
トカゲ族は人体の2,3倍、オオトカゲ種は最長4m近くあるが、勝るとも劣らない巨大な怪物が闇夜を駆けてくる。それも、恐ろしい速さで。
「おい、止まれ」
そのまま走ってもいずれ追い付かれるだろうことを悟ったマーカスは一行にストップをかけた。どうせならここで迎え撃ちたい。
「何事ですか、頭」「あいつら、何?」
トカゲ族の一行は思いがけない事態に騒然となった。
彼らの姿を見失わずに追いかけられるものがいるなんて信じられない。
「ちょっと、出しなさいよっ」
「そうよそうよ。私たちは金と銀の花嫁なのよ。こんなことして、ただじゃすまないわよっ」
一行が止まったのをいいことに、荷袋の一つが猛烈に暴れ出した。
「ヘッド、酒場で捕まえた女が、自分は金銀国のプリンセスだから、無礼な真似をしたら報復戦争になると騒いでいますが」
追っ手を待ち構えるマーカスに部下が耳打ちする。
「俺たちは法とは無縁だが、威勢が良い女は嫌いじゃない。まあ、とりあえず、捨て置け。客人を迎えるのが先だ」
マーカスが応えた時、ちょうど一行の前に追手が現れた。なんだ、これは。ガマ獣人。ガマ妖怪?
中心にいるのは見たこともないほど巨大で醜悪なガマガエル姿の妖怪で、蛙獣人と思われる従者を2人連れている。
「よく、我々を追って来れたな。その心意気は称賛に値するが、一体何の用だ?」
マーカスはガマ妖怪の前に進み出た。初めて見る圧倒的な禍々しさを持つ存在に身体中の鱗が逆立つ。魔界の妖気を帯びてる。こいつは、恐らくものすごく強い。
「俺の贄、…連れ、を返してもらいたい」
ガマ妖怪は底に響く低い声音で告げた。ぎょろりとした目玉を細めて値踏みするようにマーカスを見ている。
「その声っ」「ガマニエル様っ」
「助けに来て下さったのね!」「信じてましたわ!」
荷の中の女たちが水を得た魚のように俄然勢いを増し、
「にえ? 贄って言わなかった?」「女じゃなくて?」
「俺の女とかじゃないの?」「もしや畜生加減は俺らと同等??」
トカゲ族の部下たちが騒ぎ始めたが、マーカスは動かずにいた。正確には動けなかった。蛇に睨まれた蛙。もとい。蛙に睨まれた蜥蜴。なんて聞いたこともないが、目の前のガマ妖怪はそれだけの強い妖気を出している。
「せっかく手に入れた戦利品だ。おいそれと渡すわけにはいかねえ。手合わせ願おうか?」
敵わないのは推して知るところだったが、この好機に乗ってみたかった。未だかつて自分たちより強い相手に会ったことはない。
「…分かった」
相手はため息混じりに頷いた。ほとほと面倒くさそうで、ちょっとプライドが傷つく。
「ガマニエル様、やっちゃって!」「この醜い奴らに思い知らせて!」
袋の口から頭だけを覗かせ、芋虫みたいに地面を転がっている戦利品の女たちが騒いだ。勢い余ってついに荷袋の口を広げたらしい。
どう考えてもこのガマ妖怪よりはイケてると思うんだが。ここでもトカゲ族のプライドはちょっと傷ついた。
「よし、かかれ、お前らっ!!」
マーカスの掛け声にトカゲ族の一味は一斉にガマ妖怪に襲い掛かった。荒っぽい気性のトカゲ族は戦闘が大好物である。数にして30頭余り。相手は禍々しい妖怪だが、所詮一匹。従者は取るに足らなそうだから、一斉に攻めれば或いは勝機も、…
部下と共に俊敏な動きで飛び掛かったマーカスは、しかし、一瞬にして、砂漠の砂の上に投げ出されていた。物凄い風圧。肌に突き刺さる砂塵。痺れの残る身体。衝撃に呻き声も出ない。
巨大なガマ妖怪は、剣や鎖、斧や鋸といった武器を手に襲い掛かったトカゲ族を素手と素足で退けた。恐ろしい跳躍力と回転技でほとんど接触もしないまま一網打尽に跳ね飛ばしたのだ。
「…じゃあ。贄は返してもらう」
マーカス一派が砂に埋もれて動けずにいる間に、ガマ妖怪は荷袋の女どもを救出している。
その時、風が吹いて砂漠に月の雫が落ちた。ほんの一瞬、月光の下に見えた光景にマーカスは目を疑った。
「ガマニエル様っ!!」「ガマニエル様ぁ~~~」
袋から躍り出た女たちが、目も眩むような麗しの美男子に蕩けそうな笑顔を浮かべて抱き着いていた。
…誰?
「怖かったですぅ」「助けて下さって嬉しいっ」「大好きっ」「抱いてっ」
女たちはここぞとばかりに嬉々として美男子に擦り寄っている。男性の圧倒的な美しさにマーカスもトカゲ族一派も声も出せずに見入ってしまった。
「ガラコス、ルキオ、こいつら運んで」
「はい、おーじ」
美男子は終始面倒くさそうにしていて、女たちを従者の蛙獣人に渡そうとするが、
「いやああん、ガマニエル様に抱かれたい~~~」
「お姉様、抜け駆けは許されなくてよ」
女たちは食いついたスッポンよろしく美男子の腕に全力でしがみ付いて離れない。
そうこうするうちに、月光が移ろい、美男子の姿がどこにも見えなくなった。
後に残るは醜悪なガマ妖怪。
「…面白い」
マーカスは何とか砂地から起き上がり、立ち上がるとガマ妖怪に向き合った。
「手合わせ、ありがとうございました。お礼に我らの根城に案内いたします。歓迎の祝杯をあげましょう」
「え、いや、…」
「おお、大将っ! ぜひっ、ぜひお願いします!」「こちらにございますっ」
マーカスの意向を瞬時に理解したトカゲ族一派が興奮に沸いて、ガマ妖怪を取り囲む。
「た・い・しょ」「た・い・しょ」
…大将?
突然沸き出た大将コールにガマニエルは戸惑う。
無事に生贄を取り戻したので、一刻も早く宿に戻ってアヤメと新婚旅行の思い出作りに励みたかったのだが、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「大将はどちらに向かわれるんですか」「砂漠のことなら我らにお任せください」「どこなりとご案内いたしますよ」
トカゲ族たちがここぞとばかりにグイグイ押してくる。
「おーじ、外交」「役立つかも」
気乗りしないガマニエルにガラコスとルキオが囁きかけた。
まあ、確かに。どこにも靡かないトカゲ族と友好関係を築けば後々役に立つかもしれない。
「じゃあ、少しだけ」
トカゲ族の誘いに乗ったガマニエルは、愛しの妻がやきもきしながら待っていることを知らない。
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