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gama8.愛しの旦那様奪還作戦
《アヤメ。お前は本当に可愛いな》
結婚式の時のような素敵なお召し物に身を包み、旦那様が私を引き寄せる。優しい腕。逞しい身体。深く沁みる声。安心する温もり。こんなにそばにいたら、どうしても衝動を抑えられない。
《あの、旦那様。キスをしてもいいですか》
《はは、お前は欲しがりだな》
《…だって》
《いいよ、目を閉じて》
旦那様は私の頤に指をかけて上向かせると、お顔を傾け、どこまでも近づいて、
んっちゅ~~~~~
きゃああ、唇が巨大なブラックホールに吸い込まれて行くわ。誰か、助けて! 助けて、旦那様―――――っ
「…姫さま、姫さまっ! しっかりして下さい!」
幸せな夢が一転して恐怖に叩きこまれた時、身体を乱暴に揺さぶる衝撃にアヤメは目を覚ました。目の前にばあやのドアップがある。落ち窪んだ目。皺だらけの頬。土気色の顔。氷の塊が載ったざんばらな髪。
「きゃあっ」
「…きゃあとは何ですか、きゃあとは!」
恐ろしい夢の余韻と相まって思わず悲鳴を上げてしまったアヤメをばあやは不服顔でじろりと見る。
「あ、…あら、ばあや」
ドキドキとせわしない心臓をなだめながら引き攣った笑みを貼り付けた。老女の妖怪、山姥かと思ったとは口が裂けても言えない。
「あらじゃございませんよ、姫さま。大変です! 出たんですよ、妖怪が!」
「え、…」
やっぱりか、とまじまじばあやを見つめると、
「…なんで私を見るんですか」
ばあやが半目で見返してきた。…あら?
気を取り直して状況を検証してみる。
アヤメとばあやは雪と氷ばかりが広がる大地にぽつねんと取り残されていた。吹雪は止んで、陽も差しているが、見渡す限り銀世界で昨夜泊まったはずの旅館も寒帯国の街も見当たらない。
ばあや曰く、全ては妖怪雪女の仕業だという。
ばあやが夜中に目を覚ますと、雪女たちがシュラフで眠りに就いている旅館の客人たちを次々と凍らせ、氷の夜汽車に乗せて吹雪の下に運び出していたのだとか。その中には、アヤメの花婿ガマニエルもトカゲ族長マーカスも、金銀王子にガラコス、ルキアも含まれていたが、連れ去られたのは全員男性であった。
ばあや、アヤメを始め、金銀王女である姉姫たち女性陣は氷漬けのまま地面に転がされ置き去りにされた。ばあやは去り行く雪女たちに罵詈雑言を浴びせかけ、必死で氷の中から出ようともがいたが、雪女たちは鼻で笑って去っていったのだという。
「ばあさんが一人騒いでるけど、どうする?」「ほっとこほっとこ~」
「年寄りに何が出来るっての」「マジそれ」「ウケる」
ばあやはぐぬぬと唇を噛みしめた。
「あやつら、絶対に許せませぬ」
年寄扱いされたことが相当頭に来たらしい。
陽が昇り、氷が溶けて、中に閉じ込められていた人々は次々目を覚まし、途方に暮れつつ今に至る。というのがばあやの話の全貌だった。
「お姉さまたちは?」
「馬車の中で腐ってます」
姉姫のアマリリスとアネモネは、雪に鼻面を突っ込みながら食料を探している馬を放置して、馬車の荷台の上でだるーんと伸びながら、
「だいたい、あいつら最初っから気に食わなかったのよ」
「どんだけ可愛いか知らないけど、人の亭主に色目使ってさ」
意外と元気そうにぶつぶつ文句を言いながら非常用の乾菓子を摘まんでいた。
「ねえ、もう帰らない? ガマニエル様もキンキラ亭主もいないんじゃ、私たちここにいる意味なくない?」
「でも帰るったってどこに? 蛙国は居心地悪いし、金銀の国は旦那不在だし、ボッチャリ国に出戻るのだけは嫌だし」
「私たち、帰るところがないってこと?」
「そうよ、お姉様。私たち、可哀そうな身の上なのよ」
「およよよよ」
泣き真似もどきも披露されているが、「この落雁美味しいわね」「金平糖もいけるわ」と、乾菓子を摘まむ手が止まらない辺り、悲愴感はまるでない。
「ああ、アヤメ。起きるの遅かったじゃない」
「ねえ、喉乾いたわ。飲み物ないの?」
そしてやってきたアヤメとばあやを見ると、ここぞとばかりに使おうとする。どこまでも自分本位な性質は変わらない。そもそも見た目が良いだけのお飾り姫など、サバイナルにおいて何の価値もないのだ、とばあやは内心で吐き捨てた。それに引き換え我が姫さまを見よ。
まずは雪を溶かして飲料水を作り、お腹を空かせている馬に干し草の餌を与えると、
「アマリリスお姉様、アネモネお姉様、こちらで待っていて下さい。旦那様方を探して参ります」
出立の準備を整えた。
すなわち、荷台に積まれていた布、ビニール、紐、テープなどを駆使して即興のそりを作りあげたのだ。アヤメはマッチ、蝋燭、ナイフなど最低限の荷物を布袋に入れて背負うと、ばあやと共にそりに乗り込み、
「行って参りますわ」
颯爽と雪原を駆け抜ける。
「アヤメ、王子様には目覚めのキスよっ」
「早く連れて帰って来てね!」
何のアドバイスかよく分からない姉姫たちの声を背に、スピードを上げていくそりを操るアヤメに、
「ところで、姫さま。婿殿がどこにいらっしゃるか分かるんですか?」
ばあやがもっともな疑問を投げかけると、
「任せて。匂いを追うわ」
鼻の穴を最大限におっ広げた姫さまがにこやかに振り返った。
見たか、お飾り姫ども。我が姫さまの嗅覚は野犬並みなのだ!
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