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gama9.魔王妃ラミナの逆襲
「久しぶりに手に入れた強い男だったのに」
「せっかくの精気だったのにぃ―――っ」
氷の彫刻から解き放たれた男性陣が、アヤメとばあやを囲んで和気あいあいとしている姿を見て、雪女たちがキーキー怒り声を上げ、白い霞を漂わせ始めた。粉雪のような小さな氷の粒が雪女の身体から沸き出し、渦を巻いて辺りに舞い散る。
「いいわよ、いいわよ、もうっ」「覚えてなさいよ」
「ラミナ様に言いつけてやるからっ」
「ラミナ様にかかればそんな安っすい愛情総崩れなんだからね――だ!」
雪女たちは昔ながらの捨て台詞と古典的なあかんべえを残して、白い靄に紛れて徐々に薄れていき、雪霞に溶けるようにその姿を氷の渓谷から消していった。
ラミナ?
どこかで聞いたような名前だと思ったのはガマニエルだけで、他の面々は残された問題の解決に勤しんでいた。すなわち、金と銀のお荷物王子たちは誰がどうやって起こすべきか。
「まあ、どうしてもと言うなら、ばあやが試してあげないでもないというか、…」
頭はイマイチだけど、綺麗だし。イケメンだし、綺麗だし。まあ、普通にイケメンだし。
「ばあや、接点ない」「ない」「皆無」「皆無」
名乗りを挙げたばあやをガラコスとルキアが止める。
下手なことをして氷漬けの人間が増えたら困る。というのがガラコス、ルキアの紛れもない本音なのだが、
これはもしや嫉妬!? と、相思相愛のお墨付きをもらったばあやの心臓が跳ねる。
やはり奴らはこのばあやに惚れておったか。いつも担いで、…いや、抱いて運んでくれるからもしやと思っていたが、やはり、…やっぱりか!
「二人がそこまで言うなら、やめとく」
急にしおらしく、きゅるんと潤んだ上目遣いでばあやに見られて、ガラコスとルキアは大いに怯んだ。多分何かを間違えた。絶対間違えた自信があるが、何を間違えたのか分からない。蛙獣人の背中には冷や汗がだだ漏れていた。
「俺は無理だぜ」
ふっとニヒルな笑いを忍ばせながらマーカスがガマニエルに視線を送るが、ガマニエルは全くこっちを見ていなかった。
「こう見えても一途な質だし、男はアニキだけって決めてるし、せっかくのアニキの想いを無にしちゃ悪いし、…」
チラチラと視線を送り続けるが、ガマニエルは全く気付かない。仕方がないので、金銀王子たちを突ついてホントに凍っていることを再確認してみたりする。だいぶ硬い。これはちょっとやそっとじゃ溶けそうにない。
「おーじ、罪作り」「無自覚たらし」
ガマニエルは雪女たちが消えた渓谷の向こうを見ていた。本物の寒帯国の街並みが広がっている。あの国の向こう、北の果てに目指す魔界がある。従者とトカゲ族の足があれば、寒帯国を越えるのもそう難しくないだろう。早く呪いを解いてアヤメと向き合いたい。
「あの、私、試してみ、…」
「お前は絶対にダメだ」
凍り付いたままの金のドゴール王子と銀のシルバン王子が可哀そうになってきたアヤメが、何とかしようと進み出るや否や、ガマニエルに瞬殺された。マーカスのつぶやきには気づかないが、アヤメの声には即時反応するという現金さ。アニキ、分かりやすすぎか。
「ここで大人しくしてろ」
アヤメはまたしても首根っこを掴まれ、ガマニエルの懐に抱かれた。ガマニエルは若干不機嫌である。
やはり、許可を得ずにキスなどしては失礼だったのだろうか。頭突きしてしまった顎が痛むのだろうか。
背後にガマニエルの温もりを感じながら、
でも。旦那様は、マーカスさんに、…
先ほどのマーカス救出劇を思い出して、アヤメも密かに悶々としていた。
何でこんなに胸が痛くなるんだろう。
「運んで帰って、奥方様方に起こしてもらうのが良いんじゃないすかね?」
アニキの薄情者。傷心のマーカスがやけくそにドゴール王子の彫像を担ぎ上げ、それに賛同してガラコスがシルバン王子を持ち上げる。ばあやを抱え上げたルキオは大変に身の危険を感じたが為す術がない。ガマニエルはアヤメが作ったそりに片足を乗せて雪道を蹴りながら進み始めた。一行は氷渓谷に背を向け、雪女たちと出会った雪野原を目指し始めた。
「…アヤメ」
アヤメが即興で作り上げたというそりは、頑丈で、ガマニエルが乗っても問題なくよく滑る。
この小さな人間の女の子は、何の武器も持たずにこの深い雪の中、俺たちを助けるために知恵を駆使して来てくれたのだ。何の見返りも求めずに。
今更ながらその勇敢さに感謝の念が込み上げてくる。
ガマニエルはじんわり満たされる心の内をうまく言い表せないまま、
「ありがとう」
腕の中に大人しく収まっているアヤメのつむじに、小さく口づけた。
《オホホホ、あの月皇子に誰かを愛することなど出来るはずがないわ》
広大な雪原を屈強な足で越えて、馬車と姉姫たちが待つ場所まで戻ろうとする一行を、赤紫色に光る三つの目がじっとりと見つめている。魔王妃ラミナは、かつて自分を弄んで簡単に捨てた美の化身の、変わり果てた姿を心の底から嘲り笑っていた。
《せいぜい、恋愛ごっこを楽しむがいいわ。己がいかに醜く獰猛で残忍な化け物か、しっかりと思い出させてあげる》
一行は無事に馬車までたどり着き、姉姫たちによって金銀王子たちも元に戻された。蜥蜴日和で乾杯するはずがすっかり空っぽになっていたという事実もあったが、腹を立てるどころか、そんな面倒くさい旅の道連れに愛おしむような目を向けているガマニエルに、ラミナの復讐心は加速するのだった。
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