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寒帯国の北端には、ラミナスゲート、通称、恋人選びの門と呼ばれる氷の洞窟があり、現在魔界へ行くにはその洞窟を抜けるのが唯一のルートとなっている。
「この洞窟は真の恋人だけが抜けられるという伝説がありましてね、若いカップルなんかには人気のスポットなんですよ。ただ、実際には迷い込んで出られなくなることも多いですし、万が一魔界に通じてしまったら帰って来られる保証はありませんから、基本的には閉鎖されているんです」
アヤメとガマニエルたちの一行は、寒帯国の最北に位置するラミナスランドに来ていた。
案内役を買って出てくれたモリス卿と呼ばれる司祭に連れられ、目指す魔界へ通じるというラミナスゲートの前までやってきたが、そこは見渡す限りの広大な氷山で、分厚い氷の壁が天高くまでそびえたっている。その麓に造られた氷の洞窟は、氷河が溶けたり固まったりして出来ているそうで、時により刻々と形を変えている、いわば、生きているのだと言う。だからこそ危険が大きく、原則立ち入りは禁じられているらしい。
「ただ、年に一度、ラミナス祭と呼ばれるお祭りが催されているのですが、その時ばかりは入り口を開放しています。洞窟をライトアップしましてね、氷の迷路をくぐって出てくるというイベントを行うんです。勿論あくまで入るのは入り口だけですが、若者たちに人気で。晴れて二人で出てこられたらそのカップルは永遠の絆で結ばれるといわれています」
なるほど。と、ガマニエルは思った。
そのラミナス祭とやらが明日に迫っているから、普段はあまり人が寄り付かず、ひっそりしているというこの洞窟が現在、祭りの準備で大いに賑わい、装飾が施され、煌びやかな電飾に彩られているのか。
魔界へ行くためには強硬に洞窟に立ち入り、先に進むしかないが、今立ち入れば、ラミナスランドの人々が楽しみにしている祭りを台無しにしてしまうだろう。
「祭り、終わるの待つ」「待つ」
ガラコスとルキオの言う通り、明日から3日間の祭りが終わるまで待つのが賢明だろう。
以前、魔界に行った時には阻まれるものなど何もなかった気がするが、月皇子時代、ガマニエルは無知で無敵だった。自分は何でも出来ると思っていた。誰かが力を貸してくれたことにも気づけないくらい愚かだった。
「それでは、ぜひ皆さんもお祭りを楽しんでいって下さい」
祭りの間、モリス卿の好意で教会に泊まらせてもらえることになった。
街は祭り前夜で浮き立っていた。
通りには既にいっぱいの装飾が施され、出店も多く、前夜祭の盛り上がりを見せていた。酒を酌み交わしたり、力比べをしたり、仮装をして歌ったり踊ったりしている人もいる。街の人々で賑わう食事処に入ると、ラミナス祭バンザ~イと、見ず知らずの人と乾杯を繰り返すことになった。
「私、お祭りの空気、好きなんです」
アヤメがにこやかに出逢ったばかりの人々と乾杯し、談笑している。
「楽しみですね、姫さま」
そんなアヤメの様子にばあやも嬉しくなった。
アヤメは皇女だったので、庶民の祭りに参加することもできず、かと言って王族向けの酒宴によばれることもなかった。ばあやたち使用人と一緒にいて、祭りの空気を遠巻きに楽しむしかなかったのだ。
「なあ、この地ビール美味いな」
「蜥蜴日和もいいけど」「これもいい」
マーカスとガラコス、ルキオはビールを片手に機嫌よく、
「このホップボッフっていうおつまみ、なかなかやるわね」
「揚げ豆なの? めっちゃくちゃ地味なのに、癖になるわ」
アマリリスとアネモネも珍しい食事にはしゃいでいる。
ガマニエルは先を急がない旅も悪くない、と思った。その土地でしか見られないものを見て、そこでしか味わえないものを味わう。その地の風習に触れ、そこの暮らしを知る。世界は広い。まだ見知らぬものがたくさんある。
何よりアヤメが嬉しそうだ。
「ところで、この洞窟イベント、今からでも参加できるんですか」
「雪灯篭を持って洞窟に置いて帰ってくるなんて、ロマンティックですわ」
アマリリスとアネモネが、先ほど見てきた洞窟のカップルイベントに興味を示していた。
「君たちには僕らを目覚めさせてくれた恩があるからね」
「是非ともエスコートしようお姫さま」
金銀王子たちが、以前にも増して妻のご機嫌取りに精を出している。相思相愛と言われて嬉しかったのかもしれない。
「もちろん、参加できますよ」
モリス卿が洞窟イベントのチラシを見せながら朗らかに説明する。
「当日は皆さん、思い思いにドレスアップして参加するんですが、その服装はパートナーには秘密で、しかも仮面をつけるという決まりがあるんです。雪灯篭の灯りだけに彩られた幻想的な洞窟の中で、真のパートナーを見つけ出すというゲーム性を出すためなんですけど。そうと決まれば、明日、貸衣装店にも行かれるのもいいですね」
「まあ、楽しそう」「衣装選びもポイントですわね」
アマリリスとアネモネはますますはしゃいだ声を上げ、
「僕は中世の騎士の格好をしてみたい」
「いや、だから内緒にしろって」
金銀王子たちもまんざらでもなさそうだった。
そんな姉姫たちとアヤメを見比べて、
「姫さま。私たちも参加いたしましょう!」
ばあやが名乗りを挙げる。アヤメにももっと積極的に楽しんで欲しかったのだが、
「え、…」
アヤメは戸惑ったような目をガマニエルに向け、ガマニエルは途端に現実に引き戻された。
「…え、こちらもカップルなんですか?」「ベストカップル!」
密やかにガラコスに問いかけ、囁き合うモリス卿の声が聞こえる。これが現実だ。
「てか、ばあや誰と出る?」「お前?」「お前?」
アヤメが俺と出たがるはずがない。こんな醜い化け物と。カップルなどと言われても、笑いものになるだけだ。
「…俺は先に教会に帰っている。楽しんでこい」
ガマニエルは飲みかけの地ビールを置き、盛り上がっている面々を残して食堂を出た。アヤメの追いかけるような視線を感じたが、振り返らなかった。
アヤメが一途に自分を慕ってくれることは嬉しい。かけがえなく愛おしい。だからこそ、その想いを誰にも傷つけて欲しくない。今の自分の巨大で醜悪な姿では、人目に触れずにいることは難しい。どうしたって、物笑いの種になる。このままでは、アヤメを嘲笑から守れない。
祭り前夜の煌びやかな装飾の向こうに暗い空が見える。
世の中に、アヤメと自分の二人だけなら、…
そう思いかけて、余りの女々しさに自嘲した。
祭りが終わったら、早く魔界に行こう。早く生贄を捧げて、元の姿に戻ろう。
そうしたらきっと、ちゃんとアヤメに向き合える。
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