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「お、美味しいっ」
「姫さま、慌てて召し上がってはいけません。毒でも入っていたら、…っ」
空腹に勝てず、アヤメもばあやもがつがつと乾飯を口に放り込む。ガマ獣人が差し出した乾飯は、正確には蓮根をすり潰して丸めた蓮根餅だった。乾燥して甘みが増し、わずかな塩気が旨味を誘う。
素直にがっついたアヤメも、口では警戒しつつも止められないばあやも、あっという間に食べ終わり、恐る恐る差し出されたおかわり分もぺろりと綺麗に平らげてしまった。
「こんな美味しい蓮根食べたことがないわ」
「大げさですよ、姫さま。せめてここ50年で一番美味しい、くらいかと」
「それって、ばあやの人生で一番ってことじゃない?」
「ばあやは永遠の18歳にございます」
軽口が叩けるのも度重なる空腹が満たされたからだ。アヤメとばあやの顔は自然とほころぶ。
「お嫁様、蓮根好き」「好き」
「我らの蓮根、好き」「好き」
ガマ獣人たちにも笑顔が伝播する。
「我ら、お嫁様迎えに来た」「乗って」「乗って」
アヤメとばあやはガマ獣人の肩口に担ぎ上げられ、引き上げられた馬車は軽々とぬかるみを外れた。アヤメとばあやを乗せ、馬を引きながら、ガマ獣人一行は超高速で走り始めた。獣人たちは人間や動物よりも身体能力に優れているらしい。
「すごい、速い、爽快!」
初めて体験するガマ獣人の俊足にアヤメは大喜びで、
「お嫁様、嬉しい」「嬉しい」「我らも嬉しい」「嬉しい」
ガマ獣人たちも心なしか鼻の下を伸ばしていた。
「レディを担ぐとは罰当たりな」
一方、蛙特有のぬめっとした皮膚を間近に感じたばあやは若干腰が引けており、
「ばあや様、うるさい」「うるさい」
ガマ獣人たちのこめかみもしばし引き攣る。
「姫さま、油断なりませんよ。こやつらワタクシたちを太らせて王太子の餌にしようとしてるのかもしれませんからね」
「ばあやったら、疑り深いのね。大丈夫よ、美味しいものをくれる人に悪い人はいないわ」
「姫さま。それ、一番信じたらダメなやつですよ…」
ガマ獣人たちの類まれなる素晴らしい走りで瞬く間に森を抜け、どんよりとした空の下、沼地ばかりの土地が開け、慎ましやかな街の向こうに蔦に覆われた王城らしきものが見えてきた。
「王子、お嫁様待ってる」「待ってる」
お城でガマ王太子が待っているらしい。どうにもどんよりとしたうす暗い国だけど、沼地には蓮の葉が茂り、花の時期にはその麗しさで見る者の目を楽しませてくれるだろうことが想像できた。葉の下には根が育ち、あの美味しい蓮根が取れるのだろう。蓮池からは蛙国らしく、カエルの合唱が聞こえる。
《ゲロゲロゲロ》
《クワクワクワ》
《ヨメヨメ オヨメ》
《キタキタキタ》
《オヨメサマ サマ》
《キタキタキタキタ》
3姉妹の中で、姉二人はそれはそれは美しく、長女アマリリスは気高い光、次女アネモネは可憐な花ともてはやされてきたのに、三女のアヤメは顔の造形も身体の作りも地味で低い鼻にそばかすばかりが目立ち、王家の恥と貶められてきた。アヤメは姉姫たちのように着飾ってパーティに出るよりも、使用人と田畑に出たりばあやの掃除や調理を手伝って過ごしたりする方がずっと性に合っていた。
それでも自分の容姿には引け目を感じていたし、求婚がなくて父王を失望させたことも気に病んでいた。
だからアヤメを引き受けてくれるというガマ王太子には感謝していたし、自分の輿入れを歓迎してくれているような蛙たちの合唱に感動もしていた。
「…本当に、食べる気はないんでしょうね?」
ばあやが恐る恐る手を伸ばし、ガマ獣人の大きな口の端を指で摘まむと、
「少なくともばあや様は食べない」
ガマ獣人はぺっぺと長い舌を出した。
「おのれ~、ワタクシを枯れてる年増とか言いおって!」
「ばあや様、枯れてる」「枯れてる」
ガマ獣人たちがケロケロ笑い、アヤメは幼い時から唯一自分を気にかけてくれたばあやが楽しそうにしていることに心から安堵した。
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