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ガマニエルは美しい。
雪灯篭の祭壇の灯りで、美しく着飾った人々に囲まれて、拍手喝さいを浴びているガマニエルは、気高く誇り高く崇高な王子そのものだった。蛙国のガマ妖怪などと揶揄されていても、内に秘めた生まれながらの美しさと麗しさは隠せない。アヤメは、優雅に踊るガマニエルの美しい動きに魅せられながら、一瞬たりとも見逃さないようにしっかりと目に焼き付けた。
選べる自由があれば、敢えてアヤメなど選ばない。
姉姫たちに言われるまでもなく、アヤメ自身が一番身に沁みて分かっている。
『よく来た、アヤメ』
優しい声。艶やかに深く、甘く沁みる声。確かに受け止めてくれる強靭な腕。
一番近くに居させてくれる奇跡に甘えていた。でも、本当はこんなにも手の届かない人だった。
ガマニエルはアヤメの目の前でアマリリス、アネモネと親密に寄り添いながら、雪灯篭を祭壇に掲げ、誓うように互いの灯篭を積み重ねた。
会話が禁止されていなくとも、声は出せなかった。身じろぎも出来なかった。
ただ、胸の奥が痛くて、とめどなく血が溢れ出しているのを感じていた。
ガマニエルと姉姫たち、そしてマーカスは祭壇に灯篭を置くと、もはや振り向きもせずに灯篭の間を後にした。
アヤメはその姿が見えなくなるまで目を離すことが出来なかった。
…この娘はダミーなのか?
魔王妃ラミナは氷の壁の花を全うした惨めな小娘を見降ろした。
雪女たちが作った氷の渓谷で見た時は、ガマニエルがずいぶん大事にしているようだったが、所詮氷の彫刻から解き放たれるための駒に過ぎなかったのか。まあ、冴えない牛蒡娘だ。冷静に考えれば分かることか。
この娘の容姿を変えて見知らぬ男たちにちやほやされれば、この娘がガマニエルから心変わりし、ガマニエルが己の醜さに身もだえるというのがラミナの考えた筋書きだった。しかし最初からガマニエルがこの牛蒡娘などどうでも良かったのなら、功を奏するはずもなかった。
どうしたものかと思っていると、突然壁の花が身じろぎし、人手をかき分けて走り出した。牛蒡娘は用無しのような気もしたが、一応ラミナも後を追った。
魔王妃ラミナがいる。
氷の洞窟に入り、雪灯篭の間まで行き着いたガマニエルは、イベントに沸き立つ参加者の中にアヤメの姿をようやく見つけた。だがすぐに、その隣に立つラミナの姿に気づいた。やはりアヤメを連れ去ったのはラミナだった。急いでラミナからアヤメを遠ざけようとしたのだが、ラミナに張り巡らされた恐ろしいまでに強い妖気を感じて留まった。ラミナの目の中には、自分の様子をうかがっている魔王ドーデモードの見えない目がある。
見られている。
かつてドーデモードはガマニエルに呪いをかけ、
『愛する者を傷つけられる痛みを思い知るがいい』
そう言い放った。
『呪いを解く方法は一つ。吐き気がするほどのその醜さを受け入れ、お前と生涯を共にしようという者が現れたら、我にそやつの腸を差し出すのだ。お前にそれが出来るならばな』
ガマニエルは呪いを解くために花嫁を娶った。
呪われた容姿の自分を受け入れてくれるものなどいないと思っていた。
だが、アヤメは違った。
嫁いできたアヤメが、醜悪なガマニエルの姿から目を逸らさず、真っすぐに見て頭を下げたことを思い出す。その温もりを抱きしめて共に眠ったことを思い出す。魔界への旅について行きたいと言った。新婚旅行みたいで楽しいと言ってくれた。雪女に捕らえられた自分を助けるために、そりを走らせてくれた。彫刻から解き放つために、キスしてくれた。
妖怪の姿をした自分を厭わずに見つめてくれる。
そんな人にはもう二度と会えないだろう。
生贄として、アヤメを連れていくわけにはいかない。
生涯を共にしようとする者は別にいると、ドーデモードに信じさせねばならない。
アヤメの姉姫、アマリリスとアネモネがそこにいたのは幸いだった。向こうから飛びついてきて、願ったり叶ったりだった。ダンスをし、共にこの洞窟を抜ける意思があるかどうかを確認し、出口に急いだ。
ただし、イベントの出口ではない。この恋人選びの門を抜ける、魔界への入り口だ。
ドーデモードの値踏みするような視線を感じる。
「ガマニエル様は私を選んでくださると思っていましたわ」
「いいえ、選ばれたのは私ですわ。先にダンスを踊って下さったのは私ですもの」
「それはお姉様、本番に備えた余興ですわ」
「誰が余興じゃ、こら」
カップルイベントから外れ、魔界の気配が強まる方へ道を逸れてから、アマリリスとアネモネは解き放たれたように話し始めた。それまでは意外にも会話をしないという決まりを律義に守っていたらしい。
「…ていうか、俺の立場はどうなるんすかね、アニキ」
とぼやきながらも、トカゲ族長のマーカスは多くを語らない兄貴分が、溺愛しているアヤメではなく、酒好きな姉姫たちを連れて魔界へ向かっていることに、なにがしかの意図を感じていた。
アニキは魔王と対戦するつもりなのか。マーカスの荒くれたトカゲ族の血が沸々と踊る。砂漠で見せてくれたアニキの戦いっぷりをもう一度みたい。そして自分も加勢したい。魔王と戦うなんて、未だかつてない一大スペクタルショーじゃん。
「お嬢様方、最高にエキサイティングな瞬間をご覧いただくことになると思いますよ」
「トカゲは黙って」
そのためならば、無礼な酒好きを抱えてついて行かねばならないことも我慢できるさ。
灯篭を置いてきたので、洞窟の中は暗かった。先の見えない鍾乳洞を妖気を手掛かりに進みながら、ガマニエルはアヤメの姿を思い出していた。雪灯篭を祭壇に捧げる時に、蝋燭の灯りに透けてアヤメの姿が見えた。
すぐに抱きしめたかった。無事でよかった。可愛すぎた。
白い無垢なドレス姿のアヤメは蓮の妖精のそのものだった。
俺の嫁が可愛すぎる!!
どうか、アヤメがありのままで笑っていられるように。
世界一幸せであるように。
そのために犠牲にするもののことは、考えないようにした。
洞窟の出口はもうすぐだ。
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