gama3.月皇子の苦悩

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gama3.月皇子の苦悩

大陸の西の果てに位置する蛙国は、正式にはカレイル国という。 雨が多く、あらゆる種類の蛙が住み着いていることから、いつしか蛙国と呼ばれるようになった。蛙国は豊饒な大地に恵まれ、民はおおらかで働き者、四季折々の花を愛で、土と会話し、鳥と翔け、蛙と歌いながら、雨に感謝して日々の暮らしを楽しんでいた。 その国に、未だかつて誰も見たことのない、美の化身のような皇子が産まれた。遥か東の国王も、南の女王も、麗しの皇子を一目見ようと駆けつけた。皇子の姿を見た者は皆、日がな一日幸福感に包まれた。皇子の美しさに触れると、病に伏した老婆は寿命が延び、身体を負傷した若者の傷は癒えた。それほどまでに、皇子は神々しい美しさを持っていた。 美しき皇子は、ガマニエル・ドゥ・ニコラス・シャルルと名付けられ、成長するにつれて眩い輝きだけでなく、愁いを帯びた艶めかしさも併せ持ち、見る者をますます惹きつけた。老若男女を問わずその姿に魅せられ、人々はガマニエルを崇め讃え、見惚れ惑い、その目に映るためならば何でもした。ガマニエルのために命を捧げる者も後を絶たなかった。 ガマニエルはその類まれなる美しさから、太陽も月も虜にしたが、その艶めいた魅力からいつしか月皇子(ムーンプリンス)と呼ばれるようになっていた。 月の皇子ガマニエルに手に入らないものはなかった。人生全てがイージーモードだった。ガマニエルが少し近づいて、低く囁きかければ、大抵のことは上手くいった。誰もが簡単に自分に跪いた。自分に出来ないことはない。この容姿の前には、困難さえもひれ伏した。 そんな日々を過ごして、ガマニエルはすっかり尊大になっていたが、同時に何もかもが簡単過ぎて、己の人生に飽き飽きしていた。つまらない。退屈だ。全てに意味を感じない。 そんなガマニエルのために、ある時、太陽と月が余興を申し出た。 北に巣くう魔界の王ドーデモードが全身全霊をかけて溺愛する奥方を誘惑出来るかどうか、賭けをしないか、と。太陽と月はやりたい放題に世界を荒らすドーデモードを懲らしめたいと思っていたのだ。簡単すぎてガマニエルは乗り気ではなかったが、太陽と月に、賭けに勝てば昼と夜の支配権を与えると言われ、興味が沸いた。昼と夜を自由に使えたら、退屈しのぎになるかもしれない。ガマニエルは即座に国務を放棄して、意気揚々と北に向かった。魔王の妻だろうと、何だろうと、自分に落とせない女などいない。5秒で片をつけてやると思っていた。 実際、魔王の妻ラミナは簡単に落ちた。 ガマニエルに抱き寄せられるとすぐにその気になり、魔王ドーデモードを捨てて、共に逃げたいと言った。賭けに勝ったガマニエルには魔王の女などどうでも良かった。手ひどく拒絶すると、ラミナは失意の底に落ち、やがて怒りに駆られて夫にあることないこと吹き込んだ。愛する妻がガマニエルに無理やり汚されたと信じたドーデモードは激怒し、ガマニエルとその国に呪いをかけた。 穏やかだったカレイル国に呪いの雨が降る。 太陽も月も呪いの前にカレイル国を照らすことが出来ず、カレイル国は蛙国にふさわしいじめじめと薄暗い国になった。同時に。月皇子はこの世で一番醜い姿に、国民はガマ獣人に、その姿を変えられた。 『愛する者を傷つけられる痛みを思い知るがいい』 ドーデモードはガマニエルに告げた。 『その醜さで蔑まれ、己の所業を死ぬまで後悔するのだ。呪いを解く方法は一つ。吐き気がするほどのその醜さを受け入れ、お前と生涯を共にしようという者が現れたら、我にそやつの腸を差し出すのだ。お前にそれが出来るならばな』 醜悪なガマガエルの妖怪になった月皇子に近づく者はいなくなった。 誰もが恐れ慄き、嫌悪し、辱めて拒絶した。 本当にガマニエル自身を愛したものなどいなかった。ただうわべの美しさがもてはやされただけだった。誰にも見向きもされないばかりか、妖怪王子と疎まれ、自身がいかに無知で傲慢で愚かだったかを思い知らされた。自分は井の中の蛙だった。 ガマニエルは後悔に苛まされ、絶望に沈んだが、国民は希望を失わなかった。 この国に、ガマ王子にお嫁様が来れば、呪いが解けると信じ、救いのお嫁様を探し続けた。取引に腸が使われることは知らなかった。 満月前後、月の力が満ちる夜、わずかな期間だけ、月は慰めに皇子を照らすことを許された。その光の中で、ほんのひと時、ガマニエルはかつての月皇子の姿に戻る。 しかし、その姿はガマニエルの心を暗く塞がせるだけだった。本当の俺は、蛙の化け物なんかより、ずっと狡猾で醜い。思い上がった愚か者だ。
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