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冬休みほど、特別に感じる休みはないだろう。クリスマス終わりに来るその休みは儚く、大晦日、正月と、重要な日が満載だ。それに十二月二七日のこの日は――初雪であった。
外では雪がちらついている。年の離れた小学生の妹が、
「つもる? これ、つもる?」
とはしゃいでいた。母さんは外を細目で見て、
「これじゃあ、つもらんやろ。」
と言った。妹はあからさまにがっかりした表情をした。
電気ストーブに温められたリビングに僕達は安心を覚えた。誰かがシャットダウンをせず、放置しておいたのだろう。家族用のパソコンは、ちかちかと電源部分を光らせていた。
表情を下げた妹はまだ諦めていないらしく
「どれくらいならつもる? ねえ、どれくらいならつもる? ながくふったらつもるよね?」
と切望するように再び聞いた。然し、
「もっと大きな雪がたくさん降らんとつもらんよ」
と母さんはスマホのパズルゲームをしながら返した。妹は理不尽な目にあった顔をして、
「ねえ、どこまでいった? いちまんいった?」
と現実から逃げるようにとうとう興味をパズルゲームへと変えた。
僕も小さい時分は雪が好きだった。それこそ妹のように、雪が積もるかどうかよく母さんに尋ねた。雪というものが持つ魔法。それは閉じた本ようだった。雪が積もれば、景色が変わる、雪合戦ができる、雪だるまが作れる、ソリに乗れる……、要するに、雪というものの中に、沢山のわくわくが詰まっていているのだ。子供はそれを夢見て、雪が降る度に積もるかどうかを確認する。
然しこの年になって少し分かってきたのだが、大人は雪に対して、重労働の雪掻きが必要となる、靴下がべちゃべちゃになる、車が進まない、交通機関が止まる、――けれど会社はある、といった風にマイナスばかり出てくるから、積もらないでほしいという意味で積るかを気にする。
だから大人はよく、雪にはしゃいでいる子供たちを見て、定型文のように「俺も昔はああだった」と、何か大事なものを落としたかのように言う。けれどよく考えてみれば、本質的には何も変わっていない。子供だって塾やら注射やらの前はマイナスのことを考えて、うつむいたり、いじけたり、泣いたりする。ただ、立場や環境が変わっただけで、特に何かを失ったわけではない。大人も子供もさほど変わらない。みんな自分にとって良いものはわくわくするし、嫌なものはぐじぐじする。
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