ⅢーⅠ

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 店内はすごかった。本棚があちらこちらにあって、その中に本が溢れる程に詰まっていた。本屋さんや図書館でもそうなのだが、こうやって本に囲まれると、無性にわくわくしてくる(稲垣の部屋までいくと別だが)。僕はそれこそきらきらした目で、温かい店内をぐるっと見渡しながら、二人がけの席に座った。僕達の席の近くには画集の棚があり、今にも画家が筆とキャンパスを抱えて飛び出してきそうな感じがした。    僕はホットコーヒーとホットケーキ、甘党の稲垣はココアとチーズケーキを頼んだ。頼んだ後、少し躊躇しながらも席を立ち、ふたりとも別々に本棚を見て回った。  それぞれ好きな本を持ってきた僕達は再び席についた。僕は生物系でちょっとユニークなタイトルの本を持ってきて、稲垣は難しそうな西洋の小説を持ってきた。  図書館と似た静けさに、僕と稲垣はそれぞれの時間に入った。周りはもう無かった。そうやってしばらくふたりで飲み物をすすりながら沈黙し、本の世界を散歩していると、横からホットケーキとチーズケーキがやってきた。僕達の散歩はそこで一時中断された。その時お互いの目が合って、ふたりして微笑んだ。それは恥ずかしさと満足と偶然必然の混ざり合った感情によるものだった。  それから再び僕等は本の中へと入った……。  しばらくすると、僕は先に集中が切れて、残り半分となったコーヒーをすすりながら少し周りを見渡した。すると、穏やかなピアノとヴァイオリンのBGMが聞こえてきた。橙色の含まれた優しい照明、窓から入る光も店のものだった。木製のテーブルと椅子、そこに置かれたカップの中には純粋な黒いコーヒー。コーヒーはほろ苦く少し酸味のある飲みやすいものだった。カップの下には黄色い花が刺繍されたコースター。稲垣のココアの方には紫の別の花が刺繍されていた。  ――不穏などない。肩の力は自然と落ちる。社会、交通、雑踏、学校、テスト……、そして時間。そういった全てのものからの解放。今自分は指定された席にいながら、どの自分よりも自由を感じていた。ああ、一生ここでいい。そんな思いを未熟な高校生ながら、本気で思った。別にマセているわけではい。格好つけているわけではない。疑うなら一度足を運べ。この感覚は遠くからスマホで見ているだけじゃ絶対に分からない、最新現代が作り出したアナログであり、アナクロな位置に僕は今いた。――そういえば、ミツメの存在も忘れていた。
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