第一球 球のある店

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第一球 球のある店

00. 狭山桐治  落ち着いたジャズ風の洋楽に、シンプルな木肌を生かした飴色のテーブル。  店内には似たテーブルが六脚並び、奥には同色のカウンターがアンティークの照明を反射して鎮座する。  都会の隠れ家のような喫茶店は、一昔前なら年配者に好まれたことだろう。  残念ながら、扉の横のウインドウ以外は壁ばかりで、薄暗いとも言える雰囲気では、流行りの洒落たカフェほどの賑わいは期待できない。  しかし、少ない客であっても、狭山桐治(さやまとうじ)を張り切らせるには充分な数のはずだった。  土地も店も、亡くなった親から受け継いだ財産である。十年掛けて資金を貯め、喫茶店として改装を施して今日の開店にこぎつけたのだ。  ゆくゆくは店の正面の壁を取っ払い、カフェテリアのようにするのもいいだろう。  通勤客の多い紀多駅から徒歩五分の立地も、決して悪くは無い。  正午のオープンから夕方まで、客足自体は途絶えずに来た。 「おい! 何だこれは!」  問題はこれだ。今日、七件目のクレーム。  バイトで雇った女子学生が、ビクビクと頭を下げる。  何度も見た光景に、桐治は慌ててカウンターから出て、彼女と場所を替わった。 「申し訳ありません……」 「いきなり口の中に入ってきたぞ。どうなってんだ!」  語気荒く、若いサラリーマンがソーサーに置かれた()を指す。  まただ。  コーヒーで汚れていても、前の六件と同じガラス玉に違いない。 「お代は結構ですので……」 「当たり前だ。もう来るかよ、気持ち悪い」  男は荷物を掴むと、乱暴に扉を開けて店外へ飛び出た。  カランカランとけたたましく鳴るドアベルが、桐治を更に責めたてる。  これで遂に店内は、彼とバイトだけだ。  コーヒーに小さな球が入っているという苦情は、半時間毎に繰り返されていた。  彼はピンポン玉より少し小さな球をナプキンに包み、その手に拾い上げる。  球を汚す茶色い液体を拭き取って、しげしげと目を凝らした。  開店への嫌がらせかと思ったが、球を入れた方法に見当がつかない。  コーヒーを煎れた時点で無かったということは、客に出してから混入されたのだろうか。  それが出来るとしたら、バイトの女の子だけ。  視線をバイトに向けた桐治は、同じように不審な顔で見返す彼女と目が合った。 「私じゃありませんからね」 「わ、分かってるよ。疑ったりしてない」  エプロンを脱ぎ出した女子学生は、そのまま裏の控え室へと歩いて行く。 「おい、君。怒ったのか?」 「上がる時間です。六時までの契約です」 「まだ五時半じゃん!」  たっぷり時間を掛けて帰宅準備をした彼女は、確かに六時ちょうどに店を後にした。  その間、新しい来客はゼロ。  度重なる客からの叱責に気落ちした新米店主は、七時半までの営業時間を切り上げ、小さなシャッターを降ろしたのだった。
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