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彼女達の話
かつて私は人形でした。無垢な少女を題材とした、少し変わったアンティーク人形でした。まず初めに、私の来歴がどのようなものかを説明しなければなりません。
私の一番最初の持ち主が誰だったか、今となっては覚えていません。ただ、私は一つの家に留まることなく、ある時は他家に譲渡され、またある時には売りに出され、その度その度新たな家に辿り着き、その都度その都度丁重に扱われてきました。
ところで、日本には付喪神という伝説があります。歳月を経た道具に魂が宿り、妖怪に変化するというものです。恐らく私もその類でしょう。幾人もの人々の手に渡るうち、私は空っぽの陶器の器の中に、心を持つようになったのです。
ガラス製の目に移る私の持ち主達の顔は、決まって楽しそうなものでした。彼ら彼女らが私を抱く間笑顔を見せることに、私は強い誇りと矜持を持っていました。
そんな訳で私は様々な人間を観察し、その表情や仕草を瞼の裏に焼き付けてきました。故に当時の私は並の人間よりは、人間のことを理解しているつもりでいました。感情の移ろいについても表情の変化についても、私はその仕組みを完璧に分析しきっていると自負していたのです。
しかしそんな私にも、たった一つだけ分からないものがありました。それは人間の生き様、いわゆる人生というもののことです。人間には人間特有の生活様式があり、当然のことながら、その全てに人形が干渉できる訳がありません。
ですから学校だとか仕事だとか、交友だとか恋愛だとか、知識として熟知しているものでも、そのあり方について解している訳ではなかったのです。
私はいつしか、人間になってみたいと思うようになりました。その時の暮らしに満足していなかった訳ではないのですが、好奇心の昂りを抑えるのはどうも心地のいいものではなかったのです。
何せ当時の私は人形。目に光を映すことはできても、眼球を動かすことは出来ず、人の手で触れられることはあっても、人の肌に触れることは不可能。体を動かせなければ欲を満たすことも出来ず、そもそも欲なるものも湧き出てきませんでした。
三大欲求の存在しない人形の思考回路に、たった一つだけ宿っていた欲が、留まることを知らない知識欲だったのです。人間になればその欲の真意を理解出来る、そう考えていました。すると幸か不幸か、その願いを小耳に挟んだ酔狂な神がいたようです。まさかあんな奇天烈な体験を経ることになるとは、当時は予想もしていませんでした。
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