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プロローグ
大理石で作られた、白い沐浴室。
湯に浸かりながら、青年は自らの膝の上に座っているその女に目を奪われていた。
その名を、呼ぶ。
「――――月花」
ちゃぽん、と水音が響く。
――――茗月花。
背を向けたままの女の、その細いうなじ。
そこに垂れ落ちて誘う、滑らかな黒髪。
ほんのり赤く染まった白い肌。
青年の呼びかけに、こちらへ振り向きかけた月花は、ふと動きを止めた。
少し俯いて動きを止めると、困ったようにその唇から吐息を溢す。
「―――見ないで······」
単なる一言なのに、どこかとてつもない誘惑を孕んだような声音。
そして、一糸纏わぬ月花の全身からたちのぼる、そのなんとも言えない艶かしさに、青年は自身の若い欲望が膨らみはじめたのを感じた。
齢、十八。
およそ衝動をとどめておく術など、知るはずもない。
自然な流れで、広い浴槽の中で、手を伸ばして、彼は月花の華奢な肩に触れていた。
「··········っ、」
息を呑む気配がして、ゆっくりとこちらを振り返る。
「····月花」
大きな薄茶の瞳を縁取る長い睫毛。
そのまま制止しようと伸びてきたその手のひらを、青年は左手で留めた。
彼女から、小さな非難の声があがる。
「······殿下」
我慢など、できるわけがない。
青年は無言のまま、左手でその他愛もない反抗を封じこめて、身をかがめると、背後からその華奢な肩に顔を埋めて、唇を滑らせた。
「·············っあ」
たちまち彼女の肌からたちのぼる、痺れるほどの甘い香り。
唇から感じる、熱を帯びた、女の肌。
「····お前の肌は、蜜のようだ」
掠れた声で青年は呟いていた。
想像していたのよりも、ずっと――――たまらない。
やがてしばらくすると、青年は目を伏せて、ハッ····と苦しげに息を吐いた。
もはや、その衝動はどうしようもなく高まっていた。
再び身をかがめて、今度は肩だけでなく、首の後ろや、耳や、鎖骨など、思い付く限りの場所に熱い印を落としていく。
「··········やっ、―――ぁっ」
月花の口から、激しい嬌声が迸る。
だが、彼はかまわず、そのまま月花を背後から抱き締めて、唇を落とし続けた。
甘く、噛みつくように。
やがていつのまにか、青年の右手は肩を辿り、その下にある二つの膨らみにたどり着いている。
「·········っ、ぁ」
包み込んで、優しく揉みしだきはじめた青年の手を、月花は顔を歪めて、必死に止めようとするが、それは全く功を奏さない。
「殿下―――――殿下····っ、」
身体を波打つように揺らして、懇願ともいえそうなほどの表情を浮かべる。
――――たまらない。
眼前に広がる、そのあまりにも扇情的なその光景に、思わず青年の心は、ぞくりと震えた。
女の耳元に唇を寄せて囁く。
「―――さすがに止まらぬ」
気づけばもう、止めようがないほどに全身が燃えていた。
やがて。
「―――こちらを向け」
青年の命令によって、女はゆっくりと湯の中で身体を反転させられた。
ぱしゃ····と水音が空間に反響する。
そして。
「····許せ」
「····―――いけません、お約束では····」
女はこの期に及んで、そんな言葉を口にしたが、それは青年を焦らして劣情を募らせるだけであり、もはや手遅れだった。
「知らぬ」
「·····やっ···」
青年は、有無を言わさず女の腕を掴んで、その身体を全身で包み込むように抱き締めた。
湯の中で完全に昂って張りつめたそれが、女の腹部に押し当てられる。
「―――だめ」
「····聞こえないな」
青年は顔を寄せながら、少しだけ、意地悪に微笑んで。
突然、貪るように唇を奪った。
「········――――」
「·········っ、」
濡れた髪が、頬に張り付く。
滴が、したたりおちて、唇を濡らす。
「―――――っ、は」
舌が絡みあう長く激しい口づけの最中に、ただ息を接ぐためだけに、二人は離れて、また夢中で重ねた。
そうしているうちに、二人の視線もまた、どうしようもない熱を孕みながら、交わりあっていく。
そして。
「······っ、殿下ぁ······っ」
やがて、時を置かずして、その場には激しく水が波立つ音が響きはじめた。
「っ····いけませんわ·····こんな、湯屋で」
「·······ふっ、·······なぜだ?こんなに、良いのに」
「····道徳に······、反しますもの·····っあ」
たとえようもない愛らしい声がその唇からこぼれてくる。
「月花······」
抑えられる訳が無かった。
そして、女は青年の腕の中で、抵抗にならない程度にもがく。
青年の中の嗜虐心を呼び覚ましていくように。
その耳に囁いた。
「月花····お前の、この······滑らかな肌を食った男は、この世にどれほどいるのだろうな······?」
耳朶に舌を這わせて、青年の吐息は月花の頭の内側までも犯していく。
満月の浮かぶ夜更け。
美しい装飾の施された白い沐浴室の中で、彼らの影が、重なっては離れて、また重なっては、離れて。
その白い肌と喘ぐ声は、どこまでも青年の心を堕としていった。
「―――殿下以外に、·····ぁっ、····のように·····私の、悦びを·····呼び覚ませる、お方など、この世には·····ぁんっ、·····おりません·····」
「·········ふ」
とろりとした湯が、彼らにまとわりつくように蒸気をあげながら包み込んでいる。
夢のような享楽の時間。
そこに罠があったことになど、誰が気づくはずもなく。
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