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序章:死んでしまう前に『一回死んだつもり』になって考えてみよう
◆人の死の重さは人によって感じ方が違うもの
私が高校生だった頃の、ある日の出来事。
学校帰りの電車が、“人身事故”で遅れたことがあった。
私が暮らしている地域は田舎で、昼間は一時間に一本しか電車が来ないなんていうのが当たり前の、そんな駅での出来事だった。
教室程度の小さな駅で、中には壁に沿って木のベンチなどはあるのだが、遅延した電車を待つ大勢の人が座りきれるはずもなく、私も一緒に帰る友人たちも、入り口の外側あたりで雑談していたのだと思う。
遅延の原因が人身事故だというアナウンスが流れた後、目の前を通り過ぎたサラリーマン風の男性が、怒りを込めた口調でこう言ったのが聞こえた。
「迷惑な死に方しやがって」
『人身事故』という言葉の多くが、『電車への飛び込み自殺』を意味していると知ったのはいつの頃だっただろう。
その時の私がすでに知っていたかどうかは覚えていないが、人の生死がかかっている事柄に対して、『大人』の男性が周囲に聞えるような声でそう罵っていた事に、悲しみと驚きを覚えた。
他人の死は、人によっては同情にも値しない出来事なのだ。
確かに、彼の言う事にも一理あったのかもしれない。
どのくらいの人間が知っているかは解らないが、電車への飛び込み自殺は、遺族への賠償責任が発生する場合がほとんどだ。
遺体の回収・清掃作業にかかる時間等、電車を止める事によって発生した鉄道会社のこうむる様々な損害は、遺族に請求されるのだ。
その額は、数千万円にもおよぶ事もある。
なぜ私が今この話をしているかというと、こういった事があまり知られていないのかもしれないと思ったからだ。
ここ数年内に起きた事件だったと思うが、ある女の子がいじめを苦に、電車に飛び込んで自殺したことを報じるニュースがあった。
彼女は、御家族に対して『愛している』『今までありがとう』という、感謝や思いやりの気持ちのこもった遺書を残していた。
残された御家族を愛していた女の子が、もしこの事情を知っていたのなら、電車に飛び込む事を躊躇し、ほんの少しの間でも、自殺を思い留まる時間ができたのではないだろうか。
もし、その子がその日、そのまま家に帰っていたら。
その日の夜に、いじめをしていた友人から、謝罪や仲直りのメッセージが届いていたら、彼女はその後の人生も、立ち直った思い出と共に生きていたのではないかと思ったのだ。
私個人の意見としては、『自殺』が、どんなに苦しく追い詰められても、絶対にしてはいけない、亡くなった後も地獄で永遠に苦しむような、この世で最低の悪い事だとは思わない。
私自身、ほんの数か月前まで、いつでも自殺できると思っていたし、子供の頃から人間として生きる事に辛さを感じていた。
ずっと「死にたい」と願ってきた、“死にたがり”だったのだ。
今だって、これからも、私は何かの拍子に『自殺』を選ぶ事もあるかもしれない。
それでも、何かを苦に無実の人が自殺したと、ニュースなどで知るたびにこう思うのだ。「あなたが死ぬ事はなかったのに」と。
子供たちのいじめによるものでも、大人の社会や政治による逃げられないような不正や嫌がらせ、犯罪においても、苦しんで反省すべきなのは加害者側であるはずなのに、心が綺麗で繊細な人ほど、自死を選んでしまうように感じるのだ。
美しく優しい心の持ち主ほど、この世界で幸せに生き続けて欲しいのに、だ。
自分も長年、死に関して考えてきたぶん、こういう考え方をすれば、例え一時的にでも、生きる意欲が湧くのではないかと思う方法を記しておこうと思う。
もしあなたや、あなたの大事な人が今、死を選ぼうとしているのなら、その繊細な心を大事にしながら生きるために、少しでも役に立てたら幸いなのだが。
ここから先の文章は、多少趣味の悪いブラックジョークや、汚い言葉も使うかもしれない。
どんなに辛い時にも、ふとした瞬間の笑いは、全ての心の病への特効薬にもなるはずだから。
多少、不謹慎な言葉も多めに見てもらいたい。
そういう訳で、これを書き終わった頃や数年後に、私が自殺していたらすまない。
まあ、詳しくは後述するが、死にたい本人にとっては自死が唯一の救いであることも、多々あるのだ。
残された御遺族の方、お友達の方は、自殺の直接の原因でない限り、ほとんどの場合は、あなたが幸せに生きる事に、罪悪感を感じる必要はないと思う。
家族や子供や恋人や夫婦。どれだけ親しい間柄であっても、その人の人生は、どう終えようと最終的にはその人自身のものなのだ。
後悔したり後追い自殺をするくらいなら、残りの人生をただ優しく、正直に、この世界を誰もがより穏やかで幸せに生きられるように、ほんの少し思いやって生きるだけでも、充分にあなたが生きている理由と存在価値になる。
この世界を、誰にとってもより生きやすい場所に変えるために必要なのは、暴力や権力ではない。
生きにくい程の辛さや悲しみを知ったからこそ初めて持てる、忍耐と思いやりの心こそ、世界を良く変えるために必要な力なのだ。
人類が何世紀もかけて未だに実現していない『理想郷』は、理不尽な力に踏みにじられても負けない心の持ち主が生き延びて、少しずつ作っていくしかないのだと私は思う。
そして死を恐れない者だからこそ、命をかけて出来ることもあるのだ。
まだ生きている限り、出来ることはゼロではない。
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