第三章:『こんな世界』を変えようと思うのなら、生きている間に◆一.『人は一人では生きていけない』は死刑宣告

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第三章:『こんな世界』を変えようと思うのなら、生きている間に◆一.『人は一人では生きていけない』は死刑宣告

◆『人は一人では生きていけない』は死刑宣告 『人は一人では生きていけない』と、世間では温かみのある人類愛を示す定型句のように、頻繁に表現される。  だが、精神的に孤独な時にその言葉を聞くと、「ああ、たった一人で苦しんでいる自分は、やはり死ななければいけないのだ」と、自死への思いを強くしてしまう事もあるのだ。  少なくとも、私はそうだった。  しかし、本当にそれは正しいのだろうか?  そもそも、家族や恋人、友人など、本来ならば心から大事に想い、信頼している人間に裏切られたり、愛されなかったり、騙されたりしたからこそ、自死を考えるに至った人も多いのではないかと思う。  心の傷を癒す事が目的の良書であっても、最終的には家族や友人などの『信頼できる人に相談しましょう』という様な解決法が提示されていたりもするが、そういった本来信じ合いたかった関係性の人間に酷い目に合わされているからこそ、死ぬほど苦しんでいるのである。  だからこそ他者が信用できない、誰にも相談できないという心境に陥っているのに、根本的な問題から目をそらした解決策を提示されても、孤独と絶望感が深まるばかりなのだ。  では、『いのちの電話』などのまったくの他人や、心理カウンセラーや精神科医などの、プロに相談すれば良いではないかと考える人も多いかもしれない。  結論から言うと、どうやらそれも、ピンキリのようである。  インターネット上では良くも悪くも、テレビなどでは決して紹介されない、信じられないような出来事を知ることが出来る。 『いのちの電話』は繋がるまでに相当の時間がかかることもあるらしいし、研修を受けているとはいえ、ボランティアの人が対応するらしい。  私は『いのちの電話』に電話をした事はないが、もっと専門的な知識を持った、ベテランの相談員の方が対応するものだと思い込んでいた。  ボランティアで働いてくださっている事自体はとても素晴らしく有難いことだとは思うのだが、その相談員の中には、もし私が言われたとしたら、ますます死にたくなるような的外れなアドバイスをくれる人もいるようだ。  例えば「新しい恋人でも作って、結婚すれば?」というような。  そもそも人間不信になった原因が異性や恋愛対象だったり、恋人や夫婦などの愛し合っていたはずの相手だった場合、それ以前に『家族』というものに絶望して生きてきた人間にとっては、それはアドバイスではなくて、人生の崖っぷちで最後のダメ押しに背中を蹴られるようなものではないだろうか。  精神科医などのいわゆる『プロ』の先生の中にも、気休め程度の無神経な会話で、薬だけをどんどん処方する人もいるらしい。  例えばだが、もしあなたの担当になった『先生』が、「私は産まれた時から家族にも友人にも恵まれて愛情豊かに育ったし、物心ついてからもずっと苦労知らずで裕福で良い教育も受けてきたので、思いのほか簡単に資格が取れました! これからの時代、心を病む可哀想な人たちはいっぱい出るだろうし、この先一生安泰だろうなって事で、この仕事に就いてみました。さあ、何でも相談して?」というスタンスの人間だったらどう思うだろうか。  産まれて初めて、自分以外の人間に殺意が沸いたという方も多いのではないかと思う。  冗談ではなく、ただでさえギリギリの精神状態を逆なでするような精神科医や心理カウンセラーも、現実に存在しているらしいのだ。例えば、いじめで心に傷を負った患者さんに「自分も昔、いじめっ子だった」「自分も同じような事をした」と告白するような。  誰にも相談できない悩みを聞いてくれる、最後の砦だと思った人間がその程度の人物であり、そんな扱いを受けた時の絶望感は計り知れないだろう。  ましてや本当に信じがたい事だが、児童相談所の職員が相談者の女児と関係を持つという事件も実際に発生している。信頼できて守ってくれるはずの立場や役職の“大人”が、立場を利用して子供たちをさらに傷つけるようなことなど、絶対にあってはならないはずなのに、だ。  そんな“先生”たちよりも、似たような経験をして人の痛みが解る人間がただ頷いてくれる方が、よほど救いになる事もあるのだ。だが、そういう人を見分けるのも難しいかもしれない。  繰り返すが、ネット上では、そして現実でも、どのような人間でも演じる事が出来る。  運命の人だとさえ思えるような人物が、最低の詐欺師だったという事もあるのだ。  ではどうしたら良いか。  自分一人でも心を立て直せる考え方を身につけることが、最善の道なのではないかと思う。  もちろん、心から信頼して相談できる相手や、先生に出会えているのならば問題はないのだが、誰かに相談する事自体が怖くて、それを考えるだけでも死にたくなるような心持の場合、「死ななくても良い」考え方をいくつか揃えておく事も良いのではないだろうか。 『一人でいたい時くらい、一人で生きていける』世界の方が、『一人では生きていけない』世界よりも、ずっと優しく生きやすい、人間として進化した世界の在り方だと、私は思う。  個人的に、私にとってはこれを書いている今現在が、人生の中で友人知人の最も少ない時期なのだが、心の平穏や他人に気を使わなくても良いという点においては、実は最高に幸せな時間である事も痛感している。  ちなみに恋人もいなければ、結婚もしていない。少なくとも、このエッセイを書き終わらせて発表するまでは、そういった存在の募集もしていない。(2021年6月現在。もしこれから数か月後や何年か後に結婚でもしていたら申し訳ない。その時はご容赦いただきたい。)  もちろん、友情や愛情など、他者と心を通わせたり笑い合ったり喜び合う心の状態は、かけがえのない大事なものでもあるし、それはそれで幸せな瞬間だと思う。  けれど、もしあなたが今、家族や友人や恋人に恵まれないがために自分の価値を低く感じているのなら、それは恐らく、無意味な事だ。  友人のようでいて、その実マウントを取り合ったり陰で悪口を言いふらすだけの仲ならば、一人もいない方がずっと気が楽だし、恋人や伴侶だからといって、あなたを貶めたり、恫喝して都合よく利用するだけの存在ならば、いない方がずっと自由に生きることができる。  毎日怒鳴り散らす父親ならば、多少金銭的に苦しくなろうが、いない方がずっと心が健康で幸せでいられたはずと、今でも私はそう思う。  だからひょっとしたら、自らその状態を選んでいるのかもしれない。  そのままの状態も、実は最も心地よい、生きやすい在り方なのかもしれない。  そしていつかまた、無理をせずに心をさらけ出せる、本当に大事な存在が出来た時には、素直に受け入れれば良いのだ。  最後に、『人は一人では生きていけない』は、心情的な事よりも、むしろ現実的な側面としての例えであると言う方もいるとは思うが、もちろんそれは今の時代ではまだその通りかもしれない。  今の日本で自分一人で食料も衣服も住居も作り出す、正真正銘の自給自足生活を営もうと思ったら、相当な知識と経験と運と元手になる財力が必要になるだろう。  だが、本当に裕福な国では家一軒が国民に支給されたりするような事も実際にあるのだ。  さすがに地球全土の全人類にそこまでの豊かさが行き渡るには長い時間と、富裕層の大きな意識転換が必要になるとは思うが、日々生きるためにゴミ廃棄場で裸足の幼子が売れる物を探している一方で、めったに使いもしない大豪邸の別荘をいくつも持っている超大金持ちが存在している世の中を、この先も人類は『正しいバランス』として受け入れてゆくのだろうか?  貧しいのは本人の産まれや育ちだから仕方がない、豊かになれないのは努力が足りないのだという意見もあるだろうが、卑怯な事や犯罪を重ねた上で裕福に暮らしている人間も大勢いる。  もし人類みんなが開き直って、生きていくためには犯罪行為も仕方ないし、人より裕福になるためには他者を騙したり殺したり奴隷にしても良いというのなら、地球は地獄そのものでしかなくなるだろう。  長い時間がかかったとしても、産まれてきたからには、最低限人が他者を思いやり、犯罪行為に手を染めなくても生きていける世界を目指すべきではないだろうか?  そのためには、地球全体規模での人類のバースコントロールと、自然を破壊しない食料の自動栽培、そして富の再分配が必要になってくるのだが、もしそれが上手くいったのなら、『一人でも生きられる』世界が可能になってくる。  今はまだ都合の良いSFやファンタジー世界の夢のように聞こえるとは思うが、技術的にはそれを現実化できるものも発明、実用化されているものもあるし、これから益々必然になるだろう。  そして、そういった理想的な世界に変革する物事を無理だと馬鹿にせず、自分だけの利益や幸せを願わずに推進していけるのは、他ならぬ、自死を考えたことがあるほど自分以外の世界に優しく、究極の自己犠牲も厭わない人たちだと、私は思うのだ。
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