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第一章:『セルフイメージ』はどこから来たのか?◆一.無神経さは人を殺す
◆無神経さは人を殺す
自分自身を蔑む大本になった原因が解れば、『死にたい』気持ちは消える。
かも、しれない。
完全にではなくとも、日々の大半の時間を『生きていても良い』くらいに変えることは出来るかもしれない。
少なくとも、毎日のように『死にたい』と思っていた、私にとってはそうだった。
私のセルフイメージ、自分自身に対して思っていた心の声は、ずいぶんと長い間、「私、生きてても良いのかな?」「私なんて死ねば良い」「私は予備に作られた失敗作」、そんな感じだった。
おそらく、小学生の低学年くらいから『それが私』だと思っていたから、なぜ自分が自分に対してそう思うのかは、本当につい一年ほど前まで、考えたことすらなかったのだ。
このエッセイのために自分自身の経験を思い出してゆくにつれ、今まで『それが原因』だと思ってすらなかったことが原因だと気が付いてから、これまで何十年と毎日のように思っていた『死にたい』という気持ちが消えたのだ。
それはもう、「そりゃ、生きるよな」というような、あっさりと爽快な心持ちだ。
なるほど、生きる道を選ぶ人は生きるよね、という、開眼に近い驚きであり、一般的に『死のう』と一度も思ったことがない人たちが、どんな状況にあっても『生きたい』、もしくは『死ぬよりはマシ』と、ただ生きることを選ぶ気持ちも理解できるようになった。
それは、特別に私の現実の何かが変わったわけではない。
それに、自分という存在の中から、完全に『死にたい』という気持ちが消えたわけではない。
後述するが、今でも一時的に『死にたい』と思う酷い気持ちの状態になる時もあるが、かつてのように、ほぼ毎日のように『死ねべきなのだろうか』と思い悩む日々ではなくなったという事だ。
例えていうのならば、莫大な借金を抱えて、一見『もう死ぬしか道がない』という状況でも、死にたい人間は死んで、『自殺して少しでも残された家族に保険金が残るようにする』一方で、生きたい人間は生きて、『自己破産してでも家族と共に生きる』という道を選ぶというような違いに似ているのかもしれない。
条件は変わらなくても、気付きや気の持ちよう、決意によって、行動は変わる。
どちらが最善なのかは、その人が生きてきた人生や、意志次第だと思う。
ちなみに、自殺しても保険金が入る場合と入らない場合があるのはご存知だと思うが、保険に加入した時期はもちろんのこと、保険会社の契約内容によっても違うので、どちらにせよ、本気で生きること、死ぬことを考える時には、自身の支払い条件はしっかりと確認しておいたほうが良いかもしれない。
さらにちなんで言うと『もう死ぬしか道がない』のは、産まれてきてしまった以上、ほぼどんな生命体でも同じである。ベニクラゲなどの不老不死とも言える、特殊な生き物は別として。
どんな生き物でも産まれてしまったからには、もう死んでゆくしか、道はないのだ。
変えられるのは、死のその瞬間まで、自分がどんな気持ちで生きるのか、だけである。
例えば明日、死を迎える事が決定していたとしても、その瞬間まで「自分の人生に悔いはない」という清々しい覚悟でいられるのか、「自分の人生はなぜこんな風でしかなかったのか」と、後悔と苦しみの中で死んでゆくかによって、自分の人生に対する満足度は、まったく違うものになるのではないかと思う。
そういうわけで、私自身も『死にたい』人たちの気持ちはよく解るのだが、そういう人に限って、長生きしたり、幸せになってほしい人だったりするので、少しでも気持ちを切り替えるきっかけとしていただければ幸いである。
人によっては、まったくお役に立てないかもしれないが、美しい考え方や美しい言葉で綴られた有益な癒しや赦しの本は、すでにたくさん出版されているので、私は私なりに正直に、時にはかなり砕けた言い方で、自分自身の例をあげながら、お話ししてみようと思う。
さて、そもそも私がなぜこうも死にたい人間になってしまったのか。
答えはおそらく、家庭環境のせいだと思う。
詳しくはこれから語っていくが、要約するとこういう事だ。
感受性の強い人間が、無神経な人間に囲まれて暮らしていると、心の傷を癒す暇がない。
例えばその『無神経な人たち』が家族だとすると、それが産まれた時からの永続した状態なので、自分が何に対して傷ついているのかすら解らない。
何に傷ついているかも解らないのだから、当然、癒し方も解らない。
ただ、“自分の存在は間違っているんじゃないか?”、“自分は存在してはいけないんじゃないか?”という、劣等感や罪悪感だけ抱くことになる。
成長して、やっと自分側の問題だけではなく、相手の態度にも問題があるのだと気が付いた時には、一気に怒りとして噴出することもある。
それまでの年月、いつか相手が変わってくれると信じたり、耐えてきた分、相手が反省もなく、変わる事もないと知った時の絶望感は、はかり知れない。
これは世界中のどんな家庭にでも存在しうるだけに、些細な事と見落とされてしまいそうだが、私たちが想像している以上に、根深く、大きな問題ではないかと思う。
単純に、『反抗期だから』『お互い忙しいから』『家族なんだから、放っておいてもいつか自然と仲直りできる』と根本原因を放置していると、数年後、数十年後も抱える、癒しようのない傷になってしまうかもしれないのだ。
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