◆四.『愛されていない』=『価値がない』ではない

1/1
前へ
/22ページ
次へ

◆四.『愛されていない』=『価値がない』ではない

  ◆『愛されていない』=『価値がない』ではない  もう数年前になるが、最初にこのエッセイを書こうと思い立った時は、それこそ「色々暴露して、大事な小説の続きを最後まで一気に書き上げたら死んでやる!」くらいの気持ちでいた。  ちなみにタイトルは色々方向性を煮詰めていた時に、「どう伝えたら善良な人が本当に死ななくても良いと思えるだろうか」と考えていた時に、「そうだ、私一回死んだことにしよう!」と本当に言葉のまま思いついた一言である。(だいぶ後になって昔見た『そうだ、京都に行こう』のCMの言葉の影響を受けていたかもしれないと気が付いたが。笑)  この意味は、もちろん『一度死ぬのを試してほしい』という意味ではない。  思考実験の中で、あくまで頭の中や想像の中で、一度死んで生まれ変わったとしたら、という意味である。  私は鎮痛剤をほとんど一箱分、お酒と一緒に飲んだ事があるが、まさに『死ぬほど苦しい』だけで死ねなかった。睡眠薬でも何でも、最近の薬は自殺できないように、飲み過ぎると吐くような成分が入っているそうなので、一切オススメしない。  おそらく、私の様にセルフ胃洗浄のような事をすることになるか、もし誰かに気づかれた時は救急車を呼ばれて、医療従事者の方々に多大なご迷惑をおかけする事になるだけだろう。  ナツメグをスプーン何倍分か飲んだこともあるが、鼓動が激しくなっただけで、やはり翌朝には普通に目が覚めた。私の場合、肉体はかなり健康で丈夫なのだ。 (私が大丈夫だっただけで、体質的に危険な方もいると思うので、真似をしてほしいわけではない。)  もちろんこれらの事は、家族には気づかれていないと思う。  本気で死のうと思う人間ほど、周囲の人間には気が付かれずに遂行するからだ。  以前拳銃だったか青酸カリだったかが何かのニュースになった時、母や兄に「そんなものがあったら、私はとっくに死んでるよ」と言ったところ、「死んだら、楽しい事とかも全部なくなっちゃうんだよ」と驚いたような反応をされたことがある。  だが、本気で死にたいと思った事がある人ならすぐに理解してくれると思う。 「そういう楽しい事や幸せな事を感じる以上に、生きてること自体が辛いから、死にたいんだよ」と。  それすら説明しないと解らないのか、と半ば呆れてしまった事を覚えている。  ただ、本当に死のうと思ったらもっと確実な方法はあるし、手に入れられる毒物もある。  こんな私にも叶えたい夢や、書き上げたい物語があったから、何とか生き延びてこられたのだと思う。  腕や手を深刻に痛めるような傷をつければ思うように絵や小説が描けなくなるし、窒息して脳に損傷が残れば、物語を構成する事も出来なくなってしまう。もしこの僅かな希望さえ残っていなかったのなら、どんな方法を使ってでも死のうとしていただろう。私を今でも生かしてくれているのは、猫たちと、作品たちなのだ。  まあそんなこんなでこのエッセイのために、色々と自分がなぜ死にたくなったかの原因を小さな頃から順に思い出していくうちに、「ああ、これが原因か」という、いくつかの記憶に思い至った。  あまりにも小さな子供の頃から、『死にたい』と思っていると、それが本来の自分だと思って、セルフイメージが固定されてしまう。  つまり私ならば、例えば『私なんて』に続く言葉は、『死ねば良いのに』だったりした。  ではなぜ、私はずっと『死にたい』と思ってきたのか。  祖父が毎日怒鳴り散らすような人間だった、父もそうだった。  だから小学校の三、四年くらいの時にはもう、「遺伝子的に、こんな怒りっぽい性格、残しちゃいけないな」と思っていた。  それでだったのか、どういうきっかけで言ったのかは忘れたが、母に「死にたい」と言ったことがある。  返ってきた返事は、「お葬式のお金がないから、今はやめて」というものだったと思う。  母からすれば、小さな子供が意味も良く解らずに言ったことに対して、冗談で返したつもりだったのかもしれないが、この時に私の命の価値は、『お金以下』になったのだと思う。  もし、この時に、「冗談でもそんな事言っちゃダメ!」と怒られるなり、あなたは大事な存在なのだから、生きてほしいという事を真剣に伝えてくれていたら、その先何十年も、自分の価値や生きる意味を感じられずに苦しんで生きるような人生ではなかったのかもしれない。  今小さな子供の親御さんをされている方々は、どうかお子さんが意味も解らずに命の尊さを軽んじた発言をした時には、真剣に、その子の人生を考えて、答えてあげてほしいと思う。  大人なら通じるかもしれない冗談でも、子供にとっては些細な一言がその子の一生の現実になる事もあるのだ。  そう、私の死にたかった原因はむしろ、軽蔑している父などによるものよりもむしろ、敬愛すべき母や兄にとられた態度だったのかもしれないと気が付いたのだ。  これまでにも話したが、母は育児も仕事も介護さえも完璧にこなしてくれた、娘の私から見ても、優秀な女性である。  三歳年上の兄は日本でも有数の大学を卒業していて、幸運な事に父には似ず温厚で、優しい性格の持ち主だ。今でこそ、ただのおじさんではあるが、子供の頃は目がパッチリとした、それこそ女の子の私よりも母似で、見た目は今で言うジャニーズジュニアの子供たちの様に(笑)かなり可愛らしい男の子だったと思う。  一方私はというと、色黒で、小学六年生くらいになるまでムダ毛の処理など知らなかったので、バサバサの繋がり眉毛で、どちらかというと「お父さん似ね」と言われていた。 (父に似ているという事それ自体も屈辱的だったが。眉毛は何年も整えたり抜いたりしているうちに、今では特に処理しなくとも丁度よい細眉毛になりましたのでご心配なく。笑)  何より、どう思い出そうとしても、物心がついてからの私には、『女の子らしい、可愛らしい』と母に抱きしめられたり言葉で褒められたことはなかったと思う。  小学校一年生の時、男の子たちに虐められた時に言われた「あなたが可愛いから虐めるのよ」のただ一度の例外を除いては。  小学校の低学年くらいまで、父や兄と同じ『床屋さん』でキノコカットにされていたし、ズボンばかりはかされて、いわゆる『女の子』として、良い意味で蝶よ花よと大事に扱われた記憶はない。  ちなみに、兄も私も子供の頃も受験の時も学習塾などの習い事に通った事はない。 (学生時代に母が剣道部だった影響もあってか、兄も小学生時代に剣道は習っていたが。)  今でこそ、地元の小学生たちは安全性を優先して自動車で送り迎えしてもらえるらしいが、私や兄が小学生だった頃は、小学一年生の頃から、一時間弱はかかる道のりを歩いて小学校まで通ったものだ。  そのため、小学校から徒歩五分の家の子供たちが羨ましくもあった。  宿題に取り掛かれる時間も、友達の家に遊びに行ける時間も、ずいぶん違うのだから。  普通は近所の子供たちを何人かでまとめた男女に分けた班で登校するのだが、私は兄がいるために、最初のうちは兄の同級生や先輩の年上の男の子たちと一緒に通っていた。  何というか、どうにも男性的な環境で育てられたような気がする。  班の上級生たちではないが、長い登下校時間には、体の大きな乱暴な上級生に、無理やり知らない道について来いと言われたこともあるし、家に帰るまでの長い道のりで二人きりになった時に、年齢が年齢なら、充分セクハラ発言として訴えられるような事を言ってきた同級生もいた。まあ後に掃除の時間に箒で殴ってやったが。  そんな風に男の子と変わらない環境で育てられたというのに、保育所や小学生低学年の私は、兄から自分が女の子だという事をずいぶん責められた覚えがある。  例えば、「みんな弟なのに、僕だけ妹だからバカにされる」などの言葉で。  今となっては色んな意味でその兄弟のお二人もどちらがより良い人生だとは言えないと思うが、当時はお相撲の『若貴ブーム』で、保育所の先生が何か言ったらしく、「いつも褒められるのは年下ばかりだ」とか何とか、私の責任かどう解らない理由で怒りをぶつけられた事もある。  一方、私の方も、小学一年生から男子と戦う術を身に着けていたので、多くの場合は言い返した。例えば「私だってお姉ちゃんの方が良かった、可愛いお下がりの服とかもらえたのに!」というように。  そう、大人になった今では何という事はない、他人から見ればむしろ微笑ましいような兄妹ゲンカの内容だ。  それに中学校、高校、社会人と大人になるにつれ、兄の温厚で優しい性格の方が表面に出てきたし、読書好きの兄から実に様々な恩恵を受けるようにもなった。  星新一先生のショートショートを集めていたのも兄だし、私はあまり興味を持っていなかったSFやミステリーの名作を兄のコレクションでたくさん読ませてもらった。  大人になってから田舎には売っていない資料や画集を買ってもらったり、お下がりの電子辞書をもらったりと、今では大いに感謝しているし、尊敬もしている。  でも、だからこそ、今になるまで気が付かなかったのだと思う。  子供の頃に言われて、自分でも気が付かけないほど深く傷ついた言葉が、自己を形作っている事もあるのだ。  とても重要なポイントなのだが、「あの時あんな酷い事を言われたな」という記憶があるのと、「あの時言われた、あの言葉が自分を縛っているんだ」と気が付くことには、天と地ほどの違いがある。  私はこの、兄や母の思い出はずっと覚えていた。  だが、成長してからは、色々と世話してもらった事や、育ててもらった事、何より働き者で尊敬できる人格者としての母や兄の人物像があるため、恨んでいるという意識はないはずだった。私自身は、相手が病気になった時に心配したり、離れた土地で暮らす生活に無事であるよう祈りを捧げたりと、当たり前の家族愛としての愛情を持っていたからだ。  だから、「ああ、これか」とこれらの記憶にたどり着いた時に、スッと、本当にスッと、『死にたい』気持ちが薄れた事に驚いた。  同時に何十年ものこんなに長い間、生きている時間のほとんどを『死にたい』と『自分は生きていて良いんだろうか?』と思ってきた原因が『愛していた家族』にあったと気がついて、「お前らのせいかい!」と激しい怒りも湧いてきた。  よくよく考えてみれば、母の兄に対する愛情と私に対する愛情は、雲泥の差といえるものがあった。  例えば机や洋服ダンス一つとってみても、成長するにつれ兄には高級な大人向けのものを買い与えたが、私には赤ちゃんや子供の頃のものをそのまま与えておくだけだったり。  海外出張などで年に一度程度しか使われない兄の部屋は母がカーペットなど季節ごとに買うなどして整えるが、私の部屋の壊れた蛍光灯は何年も放置し、いつまでたっても「知り合いの業者に頼む」はずの、修理の人を呼んでくれない、など。  仕方がないので洋服ダンスなどの家具は、成人する前に自分のお小遣いを貯めて買ったものもあるし、おかげで安くて良いものをお店やネットなどで見つける技は磨かれた。  兄は大学進学と同時に親戚の人が経営するアパートで独り暮らしをさせてもらっていたが、私は「女の子の一人暮らしは危ないから」、と、渋谷の専門学校まで片道二時間半かけて通った。こんな時だけ女の子扱いだが、私の事で何かお金がかかる時には、父がニヤニヤしながら「今、お金がない」と言う事が多かったので、私にかけるお金はない、という事なのだろうと理解している。  そういえば、家族で電車で長距離の用事で出かけるときに、こんな事があった。  私の年齢はもう子供料金ではないのに、駅に着いた時に父が、「(私は)背が小さいから、子供料金で良いだろう」と言ったのだ。  あとになって母に聞いて、きちんと既定の料金を支払っていた事が解って安堵したが、その時の私の思い出は、酷い罪悪感や恥ずかしさしかない。どこに行って何をしたか、何のために出かけたのかすら覚えていない。  このエピソードを最近になって母に覚えているかと聞くと、私が父に言われた事は覚えていないが、父に切符を買ってきてと言われたのは覚えているという。子供の頃は夫婦のお財布は同じで、特に問題はないのかと思っていたが、当時仕事を休みがちの父は文句ばかりで、働きながら子育てもしてくれた母の方が、お金を出してくれていたと思う。  そういう意味でも私が二の次三の次になっていたのはある程度仕方がない事だとも思う。  けれど、私は大人になってから、母の日や誕生日などには必ずと言っていいほどプレゼントを贈ったり、晴れた日には母の布団を干し、部屋に掃除機もかけ、夕飯のおかずも作ったりしていた。  一方兄は、母の日にあげたプレゼントも、私が「たまにはそういう事をしてあげたら?」とアドバイスした時に、一度贈ってきてくれただけである。  そのプレゼントの扇子を何年も、私があげたバッグよりも文机よりも草刈り機よりも大事に、大切そうにしている母を思い出すと、いくら『男の子はそういうもの』だったり、世間一般的に『母と息子の絆』に特別なものがあるとはいえど、もう少し根本的で根源的なところで、平等に愛してくれても良いんではないかと思わざるを得ない。  母と私が二人でいるときはそうでもないのだが、兄と三人でいる時の母の、『あなたよりもお兄ちゃんが可愛いのよ』オーラは、もの凄い。  本人が意識しているかどうかはともかくとして、私が簡単な言い間違いをしただけでも嘲るように笑うし、まるで恋人を取られまいとする少女のようだ。  同じことをしても兄なら褒められただろうが、私は怒られた。  例えば母の誕生日にサプライズでクラッカーを鳴らせば、心臓に悪いと怒鳴られたり、父と母が夫婦喧嘩している時に、少しでも家事の手伝いになればとモップをかければ、「床が傷つくでしょ!」と怒られたり。モップもきちんと持てないくらいの小さな子供の頃だったから、愛情からした行動を理解してもらえなかった事は余計に辛かったが、やはり今思い出しても、それをしたのが兄だったら、きっと無条件に喜ばれ、褒められていたのだろうと思う。  そして最も大きく、差があると思うのは、母の私たちを産んだ時の記憶だ。  兄を産んだ時は初産でとても大変だったらしく、「もう子供は産まない」と言ったことなどを感慨深そうに話してくれた。一方私の時はというと、「覚えていない」そうである。  いくら何でもこれは無いんではないかと思う。  いくら三人目で安産だったとしても、ほんの少しのエピソードくらいあっても良いと思う。  子供の頃、幼馴染の意地悪な男の子に、私は「畑に捨てられて泣いてていたんだ」と言われ、不覚にも悲しくなって泣いてしまったことがあるが、あながちそれも嘘ではないのかもしれない、とすら思ってしまう。(ちなみに、この幼馴染は厭らしくて嫌な大人に育っている。)  まあヘソの緒と母子手帳があるので、母から産まれたことは確かだと思うのだが、もし血が繋がっていないなのなら、それはそれでその方がまだ納得できる気がする。  そう、私は三人目。  私と長男の兄が産まれてくる間に亡くなった次男、もう一人の兄がいたはずなのだ。  その事実も、私が『男の子として産れてくれば良かったのではないか』、『自分は間違って産まれてきた存在ではないのか』という気持ちに、無意識に拍車をかけていたのだ。  当時小さな子供だった兄には、二番目の兄の事など理解できてはいなかっただろう。  母にしたって、意識して、私を女の子らしく可愛がって育てなかったわけではないだろう。  けれど、そういった事実や自分が言われてきた事を重ね合わせると、なぜ私が自分自身を認めて、愛することが出来なかったかの答えが見えた気がするのだ。  そして、それが理解できた今ならば言える。 「だって、そう産まれてきたんだから、しょうがないじゃない!」と。  当時の子供だった兄にも、今ならば言える。 「そっちは妹が出来て自分が構われないと思ってるようだがな、少なくとも私が産まれてくる間の年月、家族の愛情も何も全て独り占めしてたんだから良いじゃないかよ!  だいたい、妹をかばって戦うどころか、存在を否定するって何だよ! 兄だったら兄らしく守ってくれれば、私だってもっと女の子らしく、可愛く育つことが出来たのに!!」と。  ちなみにこれは、全ての長子の皆様に対して言っている悪口ではなく、あくまで私の人生において当時の兄にそう言いたかったことである。末っ子ばかり可愛がられて、自分は愛されなかったと感じている長子の人も多いだろうし、再婚などで突然兄弟姉妹が増えた場合など、それぞれの人生において兄弟姉妹に対する思い出や現実は違うだろう。  そう、幼かった当時は親兄妹を初めとする家族や親戚の大人たち、学校の先生などの方が自分よりも正しく、偉いものだと刷り込まれているせいで気が付けなかった事も、ある程度の年齢になれば必ずしもそうではないと理解できるはずなのだ。  だが成長するうえで少しずつ削られていった自尊心や自分自身を愛する心は、なかなか健全な状態に戻らない。  他人からの反応によって植え付けられた『愛される価値がない。それが自分だ』というセルフイメージは、『こんな自分なのだから、生きていても仕方がない』という心の状態に簡単に移行する。  これは、他人から見た現実の状態とはあまり関係がない。  家庭内それぞれの状態は観察できないという事もあるが、現実に何が起こっていたかよりも、本人がどう感じていたかの方がよほど重要なのだと、私は思う。 『マイクロトラウマ』という、微小なダメージが蓄積されて巨大な心の傷になっている事もある。  例えば私だったら、母の冷たい視線や逸らされた目線、何が悪いか直接は注意されなくても、溜息と共に名前を呼ばれるといった事。  ふとした時に父から言われた「馬鹿がえ」(※「この馬鹿野郎が」、というような意味)など、一つ一つは他人にわざわざ説明するほどでもない事や、その度に自分さえ我慢さえすれば大きなケンカにならずにすむ、自分自身も傷つかずにすむからと感じないようにしてきた事も、充分に癒すことのできない、大きな心の傷になっている事もあるからだ。  もし、「当時の自分は悪くなかった」と理屈や頭では理解できても、長年の心の中の想いはすぐには変えられないと思う。実際、私もそうだったし、十年二十年と自分自身を責め続けていれば、自分の中の自分のイメージを変えるのに、倍の時間がかかってしまうかもしれない。  謙虚で誠実な人、真面目な人ほど、その傾向が強いだろう。  そんな時は、まったくの他人の目線で考えてみてほしい。  未だに時々報じられる痛ましい事件、虐待などで亡くなる小さな子供たちは、両親に『愛されていた』と言えるだろうか?  ありふれたホームドラマなどで良くあるセリフ、「それでも、子供を愛していない親なんていないよ?」。こういうシーンを見ると鼻で笑ってしまうのだが、じゃあ、虐待で殺された子供たちは? それでも両親はその子を心から愛していたのか? 『しつけ』と称して罰を与えていただけで、たまたまそれが行き過ぎて不幸な事故で亡くなってしまっただけなのか?  答えは、「そんな訳ねえだろ」である。  では、その『愛されなかった子供に価値はない』のか?  その答えも、同上である。  どんな子供だって、産まれてきた時点で、命の価値は同じだろう。  では、あなたの命に価値はないのか?  産まれてきた時点で、みんな平等に同じだろう。  これまで生きてきた中でどんな出来事があったとしても、例え産みの親が「あんたなんて産むんじゃなかった」と言おうが、「本当は作るつもりはなかった」と言おうが、「お前さえいなければ○○だったのに」と言おうが、そんなものは産み出した側、作った側の都合である。  どんな言葉を投げつけられても、あなたの命そのものの価値ではないではないし、『愛してもらえなかったこと』があなたの命や心、魂の価値を下げる要因になんて、本来なりようがないのだ。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加