シー・ラブズ・ユー? ㉑

1/1
前へ
/179ページ
次へ

シー・ラブズ・ユー? ㉑

「これだけ詳しい話をしたのは、ドラムのキエフ以外ではあんたが初めてだ」  ユキヤはそう言って太い息を吐き出すと、椅子の背にぐったりと体を預けた。 「気の進まないことをさせてしまって申し訳ない。……ところで、稲本彩音さんという女の子を知っているかい?君のファンらしいんだが」 「ああ、知っているよ。ファンって言うか、楽屋にしょっちゅう訪ねてきてくれる子だよ。連絡先も交換してる。友達かな」 「その彩音さんが……」  そこまで言いかけた時だった。ユキヤの目線が、俺の背後で焦点を結んだ。振り返ると、ドリンクを手にした背の高い若者が立っていた。ドラムのキエフとかいう青年だった。 「キエフ……」 「演奏に間に合わなくてすまない」  キエフは平坦な口調で言った。ユキヤは黙って頷いた。よくあることなのだろう。 「キエフ君、だったね?俺を覚えているかい?」  俺はやりとりの隙をついて、キエフに話しかけた。キエフがはっとして俺を見た。 「たしか『グレイトフル・サッド』で……」  キエフが目を見開いた。俺は頷いた。『グレイトフル・サッド』で小競り合いをしたことを、どうやら思い出したらしい。 「あの時は興奮して、乱暴なことをしちゃいました。身体はもう、大丈夫なんですか」  キエフは先日とはうって変わって殊勝な態度を見せた。手首の事を言っているのだろう。俺は「どうってことないよ」と腕を振り回して見せた。キエフの口元がわずかに緩んだ。 「……ところで、ユキヤ。お前に言いたいことがあって、来たんだ」 「言いたいこと?」 「今日の演奏の後、彩音さんにかなり冷たい応対をしたそうじゃないか。どうしてだ?」 「どうしてって……冷たい応対なんかした覚えはないぞ」 「じゃあ、なんであんなに落ち込んでるんだ。メールをしても『今日は返信できない』っていうしさ。どう考えても、お前が原因としか思えないんだよ」  キエフは声を荒げた。ユキヤは一瞬、気圧されたように身を引いた。 「なぜそう思うんだ。他に理由があるかもしれないだろう」  ユキヤが憤然と言い放った。キエフはそれはない、というように強く頭を振った。 「はっきり聞いたんだよ。ユキヤ君は、私が聞きに来ると迷惑に感じるのかなって」 「そんなことあるわけない。考えすぎだ」 「じゃあなぜ、もっと話す機会を作ってあげない?それほど忙しいようには見えないがな」 「……苦手なんだよ、女の子は。あれこれ聞かれてもうまく答えられないしな」 「それは単に親しくなるのを恐れているだけだろう。お前の態度がよくないんだよ」 「一方的に興味を持たれても困る」 「彩音さんのことが嫌いなのか」 「…………」  ユキヤは黙り込んだ。キエフはしょうがないな、と言わんばかりに肩をすくめて見せた。 「……実は今、彼女に付きまとっている男がいる。そのことで相談に乗って欲しいそうだ」 「付きまとっている男?どういうことだ」  付け回す男、という言葉に、ユキヤがいきなり色をなした。 「つまり、ストーカーされてるって言う事だよ。気になるなら直接、聞くんだな」 「もしそれが本当なら、放っておけないな」 「今まで放っておいて、よく言うぜ。とにかく、明日でもメールか電話してやれよ」 「ああ……わかった」  ユキヤはそれまでのかたくなな態度が嘘のように、興奮した面持ちになっていた。  俺の脳裏にふと、あの夜の彩音の変装が思い浮かんだ。付け髭にサングラスはもしかすると、身内に見つからないための変装ではなく、ストーカーに気づかれずに遊ぶためのものだったのではないだろうか。いずれにせよ、こうなってくるともはや俺の出る幕はない。 「じゃあお二人さん、俺はこの辺で失礼するよ。ユキヤ君、興味深い話をありがとう」  俺はユキヤとキエフをその場に残し、ファミレスを後にした。バンドのメンバーに女が絡むと、それだけでもう事件の始まりだ。面倒に巻き込まれないうちに、逃げるに限る。
/179ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加