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シー・ラブズ・ユー? ㉑
「これだけ詳しい話をしたのは、ドラムのキエフ以外ではあんたが初めてだ」
ユキヤはそう言って太い息を吐き出すと、椅子の背にぐったりと体を預けた。
「気の進まないことをさせてしまって申し訳ない。……ところで、稲本彩音さんという女の子を知っているかい?君のファンらしいんだが」
「ああ、知っているよ。ファンって言うか、楽屋にしょっちゅう訪ねてきてくれる子だよ。連絡先も交換してる。友達かな」
「その彩音さんが……」
そこまで言いかけた時だった。ユキヤの目線が、俺の背後で焦点を結んだ。振り返ると、ドリンクを手にした背の高い若者が立っていた。ドラムのキエフとかいう青年だった。
「キエフ……」
「演奏に間に合わなくてすまない」
キエフは平坦な口調で言った。ユキヤは黙って頷いた。よくあることなのだろう。
「キエフ君、だったね?俺を覚えているかい?」
俺はやりとりの隙をついて、キエフに話しかけた。キエフがはっとして俺を見た。
「たしか『グレイトフル・サッド』で……」
キエフが目を見開いた。俺は頷いた。『グレイトフル・サッド』で小競り合いをしたことを、どうやら思い出したらしい。
「あの時は興奮して、乱暴なことをしちゃいました。身体はもう、大丈夫なんですか」
キエフは先日とはうって変わって殊勝な態度を見せた。手首の事を言っているのだろう。俺は「どうってことないよ」と腕を振り回して見せた。キエフの口元がわずかに緩んだ。
「……ところで、ユキヤ。お前に言いたいことがあって、来たんだ」
「言いたいこと?」
「今日の演奏の後、彩音さんにかなり冷たい応対をしたそうじゃないか。どうしてだ?」
「どうしてって……冷たい応対なんかした覚えはないぞ」
「じゃあ、なんであんなに落ち込んでるんだ。メールをしても『今日は返信できない』っていうしさ。どう考えても、お前が原因としか思えないんだよ」
キエフは声を荒げた。ユキヤは一瞬、気圧されたように身を引いた。
「なぜそう思うんだ。他に理由があるかもしれないだろう」
ユキヤが憤然と言い放った。キエフはそれはない、というように強く頭を振った。
「はっきり聞いたんだよ。ユキヤ君は、私が聞きに来ると迷惑に感じるのかなって」
「そんなことあるわけない。考えすぎだ」
「じゃあなぜ、もっと話す機会を作ってあげない?それほど忙しいようには見えないがな」
「……苦手なんだよ、女の子は。あれこれ聞かれてもうまく答えられないしな」
「それは単に親しくなるのを恐れているだけだろう。お前の態度がよくないんだよ」
「一方的に興味を持たれても困る」
「彩音さんのことが嫌いなのか」
「…………」
ユキヤは黙り込んだ。キエフはしょうがないな、と言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「……実は今、彼女に付きまとっている男がいる。そのことで相談に乗って欲しいそうだ」
「付きまとっている男?どういうことだ」
付け回す男、という言葉に、ユキヤがいきなり色をなした。
「つまり、ストーカーされてるって言う事だよ。気になるなら直接、聞くんだな」
「もしそれが本当なら、放っておけないな」
「今まで放っておいて、よく言うぜ。とにかく、明日でもメールか電話してやれよ」
「ああ……わかった」
ユキヤはそれまでのかたくなな態度が嘘のように、興奮した面持ちになっていた。
俺の脳裏にふと、あの夜の彩音の変装が思い浮かんだ。付け髭にサングラスはもしかすると、身内に見つからないための変装ではなく、ストーカーに気づかれずに遊ぶためのものだったのではないだろうか。いずれにせよ、こうなってくるともはや俺の出る幕はない。
「じゃあお二人さん、俺はこの辺で失礼するよ。ユキヤ君、興味深い話をありがとう」
俺はユキヤとキエフをその場に残し、ファミレスを後にした。バンドのメンバーに女が絡むと、それだけでもう事件の始まりだ。面倒に巻き込まれないうちに、逃げるに限る。
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