シー・ラブズ・ユー? (8)

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シー・ラブズ・ユー? (8)

「後ろの方、窮屈じゃない?廊下の彼、まだ入れるよぉ!」  頭にバンダナを撒いた猫背の男性が、ステージ袖から声を張り上げた。 「ロストフューチャー」のステージは観客が廊下にはみ出すほどの満員御礼だった。  「グレイトフル・サッド」は雑居ビルの地下にあるキャパ数七十ほどの小さなライブハウスだ。バーを兼ねた店内は空調の効きが悪く、開演を待つ客の熱気がこもっていた。  開演時間はすでに過ぎていたが、メンバーの準備が整わないのか、客電は落ちず、店内は明るいままだった。間を持たせようと喋り続けている猫背の男性は店長で、俺も、面識があった。客層は圧倒的に十代の若者が多く、髪を赤やブルーに染めた客も少なくない。  俺のような中年は目立つかと構えていたが、よく見ると社会人風の男女もちらほらと見受けられた。  明るいうちに、もう一度探してみるか。  俺は携帯電話を取り出すと、同僚からもらった姪の写真を表示した。  名前は稲本彩音。写真で見る限り、育ちの良さそうなお嬢さんだ。俺は改めて会場内を見渡した。写真の制服姿の少女がどんな風に「化けて」いるのか皆目見当がつかない。客電が落ちてしまったらおそらく探し出すのは困難だろう。終演を待つしかなさそうだった。 「お待たせしました。『ロストフューチャーです!』」  店長が叫んだ。同時にステージの袖から背の高い四人組が姿を現した。パンクバンドらしく全員がぼろぼろのシャツとデニムに身を固めている。 「はい、廊下のドア閉めてーッ」  最後尾の観客がドアを閉めると同時に、客電が落ちた。次の瞬間、ドラムのカウントを取る音が聞こえ、大音量のロックが耳を聾した。  俺はヴォーカルの若者に視線を固定した。銀色に染めた長髪の間から切れ長の目が覗いている。なるほど、女の子にもてそうなクールな風貌だ。客席は一曲目から床を踏み鳴らし、極彩色の頭を激しく振っている。歌詞はよく聞き取れなかったが、どうやら失恋を歌っているらしい。攻撃的なサウンドとのギャップが逆に面白く、気づけば俺も盛んに床を踏み鳴らしていた。  三曲ほど演奏した後、小休止が挟み込まれた。ヴォーカルがミネラルウオーターをあおり、演奏時とはうって変わった気さくな口調で話し始めた。 「ネットのニュース見てるとさあ、最近、暗いニュースが多いじゃん。俺らからすると恵まれてる奴らがさ、つまんない犯罪に走ったりするの、なんか悲しいよね」  俺はヴォーカルの眼差しを見て、ぎょっとした。口調こそ砕けたものだったが、カラーコンタクトの奥の瞳はまるで死者のそれのようにうつろだった。 「俺もこの地下の店から飛び立っていった先輩たちを見てさ、いつかあんな風になれるかな、そしたら身も心も満足すんのかな、とか思ってたんだ。だけど最近、上りつめるばっかりが人生じゃねえなって気もするんだ。のぼりつめてもさ、心が死んでたら意味ねえだろ?別に地下が地獄で地上が天国って決まってもいないし。だから考えちまうんだ。上行って死ぬか、ここでみんなと生きるかをさ」  会場がわいた。どうやら最後の言葉に次の曲のヒントが隠されていたらしい。 「デッドアライブ ロック!」  ヴォーカルが叫び、ドラムがカウントを刻み、再び音の奔流が会場を呑み込んだ。
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