シー・ラブズ・ユー? (9)

1/1
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/179ページ

シー・ラブズ・ユー? (9)

 パンクだけにビートは単純だったが、ところどころにクラシック音楽風のフレーズが混じるのがユニークだ。単純なビートの中に時折変拍子が混じるなど、かなり自由な音づくりをしているバンドのようだった。俺は音の波に身を任せながら、ヴォーカルの表情を目で追っていた。声量の豊かさと相反するように、眼差しは終始うつろなままだった。  あの青年の兄が本当に女子中学生殺しの主犯なのだろうか。  生と死を話題にするなど、かなりセンシティブなところはあるようだが、バンドをやるような人間は多かれ少なかれ、そう言ったことに敏感なものだ。それだけで兄の事が音楽に反映しているとは言い切れない。  最後の曲が終わり、客電が点くと、憑き物が落ちたように客席の動きが収まった。俺にとってはここからが本番だった。俺は出口の近くに陣取り、高校生ぐらいの少女に的を絞って探し始めた。CDを購入するか、楽屋に行くか。  いずれにせよ、注意していれば見覚えのある顔に行きあたるはずだ。だが、店を出る若い女の子の中に、写真と同じ顔はなかなか見つからなかった。 ―――おかしいな。たとえメイクしていたとしても、ある程度わかりそうなものだ。  ひょっとすると、見落としたか。焦り始めた時、ふいに廊下の方から声が聞こえた。 「えーっ、ユキヤ、帰っちゃったの?」  俺は思わずターゲットを探すのを忘れ、声のしたほうに目をやった。声の主は戸口の脇に立っていた女性だった。女性はピンクの髪に穴をあけた網タイツという古典的なパンク・ファッションだった。カップルで来ているらしく女性の傍らにはキャップにサングラス、口ひげといったパンクと言うよりストリート系を思わせる小柄な人物がいた。 「そうなんすよねえ。あいつ、メイクも落とさないで、ソッコー、出てっちゃったんスよ」  関係者らしい若い男が、なだめるように話しかけていた。 「んー、もうっ。せっかくプレゼント持ってきたのに。……わかった。帰る」  女性はへそを曲げたらしく、口を尖らせそっぽを向いた。彼氏と思しき人物は女性に何か話しかけると、ふいに戸口の方を向き、携帯電話のカメラを構えた。どうやら会場の様子を撮影しようというつもりらしい。俺は再び会場を出てゆく人波に視線を戻した。  おかしいな、と俺は思った。すでに半分以上の観客は会場を後にしており、残った観客は店長と話をしていたり、居残り組と言った風情だ。見たところ居残り組の中に女子高生を思わせる風体の人物はいなかった。仕方ない。外に出よう。そう思い、出口の方へ踵を返しかけた、その時だった。 「痛っ」  小さな叫び声とともに、すぐ近くで人影がよろめいた。と同時に乾いた音を立てて俺の足元に何かが転がってきた。見ると、転がってきたのはサングラスだった。俺は反射的に拾い上げ、落とし主と思しき人物を見た。そしてその顔を見た瞬間思わず声を上げていた。 「君は……」  俺は思わず絶句した。同僚からもらった写真の子に口ひげを加えた顔が、そこにあった。 「かっ……返せよ」  口髭の人物……稲本彩音はそういうと、俺の手からサングラスをひったくった。何と声をかけようか。躊躇しているわずかの隙に彩音はくるりと身を翻し、廊下へと姿を消した。 「あ、待ってくれ」
/179ページ

最初のコメントを投稿しよう!