第一話

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第一話

 家に帰ると兄がリビングでくふくふと笑みを零してスマホを眺めていた。 「はぁ、萌える~まりのたんは可愛ゆすなぁ……」  下がりっぱなしの目尻、どこか気持ち悪いオタク口調、オレがつい「……きもっ」と呟いたとしても、それはオレの咎ではないと思う。 「ん? とっしー、おかえり」 「とっしー言うな、このキモオタっ!」 「酷い! 僕はキモオタじゃないよ、僕はまりのたんオタクなだけだからっ」 「それが気持ち悪いオタク『キモオタ』って言うんだろうがっ!」  つい声を荒げてしまったオレに、兄は呑気に笑みを見せ「怒った顔、可愛くないよ」と、そう言った。オレはそんな兄の笑顔を見ていられずに「ふんっ」と一声返して自室へと踵を返した。  兄は元来とても普通の人だった。4歳年上の兄はオレをとても可愛がってくれていて、オレもオレでそんな兄が大好きで、自他と共に認めるブラコン兄弟。そんな兄が変わってしまったのは昨年突如現れたネットアイドルの『MARINO(マリノ)』がオレ達の前に現れてからだった。 「利之(としゆき)君、この娘可愛くない?」  そう言ってオレにスマホの画面を見せてきた兄の表情はキラキラしていて、オレは正直その時どんな返答を返したか覚えていない。  ネットアイドル『MARINO』はどこかの芸能事務所に所属している訳でもない、本当にただの一般人、自称アイドルという存在でネットの上でしか活動していないそれはもうニッチなアイドルであったのに、兄は転げ落ちるように彼女に傾倒していった。それまで兄に変なオタク趣味は一切なかったのだ、だから何故そこでネットアイドルなんかに目を留めたのか、そして人格が変わってしまう程に彼女に傾倒していったのかオレにはさっぱり分からなかった。 「はぁ、まりのたんって何だよ……ホント気持ち悪ぃ……」  オレは兄がそんな風に変わってしまったその事に苛立ちばかりを募らせている。オレは今年大学に進学し、兄は今年で大学を卒業する。就職活動も忙しいであろう兄が、あんな風にアイドルにうつつを抜かしているのがオレにはとても解せなくて、オレはまたひとつ大きく溜息を吐いた。  そんな時オレのスマホが振動を伝えてきて、なんの着信かと思えば高校時代からの悪友である真(まこと)からのメッセージが届いていた。 『明日、いつもの所で待ってるから、準備よろ~』という軽いメッセージにオレは更に大きな溜息を零しつつも『了解』と返して画面を閉じる。 『なんでこんな事になったのか……』と思いながらオレはクローゼットの奥を漁る。そこに隠してあるのは女物のワンピース、初めてこれに袖を通した時はこんな事になるとは思っていなかったのに……  事の始めは高校生活最後の文化祭、3年生はこれが終われば灰色の受験戦争が始まる訳で、オレ達の仲間もこれで最後のお祭りとばかりに大いに盛り上がっていた。 「それにしてもとっしー、肌綺麗だね。一体どんなスキンケア使ってその肌艶保ってんの?」  クラスメイトの女子に言われた一言。別にスキンケアなんてしてないし、髭が薄いのも元々だし、オレはどう答えていいか分からずに苦笑する。 「ホントそう、とっしー顔立ちも整ってるし、すごく化粧映えしそうなんだけど、やってみてもいい?」 「は? ちょ……嫌だよそんなん」 「え~いいじゃん、いいじゃん、ちょっとだけだからさぁ」  そう言って女子に囲まれたオレは問答無用で化粧を施され、気が付いたらあれよあれよと女子の制服まで着せられて、お祭り騒ぎのバカ騒ぎの中、何故か女装姿で学校を練り歩く事に……これがネットアイドル『MARINO』爆誕の瞬間であった事を誰が予想できただろうか? これに関してはもうお祭り中の悪ふざけで片付けられる事だったのだが、後日文化祭のあの時の彼女は誰だ? と一部男子の間で盛り上がりを見せた事がきっかけで悪友の真がイタズラめいた表情で言ったのだ。 「生でここまで人の目が誤魔化せるなら、ネット上なら更に面白いくらい釣れる奴いるんじゃね?」  そう、これはただのお遊び、女子高生だと思っていた可愛い女の子が実は男子高校生でした~(大爆笑)みたいな感じのイタズラ動画になるはずであげた写真に音楽だけを乗せた雑な作りの動画がまさかの再生数万越えになってしまってオレ達は正直ビビリ倒した。 『何年に1人の美少女』なんてありきたりの煽り文句なのに、それに反応する女子高生好きは意外と多く「可愛い」という声を集めつつも「化粧濃すぎ、ブ~ス」みたいな中傷ももちろんあって、賛否両論盛り上がった末のその閲覧数だ。  1本目で女子高生がきゃっきゃうふふしている画を、2本目でネタバレを……と考えていたオレ達の予想外の所まで画像は流出し、もう目も当てられない。 「これ、ネタバラシしたら世間様に怒られるやつなんじゃ……」と、青褪めたオレはその後ネタバラシもできずに現在に至っている。だったらその動画一本で止めておけば良かったと思うよな? オレもそう思う。けれど真は調子に乗った。 「とっしー、もういっそネットアイドルとして生計立てればよくね? 俺ととっしーのユニットで真と利之で、う~ん……まりの?」  なんて勝手な事をほざいた挙句、文化祭の女装写真までばら撒き始め、終いにはバラされたくなかったら女装を続けろと脅されるまでになった。  実際結構な動画再生数に真はちょっとした小金を手に入れたらしく、オレもそのおこぼれにはあずかっている訳で、正直オレはこんな事すぐにやめたいと思っているのだけれど、どうにもやめられずにいる。  割のいいバイトだと割り切ってしまえばいいのだが、実の兄があんな感じに架空のネットアイドルに毒されていくさまを見せ付けられては罪悪感も半端なく、オレはまたしても大きな溜息を零した。  翌日オレは真に指定されたコスプレスタジオに赴く。最初の文化祭以外の撮影現場は全部この場所だ。コスプレスタジオなだけに、中には教室みたいな部屋、電車内のような部屋など色々なシチュエーションの撮影場所があって、そんな文化とは無縁で生きてきたオレはすげぇなと感心するばかりだ。 「とっしー、こっち」  スタジオ前には既に真が待ってこちらに手を振る。そんな真の横には真の彼女が立っている。何故なら化粧や衣装の調達はほぼ彼女が請け負ってくれているからだ。彼女はいわゆるコスプレイヤーというやつで、衣装も自作で作ってしまう剛の者だ。コスプレイヤーはやりたいキャラに寄せるメイク術にも長けていて、普通に化粧をするより遥かにメイク上手(あんまり詳しくは分からんけども)らしく写真画像の加工もお手のもの、今のところオレが男だとバレる気配はない。  連れ立って入った部屋はどうやら私室風の部屋らしく、まるで誰かの家に遊びに来たような感覚でオレ達は部屋の中で座り込んだ。 「とっしー、ちょっとモノは相談なんだけど……」 「ん? なに?」 「今日はさぁ、ちょっと脱いでみない?」 「…………はぁ!?」  本日施されている化粧はいわゆるすっぴん風の化粧。(っていうか、すっぴん風ってなんだよ? すっぴんならすっぴんでいいじゃねぇか! いや、完全すっぴんじゃさすがに男だってバレルかもだけど!)着せられたのは可愛い部屋着で、とても嫌な予感がする。 「最近さすがに皆とっしー見慣れてきたみたいでさ、だんだん閲覧数減ってきてんだよね……」 「そりゃあ結構な事じゃないか、そのままフェードアウトさせてくれよ」 「何言ってんの! とっしーを待ち望んでるフォロワーさんは千人超えてるんだよ!? ネットアイドルMARINOはお客さんあってのアイドルなんだからね!」 「いや、別に本気でアイドル目指してる訳じゃないし、そもそもアイドルになんてなれないし……」 「アイドルって言葉の意味は『偶像』だよ。ファンはとっしーの中に理想の女の子像を追い求めてるんだから、もうとっしーは立派なアイドルだよ!」  立派なアイドル……それもそれでどうなんだ? 偶像崇拝というか、これもう立派に詐欺だからな? しかもそのアイドルを脱がそうとかどういう了見だ? 「言っておくが、脱いだらさすがに男だってバレるぞ?」 「そこはそれ、チラ見せで煽るのがセオリーだろ?」  何故か真の彼女が真の横でクスクスと笑っている。 「彼氏目線でおうちデート的なね……」  そう言って、オレは真に押し倒され、脇からは彼女の嬉しそうな黄色い悲鳴。ってか、え? 待て、これはどういうシチュエーションだ!? ってか、彼女! 彼氏が別の女を(女じゃないけど)押し倒してるのを嬉々とした笑顔で写真撮ってんじゃねぇよっ! 「ちょ、待て、真、やめ……っ、こらっ! ちょっと、助けてっ!」  直に肌を弄られ、胸下ぎりぎりまで服をたくし上げられる、そして首筋に鈍い痛み。噛み付かれたのだと気付いたのは、真が離れていった後。部屋にあった鏡を見たら、くっきりはっきり首筋に噛み跡が残っていた。 「おまぇ……完全に跡になってんじゃねぇか!」  鏡を覗き込み、部屋着を引いて首筋を見ているとそれももれなく写真を撮られ、何をしたいのか全く分からない。 「いやぁ、なかなかいい画が撮れた」 「どこがだよっ!?」 「まぁまぁ、あとは俺に任せとけ」  そう言って笑った笑みに悪い予感しかしないのだが、オレは大きな溜息を吐いて「もう好きにしろ」と、化粧を落した。
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