第二話

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第二話

 ネットアイドルMARINO(まりの)、それはどこの芸能事務所にも所属していないネット上でアイドルを自称しているだけの痛いアイドル。けれど、そんなMARINOのSNSには彼女の信者が引きも切らず日参するように通ってきては彼女を褒め称え女神のように扱っている。彼女のSNSのフォロワーは千人を超えて、今なお増え続けているのだが、そのアイドルの正体が実は男で、何処にでもいる冴えない男子大学生だなんて、誰が信じるというのだろうか…… 「利之君、今日も一段と可愛いねぇ」  そう言って兄はオレへとスマホのカメラを向けた。 「兄ちゃん、それ止めてって言ってるのに……」  オレが大きな溜息を吐きつつ、そのカメラを隠すように掌で覆うと、兄は「なんで隠しちゃうの?」とぶーぶーと不満を述べる。  ネットアイドルMARINOその正体はオレ、飯島利之(いいじまとしゆき)、そしてそんなオレを嬉々とした表情で撮影しているのはオレの4歳年上の実の兄、飯島真之(いいじままさゆき)だ。  オレがネットアイドルなんてやっているのは言わば不可抗力であったのだが(一話参照)何故かオレは現在も以前と変わらずネットアイドルMARINOを続けさせられている。  炎上騒動からもうこんなのはこりごりだと思っていたのに、現在もMARINOのSNSアカウントは日々可愛いMARINOの画像で埋め尽くされている。それが兄の手にかかったオレの写真なのだから本当に目も当てられない。  高校時代の悪友で、元々MARINOのアカウントを作成していた真(まこと)の手を離れたMARINOのSNSは今では兄のホームのようになっていて、日々写真は増えていく。  真はオレに化粧を施し、プラス画像の加工修正でMARINOを作り上げていたが、兄は「利之君はそのままでも可愛いから」と言って素の写真を遠慮もなく撮影してSNSに上げていく。画像をアップする際にはオレとは気付かれないようにそれなりの加工を施してはいるが、それでもオレは正体がバレるのではないかとひやひやし通しだ。  けれど、その素顔に近い写真の数々は「素朴で可愛い」と逆に評判を呼んでしまい、現在もMARINOのフォロワーは着々と増え続けている。 「もうホント止めようよ、兄ちゃん。これってもう立派な詐欺だとオレ思うよ?」 「詐欺っていうのは相手に何らかの害があった場合に成立する罪でね、相手がただ喜んでいるだけなら詐欺罪にはならないんだよ? それに僕は可愛い利之君の写真を皆と共有しているだけで、利之君のお友達みたいに利之君を金儲けの手段にしようとは思わないからね」  そう言って、兄はまたしてもオレの写真を一枚とって「うん、可愛い」とご満悦だ。正直、兄が言う程自分の事を可愛いなんて思っていないオレは溜息を吐く。現在兄のスマホの中にはきっとオレの写真が溢れんばかりに収まっているはずだ、だってそれこそ毎日所構わず、時も選ばず兄はオレにシャッターを向けるのだ。 「今までは隠し撮りで我慢してたけど、今は遠慮なく撮り放題で僕はとても嬉しいよ」なんて笑う兄には正直ちょっとどん引きだ。隠し撮りってなんだよ? 今までもこっそりオレの事を撮っていたのかと兄に問い詰めても兄は「ふふふ」と笑うだけで答えてはくれない。けれど、MARINOのSNSに上げられた写真の中には撮られた記憶のない物も混じっているので、今までも常態的に写真は撮られていたのだろう。怖っっ!  アカウントを乗っ取られた真からはあれ以来特に連絡はきていない。というかネット上で『MARINOは男だ!』とか『正体は……』みたいな投稿が上がる事もあるのだけど、その度毎に『アンチ乙ww』みたいに信者に叩き潰されていて、オレの信者も十分怖い。これで本気で正体バレたらオレ自身どうなってしまうのだろう……と思わずにはいられない。  まぁ、そうは言ってもそういうアレコレは全てネットの上での事、実生活は普通にただの大学生なオレは淡々と日々を生きている。けれど、オレの一番の狂信者が一緒に暮らす兄なのだと分かってしまっては、家にいても落ち着かない。  兄は今までも少しブラコン気味ではあったが、そこはお互い様でここまで露骨にオレに対して『可愛い』などとほざく人間ではなかった。オレはオレで寡黙で頼れる兄を密かに崇拝している所もあったので、この兄の変わりようには驚くばかりだ。  普段は眼鏡でどこかもっさりした風体をしているが、成人式などちゃんとした場に出て行く時の兄の姿はとても格好いい「普段からそういう格好していればいいのに」と、つい言ってしまったくらいに顔立ちも悪くない兄なのに、そんな兄の現在の風体は完全にただのステレオタイプなアイドルオタク。正直引く。  一時『ネットアイドルMARINO』に狂っていた兄はそれがオレだと分かって少しおかしくなってしまったように思う。オレは兄のその執着が少しだけ怖くなっていた。 「ねぇねぇ、飯島君って妹さんとかいる?」 「え? いないよ。うちは兄ちゃんとオレの2人兄弟」  大学で新しく出来た友人に声をかけられ答えると、彼は「そっかぁ……」と、少し落胆したような表情を見せたのだが、すぐに「じゃあ親戚に『まりの』って名前の子とかいない?」という問いに、オレは少しだけ眉を顰めてしまった。  オレとMARINOは顔が似ている(というか同一人物なのだから当たり前)せいか、たまにこんな風に『まりの』の事を問われる事があるのだが、『MARINO』の知名度と言うのは一体如何ほどのものなのだろうか? 「自称ネットアイドルのMARINOの事なら、オレ全然無関係だし、親戚でもねぇよ」 「そっか、そうだよね……あはは、それにしても飯島君もMARINOを知ってるんだね」 「よく似てるって言われるから……」 「そうなんだ、やっぱり他にも似てると思う人いるんだ、本当に妹じゃないの?」 「うちは男兄弟しかいません」  オレがきっぱりと言い切ると友人は「そうだよねぇ、アイドルの知り合いがこんなに身近にいる訳ないよね……」と苦笑する。 「それにしてもMARINOってそんな有名な訳? 言っちゃなんだけどMARINOって所詮自称アイドルのただの一般人じゃん? そんなに知名度もないと思うんだけど?」 「最近はテレビの中にだけいるアイドルよりも会いにいける身近なアイドルの方が人気だからねぇ。量産型のアイドルが増えている中で手が届きそうで届かない距離のアイドルってやっぱり何処かそそるよな」  そんなものか? と、そんな心理がよく分からないオレは小首を傾げる。アイドルや芸能人なんてはたから眺めているから良いのであって、オレは関わりあいたいとは思わないけどなぁ? 「それにしても最近のMARINOってさ、前に比べてギャルっぽい所が抜けて親しみやすくなったと思わねぇ?」 「え? どうかな……オレMARINOは知ってるだけで追っかけとかじゃないから」  オレは基本的にMARINOの素体であってMARINO本人じゃない。今までもMARINOの性格付けは真がやっていて、そこを今は兄が引き継いでいるので親しみやすくなったというのなら、それは兄が作り出しているMARINOというキャラクターが万民受けしているという事なのだろう。  兄はMARINOを全力でサポートすると言っていた。兄はMARINOという本当は実在しない架空のアイドルが大好きなのだ。それこそ少し前まで性格が変ってしまうほどに傾倒していたのがいい証拠だ。そう思うと現在兄が作り出しているMARINOは、それこそ兄の理想そのものの女の子なのかもしれない。現実にはいない、けれどあたかも存在しているかのような彼女……何故かよく分からないのだが、少しだけ胸がちくりと痛んだ。 「ただいま~」 「おかえり、利之君」 「兄ちゃん今日も大学休み?」 「単位はもうあらかた習得済みだからね、大学の4年生なんて就活メインで学校なんてほとんどないようなもんだよ」  リビングで待ち構えるようにオレを迎え入れた兄はそう言って笑ったのだが、それにしても兄が就職活動をしている姿というのもほとんど見かけていない気がするのだけれど、その辺は大丈夫なのだろうか?  最近兄は夜遅くまで起きているようで朝はほとんど顔を合わせない。朝型のオレと夜型の兄とでは顔を合わせるのが夕方のこの時間くらいのもので、こんなんで社会人になれるのか? と、少し心配になる。ちなみに両親は父が昨年まで単身赴任で県外に暮らしていたのだが、オレの高校卒業と同時に母が父を追いかけるように赴任先へと行ってしまい、現在この家はオレと兄との二人暮らしだ。父の定年と共に両親はこの家に帰ってくるのだが、それまでに2人共きっちり家事を身に付け自立しろという事らしい。  朝食は各自適当に、片付けも自分の出した物は自分でしまうという具合にルールを決めた。朝型のオレは朝一に洗濯物を回して干して出掛ける、そして昼に起きてきた兄が頃合いを見計らってよせてしまうという感じに割分担が振られていて、まぁ男所帯でもなんとかなっている。 「兄ちゃん今日の晩飯何にする?」 「冷蔵庫の中、何か残ってたかな?」  そう言って冷蔵庫の中を覗き込んだ兄は「何もないや」と苦笑を零す。 「今日は外で食べて、帰りにスーパーでも寄って買い物しようか」  喰いたい盛りのオレ達だけど、渡されている仕送りには限りがある。光熱費水道代諸々親持ちで、食費まで貰っているのだから文句は言えないのだが、外食など久しぶりで心が躍る。 「オレ、肉喰いたい!」  はいっ、と手を挙げたオレに兄は「仕方がないなぁ」と苦笑して「今日は僕のおごり、だけど荷物持ちはきっちりやってもらうからね」と、オレの頭をぽんと撫でた。  オレと兄とで出掛けた先は地元で有名なハンバーグ屋さん。ファミレスみたいな所だけど、肉は旨いしリーズナブルだし、オレ達は気に入っている。 「あれ? 飯島君?」  声をかけられ顔を上げると、大学で別れたはずの友人がスタッフの制服を着て立っていた。 「え? なに? ここでバイトしてんの?」 「うん。飯島君は地元この辺なの?」 「うん、生まれも育ちもこの街だよ。それにしてもお前の家って逆方向じゃなかったっけ?」 「はは、彼女がこっちの方に住んでるから」  そう言って彼は笑い、注文を取っていく。彼はMARINOのファンのようなので、彼女なんていないと思っていたのにちょっと意外。 「大学の友達?」 「うん、そう。学部は違うんだけど授業が幾つか被ってて仲良くなったんだ」  オレの言葉に兄は「ふぅん」と瞳を細め「名前は?」と問うてくる。 「名前? そういえば聞いてないけど、確かタクトって呼ばれてたかな?」 「タクト、タクト君ね」 「あ、兄ちゃん、またストーカーみたいな事しようとしてんじゃねぇだろうな? 兄ちゃんが動くとオレめっちゃ過保護な弟みたいな扱いされるようになるんだから、止めろよな」  自他と共に認めるブラコン兄弟として育ったオレは、幼少期兄がオレの友人関係に首を突っ込んでくるのも変だとは思っていなかったのだが、思春期にかかったあたりでそれは普通ではないのだと気が付いた。  オレが中学一年生、兄が高校一年生の頃それはとても顕著で「とっしーの兄ちゃんってちょっと怖いよな」と、オレの同級生に兄はとても怖がられていた。普段はにこにこしていて怖い要素なんか何処にもないんだけど、友達に失礼な態度を取ったりする事もあって困った事が何度かある。だけどオレが言えばちゃんと止めるし、友人達が兄の何をそんなに怖がっていたのか本当は未だによく分からない。 「お、人参が星型だ」 「あれ、本当だね。いつもそうだったっけ?」  運ばれてきたハンバーグセット、自分で料理をするようになってから料理のこういうちょっとした飾り付けが目に付くようになった。普段何気なく食べていたそれらなのだが、自分でやろうと思えば意外と手間もかかるのだ。だからオレはその添えられた人参の形にテンションを上げたのだが、そんなオレに兄は「可愛いね」とシャッターを切った。  翌日、また学校でタクトに声をかけられた。今日は被っている授業はないので珍しいなと思っていたら「飯島君がMARINO本人だったんだね……」と、神妙な顔で言われてしまった。 「え? 何の話?」 「隠さなくていいよ。少し驚いたけど、前々からMARINOは男の娘だって噂があったのも事実だし、そんな事ある訳ないと思ってたけど、飯島君ならある意味納得って言うか……」  なんでそこで納得してしまうんだよ。普段のオレとMARINOではキャラ設定も何もかも違うだろう? オレってばそんなに女顔? 確かにすごく母さん似なのは間違いないんだけどさ。 「何を思ってそんな事言い出したのか知らないけど、オレはMARINOじゃねぇよ」 「そうだよね、隠したいよね。うんうん分かる。そこは俺もMARINOを尊重するよ」  いやいや、そういう話じゃないし、人の話を聞け! 「だからオレはMARINOじゃないって言ってるのに……」 「でも昨日投稿されてた写真、これうちの店のハンバーグだろ?」  タクトが見せてくれた画像には『今日はお兄ちゃんと晩ご飯。にんじんさんが星型ですごく可愛い☆』という言葉と共に顔は見切れているのだが、オレが人参にテンションを上げていた時の写真が掲載されていた。 「MARINOがあの街の娘だってのは知ってたんだ。だからいつかMARINOがあそこの店にも来るかもしれないと思って俺はあそこでバイトしてたんだけど、まさか飯島君だったとはね」 「ちょ……お前、昨日彼女が近所に住んでるからバイトしてるって言ってたじゃねぇか」 「実際MARINO(彼女)はいただろう?」  彼女ってMARINOの事かよ!? ってか、でも何でMARINOがうちの街に暮らしてる事ばれてんだよ? そんな個人情報晒してないはずだろう!? 「いやいや、それにしたってあんな写真一枚でなんでオレだと思うわけ? 他にも客はいくらもいただろう?」 「星型の人参、実はあれお子様プレートに乗せる用のやつでさ、昨日たまたま普通のが間に合わなかったから急ごしらえで、普段はあんな形はしてないんだよ。だけどこの写真には星型の人参、皿や食器を見ればうちの店だってすぐに分かったし、あとはもう簡単だったよ。一緒にいたのが、噂のお兄ちゃん?」  あんなちょっとした写真一枚でそこまでばれるとかSNSマジ怖えぇ…… 「お願い、誰にも言わないで!」 「やっぱり普段はナイショにしてるんだ?」 「あれはオレが好きでやってる訳じゃないんだよ……」 「へぇ」とタクトが瞳を細めた。 「バレると困る?」 「困る」  平凡な男が女のふりをしてきゃっきゃした画像をSNSに投稿して男達を騙くらかしてるなんて、それがバレた日には騙されている男達の怒りがこちらに向くのは目に見えてる。 「ふふ、MARINOの弱味、握っちゃったぁ」  そう言って笑ったタクトは「バラされたくなかったら、俺と付き合ってよ」と、そう言った。 「付き合うって、何処へ?」 「ぶふっ、そういう所本当に素でMARINOなんだね」 「え? え? どういう意味?」 「俺が言ってるのは何処かに一緒に行こうって意味じゃなくて、俺とお付き合いしてくださいって意味。それとも恋人になってくださいって、言ったらいいかな?」  一瞬完全に思考が停止した。こいつは一体何を言っている? 「オレ、正真正銘男なんだけど……?」 「平気平気、俺どっちでもいけるから。それに飯島君だってこんな事やってるくらいだ、多少そっちの気はあるんだろ?」  くそっ、オレとお前を一緒にすんな! お前が平気でもオレにそんな気はねぇんだよ! 今まで彼女の一人も出来たことないのに、好きでもない男を彼氏にできるか! 「そんなの……」 「飯島君に拒否権なんてないだろう? それとも今ここで飯島君がMARINOだってバラされたい?」  耳元で囁くようにそう言われて、ぞわりと背筋に怖気が走った。 「俺は存外優しいよ?」  そう言って笑みを見せたタクトだったのだが、優しい男はこんな風に人を脅して付き合いを強要するような事はしないと思う。 「授業のあと、駅前のマックで待ってるから」  タクトは笑みを浮かべたまま、ひらりと手を振って去って行った。これ、オレ絶体絶命のピンチってやつなんじゃねぇの? あの炎上の時にネットアイドルなんて止めてしまえばよかった、何となくずるずるとなし崩しに放置してきたツケが回ってきた気がする。 「これ、どうすりゃいいんだよ……」  まだ大学生生活は始まったばかりなのに、オレの目の前には暗雲しか見えない。  オレはその時、架空のネットアイドルMARINOを心底憎いとそう思った。
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