第二話

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 オレは大きな大きな溜息を零す。最近オレはいつもこんなだ。大学生活がスタートしたばかりのオレには明るい学生生活しかないと信じていたのに、何故か最近俺の周りはとても不穏で溜息しか出てこない。それもこれも全てネット上に存在感を煌かせているネットアイドル『MARINO』のせいだと言っても過言はないと思う。  MARINOはオレと高校時代の悪友2人で作り上げた架空のネットアイドルだったのだが、今現在そのMARINOはオレの平穏な生活を脅かす存在になりつつある。  何がアイドルだ、この野郎! 遊び半分で女装までしてMARINOを作り上げた過去の自分を殴りつけたい。本当に本当にMARINOなんて大嫌いだぁぁっ!!! 「おはよ、利之君」  寝起きで機嫌の悪いオレに向って兄がスマホを向けるので、オレはそのカメラを鷲掴みにして取り上げる。 「ちょっと、利之君乱暴だよ。ただでさえ最近利之君が写真撮らせてくれないから更新も滞ってるのに……」  そんな見当違いの不平を言われてもこっちだって困る。元々オレは好きでMARINOをやっていた訳じゃない、オレが嫌だと言ったら止めるのが筋ってもんだろう? 「ねぇ、兄ちゃん。オレ、もうMARINOは止めたいんだけど」 「え? なんで?」  なんでって、そもそもおかしいだろ? 兄ちゃんこそなんで自分の弟の写真使って理想の女の子なんて作り出してんだよ? 悪友から奪い取った架空のアイドルMARINOを兄は更に進化させ、現在も煌びやかなMARINOを作り出しているのだが、それにしたって、もっとこう別にやりようは幾らでもあるだろう? オレはもう嫌だ、MARINOと関わってからオレの人生は滅茶苦茶だ。オレはただ真っ当に生きたいだけなのに…… 「とにかく、もうMARINOは引退。どのみちネット上の自称アイドルの一人が消えるくらいどうって事ないだろう? あとは任せたから兄ちゃんどうにかしておいて!」  そう言ってオレは家を出る。せっかくの休日、本当は家で1日ごろごろしていたいのだが、それができないオレは不満顔を隠せないまま駅を目指す。  今日はどうしても外せぬ予定が入っているのだ、これもMARINOさえいなければ出て行く必要もない用事なのに……と、オレは不貞腐れる。 「ねぇ、飯島君。最近MARINOのSNSが更新されないのはなんで?」  オレの横で小首を傾げたのはオレの大学の友人のタクト。駅で待ち合わせたオレとタクトは電気屋や本屋を巡りぶらりと街を歩いている。タクト曰く、いわゆるこれはデートなのだが、どうにもオレは苦虫を噛み潰したような表情を隠せない。 「もうMARINOは止めようと思って……」 「え? なんでなんで? オレがMARINOの大ファンだって飯島君だって知ってるだろ?」 『だから余計に、だよ』と、言いかけたオレはそれを言ったらやぶ蛇かと沈黙を貫く。  オレの女装写真から始まった『MARINO』という女の子の快進撃は留まる事を知らず、今でもインターネット上でファンを増やし続けている。けれど、それはあくまで架空の女の子で現実には存在しないのだが、それを知ってなお目の前にいる男タクトはMARINOのファンを自称する。 「MARINOなんて女はこの世には存在しない」 「なに言ってるの? MARINOは今、俺の目の前にいるよ」  そんなタクトの言葉にオレはやはり渋い顔になってしまうのだが、タクトは気にした様子もない。 「今日はもうはっきり言おうと思って来た。オレはMARINOをやめる。そんな女はそもそも存在しないんだ、あれはオレの高校時代の同級生と兄ちゃんが作り出した虚像で、オレとは全く違う架空の存在。MARINOはオレじゃないんだよ」 「? そんなの分かってるよ?」  意を決して言ったオレの言葉に何故かタクトはきょとんとした表情。いや、分かってるならオレと付き合いたいとかそんな話にはならないはずだろ!?  そう、オレは数日前このタクトに交際を申し込まれたのだ。タクトはMARINOのファンでずっと本物のMARINOを探していたらしい。けれど見付けたMARINOの素体はオレみたいな平凡な男で、がっかりしてくれればいいものを、コレ幸いにと彼はオレに交際を申し込んだのだ。 「いや、お前は絶対分かってない!」 「そんな事ないって。むしろMARINOが飯島君で逆に親しみが湧いたって言うか、MARINOがそのままそこにいたら気後れしたかもしれないけど、逆にちょっとほっとした所もあって、MARINOの正体を知ってるのが俺だけだっていうのも結構優越感あったりするんだよな」  むむぅ、こいつの思考回路がよく分からない。憧れていた女の子がただの平凡な男でなんでほっと出来るんだよ? 意味分からんわ。 「でも、ともかくオレはもうMARINOをやめる、そうやって兄ちゃんとも話をつけてきた」 「? 兄ちゃん? なんでそこで飯島君のお兄さんが出てくるんだ?」 「MARINOの写真の被写体は確かにオレだけど、MARINO自体はオレじゃないからだよ。写真載せてたのも、文章書いてたのも全部うちの兄ちゃん! つまりお前が好きになったMARINOはうちの兄ちゃんが作り出した理想の女の子なんだよ」 「へぇ、そうなんだ。俺、飯島君のお兄さんとは趣味が合いそうだな」  タクトはそうにこにこ笑うが、今はそういう話をしてんじゃねぇ! 「と・も・か・く! もうMARINOはこの世から消える、脅す材料が消えるんだ、オレはお前と付き合う気はない!」 「あはは、飯島君ったら面白い事言うね。一度インターネットに流した画像がそう簡単に消えると思ったら大間違いだよ? 例えMARINOのアカウントがSNSから消え失せたとしても一度現れたMARINOの存在が消える訳じゃない、現に俺は今までのMARINOの画像は全部スクショで保存済みだよ」  害のなさそうな爽やかな笑顔でさらりと怖い奴だな……ストーカーかよ。 「それこそMARINOの淫行画像だって全部残してあるんだよ?」 「!?」  MARINOの淫行画像、それは最初にMARINOを作り上げた悪友が最後に投げ捨てていった彼女とのハメ撮り写真。あれは悪質な乗っ取りだったと、逆にアカウントを乗っ取って兄が綺麗に無きものとしてくれたはずだったのに、まだその画像は残っていたという事か…… 「あれは、オレじゃない!!」 「だよねぇ、あのMARINOの画像は間違いようもなく女の子だった。だから俺もMARINOは女だって疑いもしていなかったんだから。でも、あの中にも本物は混じってる、だろ?」 「なんで……」 「俺、この写真好きなんだよね」  そう言って見せられたのは潤んだ瞳で鏡の中の自分を見つめるMARINOの姿。首筋には真に噛みつかれた歯形が残っていて、自分で見てもちょっと色っぽいと思ってしまうようなそんな写真だ。 「この写真を見てから、俺はMARINOを探し始めたんだ。MARINOを抱きたいとそう思った」 「だから、MARINOは存在しないって……」 「でも、これはお前だろう?」 「っ……オレは男だって言ってるだろ!」 「構わないと、俺も言ってる」  なんだろう、目の前の男がとても怖い。何かがオレの第六感に訴えかけるのだ、早く逃げろと、警鐘が鳴る。 「オレは男を相手になんて抱くのも抱かれるのも真っ平ごめんだ!」 「やってみたら意外とハマルかもしれないよ? 俺、そっち方面はわりと自信あるんだ」  MARINIOのファンを自称しているのでただのオタクにしか思えなかったのだが、タクトの見た目はそこまで悪くない。自信があるという事は今までそっち方面には苦労していなかったという事で、そんな男がネットアイドルになんてハマってんじゃねぇよ、馬鹿野郎。  お前はちょっと毛色の変わったので遊びたいだけかもしれないが、オレは正真正銘DTなんだ、初Hには夢も希望も詰まってるんだから、そんな軽い気持ちで抱き合えるかっ! 「悪いけど、オレにそっちの趣味はない」  後ずさるようにじりっと下がったら、背中に何かがぶつかった。後ろなんて確認していなかったので、誰かにぶつかったのだと思い、慌てて謝ろうとしたら長い腕が伸びてきて背後からぎゅうと抱きこまれた。 「利之君、みぃ~つけたっ!」 「……っ、兄ちゃん!?」  オレの頭の上に顎を乗せるようにして、兄がタクトに向って「どうも~」と、愛想のいい声をかける。 「えっと……飯島君のお兄さん、でしたっけ?」 「うん、そう。いつも弟がお世話になってるみたいで、ありがとねぇ」 「いえ、そんな……」 「でも、少し不穏な会話も聞こえてきたから、お兄ちゃん心配になっちゃうな。うちの弟ちょっと無防備な所あるから変な道に引きずり込もうとするのやめてくれる?」 「え、や……」  抱き込まれたままのオレは兄の腕から逃れようとするのだが、軽く抱きついているように見せかけてぎっちりホールドされたオレはその腕から逃れる事ができない。兄の顔はオレの頭の上にあるので兄の表情も見えないのだけど、タクトがあからさまに挙動不審におどおどし始めたので、もしかして兄はタクトに喧嘩を吹っかけているのかもしれない。 「ちょ、兄ちゃん!? なんでこんな所にいるの!? ってか、放せよ、恥ずかしい」 「なんで? こんなの日常茶飯事だろ?」  いや、昔は確かに日常茶飯事だったけどさすがに最近はここまでべったり抱きついてくる事もなかっただろう? しかも重い、オレよりでかいんだから仕方ないけど体重かけてくんな。 「えっと、君の名前、確かタクト君だったよね?」 「あ、はい」 「さっきまでの会話を聞く限り、君は利之君がMARINOだって知ってるみたいだけど、MARINOと利之君は完全に別物だから変に利之君に絡むのやめてね? 利之君大人しくて優しい子だから、そういうの兄としてすごく困るんだ」 「そんな、俺は真剣に……」  真剣になんだよ? オレが好きだとでも言うつもりか? お前が見てるのは所詮作り物でまがい物の虚構のアイドルMARINOなのにどの面下げて真剣にとか言ってんだろう? 「真剣にねぇ……ネットアイドルの横の繋がりって意外と細密でさ、ファン層が被ってるから色んな噂も耳に入ってくるんだけど、ここ最近ぽっと出のアイドル志願の子を片端から喰って回ってる性質の悪い男がいるって小耳に挟んでさ、そういうの怖いんだよねぇ……利之君は根本的に女の子じゃないし安心してた部分もあるんだけど、そういう男ってそのくらいの事屁でも思わないらしくてさ」  急にタクトの顔色が変わって、挙動不審に瞳を逸らす。 「聞いた所によると、そいつ女の子を喰うだけならともかく写真撮ってお金巻き上げるような事もするらしいんだよね、君がそうだとは言わないけどそういう輩もいるから、悪いけど利之君をMARINOだって知ってる君に利之君を任せることはできないんだよね」 「俺はそんな人間じゃない!」 「うん、疑ってる訳じゃないよ、まだ確定じゃないし、だけど特徴がとても似ているから困ってる」  なんか話が不穏な方に流れてるぞ。なに? 自称アイドルを片端から喰って回ってる男? いやいや、さすがにそこまで大それた男には見えないけどなぁ? 顔面偏差値的に悪くはないと思うけど、そこまでものすごくイケメンって訳でもないしさ。 「まぁ、それで今、照会中な訳だけど……」 「照会中?」  オレが小首を傾げると兄は「うん」と頷いた。 「そんな女の子の一人が妊娠しちゃってるらしいんだけど、その男、責任取りたくなくて逃げ回ってるらしいんだよね。女の子、そんな感じだからメンヘラ拗らせちゃってるみたいで死に物狂いでその男探しててさ……」 「あ、っと悪い、飯島君、俺ちょっと急用が……」  そんな風にタクトが言った所で、ぴこんと誰かの携帯の着信音が鳴った。兄がオレの拘束を解いてポケットの中に入っていたのだろうスマホを取り出し、一言「ビンゴ」と、画面を写す。そこにはオレの知らない可愛い女の子とタクトが仲睦まじい2ショットで映っていて、もしかしてこの子がメンヘラ拗らせちゃった子なのかな? 「さて、どうしようかなぁ……?」と、兄は瞳を細める。 「お兄さん、いえ、お兄様、それ完全に人違いなんでっ、オレそんな女知りませんしっ!」 「そっかぁ、だったらそれでもいいけど、彼女のお父さん実は『ヤ』の付く職業の人で娘さんよりお父さんの方が躍起になって彼のこと探してるなんて情報も別になくてもよかったかな?」  タクトの表情があからさまに引き攣って「そんなの知らない」とぼそりと零す。 「彼女、ご両親にものすごく溺愛されてるらしいから、この彼も大変だねぇ」 「すみません、ごめんなさいっ!」 「僕に謝られても困るかなぁ。謝るんなら彼女にちゃんと謝ってあげて? あと利之君にはもう付き纏ったりしないでね? そうでないと僕、ついうっかり指が滑っちゃうかもしれないよ?」  青褪めたタクトは首が千切れ飛ぶのでは? という勢いで首を縦に振って、一目散に逃げて行った。 「さてさてこれで一件落着かな?」 「ねぇ……兄ちゃん、今のマジ話?」 「うん? まぁ9割方そうだねぇ」 「9割?」 「彼女のお父さんがヤの付く職業ってのは嘘、彼女のご両親は公務員の方だよ」 「それ以外は?」 「全部ホントの話」  うわぁ、マジか…… 「自称アイドルの子って本物のアイドルにはなれなくてもアイドルを名乗っても受け入れられる程度には可愛い子が多くてさ、そういうのを狙って口説いて回ってたみたいだね。まだ未成年の女の子が何人もいたみたいで、そのうち捕まるんじゃない?」 「え?」 「さっきの彼女のご両親、公務員だって言っただろ? 彼女から芋づる式に被害届け出てるみたいだよ」  公務員=警察かっ! 「ついでにあの男、利之君の学校の生徒じゃないみたいだしね」 「へ?」 「彼の親も親で、いわゆる地元では金持ちの実業家らしいね。息子の悪行があんまり目に余るものだから金を持たせて都会に出したはいいけれど、彼の素行は直らなかったみたい。目に付くネットアイドル見付けては利之君にしたみたいに近付いて……あとは大体分かるかな? 金と暇のある若者は怖いねぇ」  そんな情報をこの短期間で色々と収得してる兄ちゃんも充分怖いけどなっ! しかも、ここに現れたのも偶然にしては出来すぎだし、オレ、何か発信機でも持たされてんのかな? 「こんな事があると、やっぱりSNSは怖いって思うよねぇ……」 「だからオレはもうMARINOはやめるって言ってんだろ!」 「だけどさぁ、別にMARINOの存在自体が悪い訳じゃないとお兄ちゃん思うんだよねぇ……」  この期に及んでまだ言うか? もうやめやめ、オレはもう絶対嫌だからな! 「悪いのはMARINOが皆のアイドルなんてやってるから良からぬ虫が寄って来るわけで、MARINOに決まった相手がいれば問題なくない?」 「……は?」 「という訳で、じゃじゃん! リニューアル~」  そう言って見せられたスマホ画像。そのタイトル画面は『MARINOの部屋』となっていて、今までとはどうも趣が違う。 「なにこれ?」 「利之君がネットアイドルMARINOは引退だって言うから、アイドルからは引退させてみたよ。元のSNSでは今頃阿鼻叫喚なんじゃないかな?」  あはは、と楽しげに兄は笑う。阿鼻叫喚ってどういう意味だよ? と、オレが自分のスマホでMARINOのSNSに飛んでみると、そこには『大事なお知らせ』の文字。そのお知らせを読み進めて、オレは唖然として言葉が出ない。 『1年間MARINOを応援してくれた皆さま、ありがとうございます。突然のお知らせになってしまうのですが、私MARINOはネットアイドルMARINOを本日を持って引退する事にしましたのでお知らせいたします(* ´﹀` )*_ _ )  ネットアイドルとして活動してきた一年間、皆さんの応援とても嬉しかったです、だけどMARINOはやっぱりアイドルより普通の女の子でいたいと思ってしまったのです。普通の女の子としてMARINOはこれからの人生を歩んでいきます、今まで本当にありがとうございました(*˘︶˘人)♡*。+ 』  それと共に載せられた写真は2つの指輪、匂わせとかそういうレベルじゃなく、これ彼氏が出来たからアイドル引退するよって言ってんじゃねぇのかよ? 阿鼻叫喚ってそういう意味か?  案の定コメント欄は大荒れで『この腐れビッチ!』だの『裏切られた』だの罵詈雑言が並びつつも『おめでとう』や『結婚するんですか!? お幸せに』などの言葉も並んでいて、まさにカオス。全部を読むのはきついので、オレはそっと画面を閉じた。 「まぁ、そんな感じでアイドルMARINOは引退、これからはMARINOの日常を淡々と綴っていく日記や写真を中心にHPを作っていこうと思っているよ」  いや、待て……なんでそこで消えずにMARINOが残るんだ? ってか、この状態今までと何が違うって言うんだよっっ!!! 「オレはMARINO自体をやめろと言ってるんだけど?」 「だって、そんな事したら僕が撮ったこの大量の利之君の写真、どこで自慢すればいいのさ?」 「いやいや、自慢とかする必要あるか? ねぇぞ? どこにもねぇだろ?」 「利之君、言葉遣い悪くなってるよ? お兄ちゃん、そういうの感心しないなぁ」 「はぐらかすなっ!」 「大丈夫だよ、今度のこれねフォローは承認制だから、もう変なのは入ってこないから安心して」 「だ・か・ら~! そういう事を言ってるんじゃないっっ!!」  オレの叫びを聞いているのかいないのか兄は「帰ろうか?」と笑みを零して踵を返した。
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