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「正確には、白骨模型です」
事務所の中に入って、一と向かい合うように座った骸骨は、そう言った。
「私が本物だったらマズいでしょ? まだ小さい児童を相手に授業するのに」
骸骨は普段、この近くにある山咲小学校の理科室に置かれているのだそうだ。眠い目を擦ってばれないように欠伸をしながら、一は彼に尋ねた。
「それで、今日はどんな御用で……」
「な、何だそいつはぁ!?」
叫び声を上げたのは、吾郎だった。同じ部屋にいるので、誰かがうろうろしたりしていれば当然目を覚ます。寝ぼけ眼のまま眼鏡を掛けて、その先に骸骨がいれば、この反応は当然であろう。
しかし一にとっては大切なお客さん、吾郎に向かって、お客さんです、と、首を突っ込むなと言わんばかりの表情で言い放つ。骸骨は吾郎に会釈をし、吾郎も訳が分からないまま、つられて小さく会釈をした。
「わぁ! 骸骨だぁ!」
騒ぎ立てる奴がもう一人いたのを、一は忘れてしまっていた。吾郎が起きて、旭が起きない筈はないのである。
旭は珍しそうに骸骨を見ていた。骸骨だって見られる事には慣れているだろうに、旭の興味深々な瞳には、思わず目を逸らしてしまっている。
一は、すいません、と困ったように笑いながら、旭の肩を掴んだ。
「何だよ?」
不服そうな旭に一は表情を変えず、お茶を淹れて来るよう言った。旭は不満げながらもその場を離れる。
「……それで、御用は」
「おいおいおい、そんな奴の依頼を受けるのか?」
吾郎の発言に、一は遂に鋭い睨みを彼に向けた。その表情に驚いたのか、吾郎はとうとう黙ってしまう。
すると骸骨は、空っぽのあばら骨に入れてあった四つ折りの紙を、その細い指で摘まんで引き出した。
「これなんですが……」
一は紙を受け取り、中を開いた。それは、イベントの開催を予告する通知だった。
『GHOST MIDNIGHT FESTIVAL! ~百鬼夜行文化祭~』
「学校のお化け達で、文化祭を行う事になったんです」
へえ、と思わず声が洩れ、一はいつの間にか学生時代の文化祭を思い出していた。沢山並ぶ出店、人で溢れる廊下、好きだった先輩に告白した瞬間……
「楽しそうじゃないですか」
微笑んで紙から顔を上げた一だが、骸骨は浮かない表情をしていた。
そこへ、紅茶を淹れ終わった旭がやって来た。
「はい、どーぞ」
「あ、どうも……」
目の前に置かれた紅茶をぼんやり眺めながら、骸骨は溜息をつく。
「あの……何か僕に出来る事があるんでしたら、協力しますよ」
様子を見かねて、一はそう声を掛けた。骸骨の背後では相変わらず旭が彼の事をじろじろ見ている。
「……実は、文化祭の準備をしていたお化けが」
ぽつりぽつりと話し始めた骸骨を他所に、旭はあろう事か、彼の体を触りだす。すると骨の一本が彼の体から離れてしまった。
「あっ……」
目の端でその様子を見ていた一は思わず声を上げたが、当の本人は気付いていないようで、適当な咳払いをして誤魔化した。
「この文化祭は、お盆の三日間に行なうんです。その間は学校が閉鎖されて、児童は勿論先生も来ませんから」
「……成る程」
「毎年行なっている行事ですから、皆楽しみにしてるんです。でも、ある日……」
すると骸骨は、一段落つけようと紅茶に手を伸ばした。細い指がコップに当たって、からりと音が鳴る。彼がコップに口を付け、傾けたその時。
びちゃびちゃ――。
「あっ……」
声を上げた時には時既に遅し。ぽっかり穴の空いた顎から、見事紅茶は零れていく。この状況に一番声を上げたのは、
「何やってるんだ!」
吾郎だった。骸骨は零れた事よりもその剣幕に慄いて、慌てふためいてしまう。
「す、すいません……!」
「タオルタオル……」
適当な物を見つけ床を拭き始める一の頭上で、吾郎の怒鳴り声が響いた。
「零れる事くらい分かるだろう!」
「すいませんっ!」
「まぁまぁ……」
床を拭きながら吾郎を宥める一に、旭も見かねて加勢してきた。
「ごめんね、怒りっぽいんだぁ、このお爺ちゃん」
「何言ってるんだ! 大体お前が……!」
次の瞬間、旭は吾郎に向かってあっかんべえを繰り出した。これが吾郎の怒りに拍車を掛けたのは、最早言うまでもないだろう。
「このガキぃ!」
浮き出た血管を額に携え、吾郎は旭に襲い掛かる。旭はそれを面白がって、大袈裟な叫び声を上げて逃げ始めた。
「待てこらぁ! ぶっ殺してやる!」
「死んでる死んでる……」
床を拭き終わり立ち上がった一は思わずそう呟いた。心配そうな骸骨ににこりと笑い掛け、少し待つように言うと、彼も吾郎を追い掛け始めた。
狭い部屋の中、三人の鬼ごっこは繰り広げられる。旭は部屋の物をひょいひょいと交わしながら、吾郎の邪魔になるように置き直して逃げていく。彼の思惑通り、吾郎はその全てに足を取られていた。それがますます、彼の怒りを増幅させている。
これ以上は大変な事になる。一は漸く、吾郎に追いつき袖を引いた。
「はぁっ……! つ、捕まえた……!」
「離せ! キンダイチ!」
彼の怒りは絶頂に達している。真っ赤になった顔がまるで猿のようだ。……そんな事、口が裂けても言えないが。
「お……大人気ないですよ! 相手は子供じゃないですか!」
「アイツの悪戯にはもう限界なんだよ!」
「悪戯って、さっきのは事故で……」
「大体お前だって、何であんな奴に茶なんか出すんだ!」
「……ひ、人としてですよ!」
「人じゃねぇだろ!」
二人の言い争いに気付いて、旭は漸く立ち止まった。追い掛けられなくなった事をつまらなく思って、頬を膨らませる。
ふと、自分の棚に目が行った。沢山の玩具が置かれている。それらを眺めて、ある物が目に留まった後、彼はにたりと微笑んだ。
「お客さんもいらしてるんですから、こういう事は……」
しかしどう宥めても、吾郎の怒りは収まる気配もない。
「お前のそういう所がアイツを良い気にさせてるんだ!」
「そんなぁ……」
「兎に角離せ! 私が一から叩き直してやる……!」
「待ってって!」
「ごろーさんっ!」
あどけない声の方を見ると、旭がにこにこ微笑んでいる。一はその笑顔に、嫌な予感がしてならなかった。
「あんまり怒ると体に悪いよ? お顔も真っ赤で、お猿さんみたい!」
吾郎の血管がぶちっと切れた、その音が聞こえた気がした。
「このガキぃっ!!」
怒りに任せて一歩を踏み出した、その時。
突然、彼の体がぐらりと傾いた。
「えっ……?」
吾郎の袖を掴んだままだった一もバランスを崩す。その目に、床に散らばる幾つかのビー玉が映った。
次の瞬間、凄まじい音と共に、二人共倒れ込んだ。いい大人二人が、重なるように倒れている。
「くそっ……! お、おい、キンダイチ! 早く退け! 私にそんな趣味は無いぞ!」
「は……? じょ、冗談じゃないですよ!」
一も吾郎から離れたいのだが、吾郎が焦ってもぞもぞ動くので、上手く起き上がれない。
そんな二人の頭上で、響く音。
ぎしっ――。
小さな音だったが、一と吾郎にはやけにはっきり聞こえた。そして次に襲い掛かるものを、想像せずにはいられなかった。
恐る恐る、二人が音のする方を見ると、もうすぐ目の前に、傍の本棚が倒れ込んで来る直前だった。
「うわぁああああっ!!?」
二人が上げた絶叫も、次の瞬間には本棚の下に埋もれてしまった。
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