2.真夜中のご依頼

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「正確には、白骨模型です」  事務所の中に入って、一と向かい合うように座った骸骨は、そう言った。 「私が本物だったらマズいでしょ? まだ小さい児童を相手に授業するのに」  骸骨は普段、この近くにある山咲小学校の理科室に置かれているのだそうだ。眠い目を擦ってばれないように欠伸をしながら、一は彼に尋ねた。 「それで、今日はどんな御用で……」 「な、何だそいつはぁ!?」  叫び声を上げたのは、吾郎だった。同じ部屋にいるので、誰かがうろうろしたりしていれば当然目を覚ます。寝ぼけ眼のまま眼鏡を掛けて、その先に骸骨がいれば、この反応は当然であろう。  しかし一にとっては大切なお客さん、吾郎に向かって、お客さんです、と、首を突っ込むなと言わんばかりの表情で言い放つ。骸骨は吾郎に会釈をし、吾郎も訳が分からないまま、つられて小さく会釈をした。 「わぁ! 骸骨だぁ!」  騒ぎ立てる奴がもう一人いたのを、一は忘れてしまっていた。吾郎が起きて、旭が起きない筈はないのである。  旭は珍しそうに骸骨を見ていた。骸骨だって見られる事には慣れているだろうに、旭の興味深々な瞳には、思わず目を逸らしてしまっている。  一は、すいません、と困ったように笑いながら、旭の肩を掴んだ。 「何だよ?」  不服そうな旭に一は表情を変えず、お茶を淹れて来るよう言った。旭は不満げながらもその場を離れる。 「……それで、御用は」 「おいおいおい、そんな奴の依頼を受けるのか?」  吾郎の発言に、一は遂に鋭い睨みを彼に向けた。その表情に驚いたのか、吾郎はとうとう黙ってしまう。  すると骸骨は、空っぽのあばら骨に入れてあった四つ折りの紙を、その細い指で摘まんで引き出した。 「これなんですが……」  一は紙を受け取り、中を開いた。それは、イベントの開催を予告する通知だった。 『GHOST MIDNIGHT FESTIVAL! ~百鬼夜行文化祭~』 「学校のお化け達で、文化祭を行う事になったんです」  へえ、と思わず声が洩れ、一はいつの間にか学生時代の文化祭を思い出していた。沢山並ぶ出店、人で溢れる廊下、好きだった先輩に告白した瞬間…… 「楽しそうじゃないですか」  微笑んで紙から顔を上げた一だが、骸骨は浮かない表情をしていた。  そこへ、紅茶を淹れ終わった旭がやって来た。 「はい、どーぞ」 「あ、どうも……」  目の前に置かれた紅茶をぼんやり眺めながら、骸骨は溜息をつく。 「あの……何か僕に出来る事があるんでしたら、協力しますよ」  様子を見かねて、一はそう声を掛けた。骸骨の背後では相変わらず旭が彼の事をじろじろ見ている。 「……実は、文化祭の準備をしていたお化けが」  ぽつりぽつりと話し始めた骸骨を他所に、旭はあろう事か、彼の体を触りだす。すると骨の一本が彼の体から離れてしまった。 「あっ……」  目の端でその様子を見ていた一は思わず声を上げたが、当の本人は気付いていないようで、適当な咳払いをして誤魔化した。 「この文化祭は、お盆の三日間に行なうんです。その間は学校が閉鎖されて、児童は勿論先生も来ませんから」 「……成る程」 「毎年行なっている行事ですから、皆楽しみにしてるんです。でも、ある日……」  すると骸骨は、一段落つけようと紅茶に手を伸ばした。細い指がコップに当たって、からりと音が鳴る。彼がコップに口を付け、傾けたその時。  びちゃびちゃ――。 「あっ……」  声を上げた時には時既に遅し。ぽっかり穴の空いた顎から、見事紅茶は零れていく。この状況に一番声を上げたのは、 「何やってるんだ!」  吾郎だった。骸骨は零れた事よりもその剣幕に慄いて、慌てふためいてしまう。 「す、すいません……!」 「タオルタオル……」  適当な物を見つけ床を拭き始める一の頭上で、吾郎の怒鳴り声が響いた。 「零れる事くらい分かるだろう!」 「すいませんっ!」 「まぁまぁ……」  床を拭きながら吾郎を宥める一に、旭も見かねて加勢してきた。 「ごめんね、怒りっぽいんだぁ、このお爺ちゃん」 「何言ってるんだ! 大体お前が……!」  次の瞬間、旭は吾郎に向かってあっかんべえを繰り出した。これが吾郎の怒りに拍車を掛けたのは、最早言うまでもないだろう。 「このガキぃ!」  浮き出た血管を額に携え、吾郎は旭に襲い掛かる。旭はそれを面白がって、大袈裟な叫び声を上げて逃げ始めた。 「待てこらぁ! ぶっ殺してやる!」 「死んでる死んでる……」  床を拭き終わり立ち上がった一は思わずそう呟いた。心配そうな骸骨ににこりと笑い掛け、少し待つように言うと、彼も吾郎を追い掛け始めた。  狭い部屋の中、三人の鬼ごっこは繰り広げられる。旭は部屋の物をひょいひょいと交わしながら、吾郎の邪魔になるように置き直して逃げていく。彼の思惑通り、吾郎はその全てに足を取られていた。それがますます、彼の怒りを増幅させている。  これ以上は大変な事になる。一は漸く、吾郎に追いつき袖を引いた。 「はぁっ……! つ、捕まえた……!」 「離せ! キンダイチ!」  彼の怒りは絶頂に達している。真っ赤になった顔がまるで猿のようだ。……そんな事、口が裂けても言えないが。 「お……大人気(おとなげ)ないですよ! 相手は子供じゃないですか!」 「アイツの悪戯にはもう限界なんだよ!」 「悪戯って、さっきのは事故で……」 「大体お前だって、何であんな奴に茶なんか出すんだ!」 「……ひ、人としてですよ!」 「人じゃねぇだろ!」  二人の言い争いに気付いて、旭は漸く立ち止まった。追い掛けられなくなった事をつまらなく思って、頬を膨らませる。  ふと、自分の棚に目が行った。沢山の玩具が置かれている。それらを眺めて、ある物が目に留まった後、彼はにたりと微笑んだ。 「お客さんもいらしてるんですから、こういう事は……」  しかしどう宥めても、吾郎の怒りは収まる気配もない。 「お前のそういう所がアイツを良い気にさせてるんだ!」 「そんなぁ……」 「兎に角離せ! 私が一から叩き直してやる……!」 「待ってって!」 「ごろーさんっ!」  あどけない声の方を見ると、旭がにこにこ微笑んでいる。一はその笑顔に、嫌な予感がしてならなかった。 「あんまり怒ると体に悪いよ? お顔も真っ赤で、お猿さんみたい!」  吾郎の血管がぶちっと切れた、その音が聞こえた気がした。 「このガキぃっ!!」  怒りに任せて一歩を踏み出した、その時。  突然、彼の体がぐらりと傾いた。 「えっ……?」  吾郎の袖を掴んだままだった一もバランスを崩す。その目に、床に散らばる幾つかのビー玉が映った。  次の瞬間、凄まじい音と共に、二人共倒れ込んだ。いい大人二人が、重なるように倒れている。 「くそっ……! お、おい、キンダイチ! 早く退け! 私にそんな趣味は無いぞ!」 「は……? じょ、冗談じゃないですよ!」  一も吾郎から離れたいのだが、吾郎が焦ってもぞもぞ動くので、上手く起き上がれない。  そんな二人の頭上で、響く音。  ぎしっ――。  小さな音だったが、一と吾郎にはやけにはっきり聞こえた。そして次に襲い掛かるものを、想像せずにはいられなかった。  恐る恐る、二人が音のする方を見ると、もうすぐ目の前に、傍の本棚が倒れ込んで来る直前だった。 「うわぁああああっ!!?」  二人が上げた絶叫も、次の瞬間には本棚の下に埋もれてしまった。
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