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3.準備はいいかい?
「それじゃ、日下部先生、頑張って下さい」
教頭はそう言い残すと、職員室の扉を閉めた。閉まる瞬間の僅かな隙間から見えた彼の表情は、やや迷惑そうにも窺えた。
雄二も、何となくその事には気が付いていた。日頃から、何処か周りにも邪険に扱われているように感じる。
この田舎の小学校に異動して来てまだ数ヶ月。家庭科の男性教師というまだ珍しい立場でありながら、彼はついつい、山咲小学校の運営に口を出してしまうのだった。勿論、意欲的な姿勢の表れではあるが、あまり良い顔をしない教員も少なくない。特に教頭はその一人だろう。
雄二はふと、時計に目をやった。時刻は十九時を回っている。
「あの……これは聞いていないんですけど」
職員室を覗き込む一が、困った様子で呟いた。隣の骸骨も、茫然としたように口を開いている。
「大体な、普通に考えれば分かるだろ」
呆れて溜息をついたのは吾郎だった。
「一回帰ってまた出直すような、そんな面倒な事するか。何か手は考えてあるんだろうな?」
「仕方ありません、怖がらせて追い出すしか……」
駄目ですね、と一は骸骨の意見を鋭く制した。
「そんな事をしたら、音楽室の時の二の舞ですよ。この間の感じじゃ、今度はもっと厳重に見回りしだしますよ」
今日はお盆の直前、文化祭の準備日だ。既に学校のお化けたちは勢揃いしているが、このまま準備を始める訳にはいかない。あと一時間もすれば、彼は見回りを始めるだろう。文化祭は中止せざるを得なくなる。
すると骸骨は、キンダイチ先生ぇ、と涙目でしがみ付いてきた。その時彼の身体がからんと鳴り、一は慌てて押さえる。
「だ、大丈夫……何とかしますから」
「ほ、本当ですか!?」
えぇ、一は骸骨を安心させるように微笑んでみせる。
「だから、あなたは皆と一緒にいてください。後は僕たちで何とかしますから」
骸骨は感激の余り、零れ落ちる涙を拭う様子を見せ、その場を後にした。歩く度にからから音が鳴りそうになり、一はついついひやひやしてしまう。
吾郎はすっかり呆れて、溜息をついて歩き出した。すると、ぐいっとその腕を引かれる。
「ちょっと、何処行くんですか」
「何処って、準備だよ準備」
「準備なら、旭君が行っているから大丈夫ですよ」
吾郎の脳裏に、浮かれてぴょんぴょん跳ねる旭の姿が過ぎったのは言うまでもない。
「……あんなサルが、真面目に手伝うと思うか?」
「案外心配する事ないんじゃないですか?」
からかうように言われ、吾郎はむっとして顔を背ける。
「ふんっ、何を心配するというんだ。大体、私は無理矢理連れて来られたんだ」
吾郎は自分の腕を掴む一の手を振り払おうとするが、彼は全く離そうとしなかった。
「離せっ」
「何言ってるんですか。吾郎さんも手伝ってくれるんでしょ?」
「誰が手伝うと言った。私は只、一緒に行こうと誘われただけだ」
吾郎は、さっきの一の台詞を怪訝に思っていた。それは、彼が骸骨に言ったあの言葉。
『後は僕たちで何とかしますから』
知らぬ間に自分がカウントされている事が、吾郎にとって不愉快だったのである。
しかし一は、そんな吾郎の様子は微塵も気にしていない様子だった。
「お願いしますよ、ちょっとで良いんです。そうだ、何なら、報酬弾みますよ?」
「また私を釣るのか」
「嫌なら良いですけど?」
威勢良く言葉を放っていた吾郎の口は、次の瞬間機能しなくなった。そう言われると、文字通り閉口してしまう。一がそれを狙っているという事は十分分かっているのだが、それでも秤に乗せてしまうと、吾郎にとって報酬は圧倒的重さを持つ。
「……どうして其処まで」
「え?」
「どうして其処まで、あの骸骨に応えたがる?」
「依頼されましたからね」
「だとしても……」
「困ってる人がいるんです。助けてあげるのは当然でしょ?」
一は、にこりと笑みを浮かべた。
「誰かがやらなくちゃ、何も解決しないんです。僕がその誰かになります」
すると、職員室の扉が開かれた。雄二がトイレに立ったのである。去って行く彼の背中を見送って、一は扉の前に立った。
「さぁ! 行きましょう!」
「……愚問だが、何か手はあるんだろうな?」
「ありますよ! 作戦ならちゃんと!」
流石の一も無計画で飛び込む訳ではないようだ。吾郎はほっと息をついた。
「名付けて、『作戦なし作戦』!」
次の瞬間、いつもの溜息に変わったのは言うまでもない。
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