特別な日

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特別な日

キンと澄んだ空気をいっぱいに吸う。肺の中が突き刺さるような冷気で満たされていくのを感じて、私はゆっくりと息を吐いた。 一月一日、午前六時半。 いつもよりも静かな朝だ。底を越えたとはいえまだまだ日は短く、辺りは薄暗い。 小さなポーチに携帯電話と財布、普段殆ど使うことのないデジタルカメラを詰め込んで自転車に跨る。いつもなら通勤通学でそれなりに人が歩いているはずの大通りは誰もいない。 自転車のチェーンが回る音に混じってぐうううっと腹の中から聴こえた音が身体全体に響いた。 空腹を自覚すると、途端に寒さも感じる。剥き出しの手が寒さと乾燥でひび割れてしまいそうだ。漕ぎながらハンドルを掴んでいる手を片手ずつ離して、息を吹きかけた。握った形のまま固まった手を無理やり動かす。感覚が鈍って自分の身体ではないようだった。 何か暖かい飲み物を買おう。日の出に間に合うようにと何も食べずに出てきたものの、抗えない寒さと空腹に屈してちょうど目に入ったコンビニに立ち寄る。 静かな店内。見慣れた商品。申し訳程度にスピーカーから流れる、毎年正月に聴くけれど題名は知らない音楽。 雑誌コーナーを通り過ぎて迷わず奥に進み、暖まったペットボトルのカフェオレを手に取ってレジへ向かう。レジには初老の男性店員がこちらに背を向けて、手持ちの端末を操作している。 「すみません」と声をかけると、彼は慌てたように機械を置いて手を洗い始めた。そのどうにも不慣れな様子が伝わる手つきを苦笑いで眺めながら、僕はそっと彼から目線を外す。レジに並ぶホットスナックのケースはほとんどが空なものの、他に比べて値段が高い肉まんだけが二つ、ケースの中に残っていた。 高いと言ってもせいぜい二百円、でも普段は買わないそれを一つ注文する。店長という文字が入った名札をつけた目の前の店員は、何故か少し驚いたような表情を見せながらレジを操作し、トングを持ってまた離れていった。幸か不幸か、僕を含めて普段より時間がかかっているだろうレジ対応を咎める人間はいない。金を払い、いつもより丁寧に梱包された肉まんとカフェオレが入ったビニール袋を受け取る。軽く会釈をしながら店を出ると、冷たい風が戻りかけていた頰の熱を奪っていった。 自転車に跨って、暖かいペットボトルを両手で包み込みながら口の中にカフェオレを流し込む。暖かい液体が胃の中に落ちていくのを感じる。食欲を刺激されるがままに肉まんの包み紙を乱暴に開け、口いっぱいに頬張った。 口に広がる皮と餡は、少し生温かった。 東の空が先ほどよりも明るくなっている。僕はもう一口齧り付くとそれを手に持ったまま、ペダルを踏む足に力を入れた。
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