20人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ
0
見渡す限りの闇の中に、ただ一つだけ、ぽつりと光が存在した。
その小さな光の中では、男と少女が、一つのチェス盤を挟んで向かい合っていた。
男と少女は、静かに駒を動かしていたが、ゲームは、少しも始まらなかった。
何故なら、二人の間にあるチェス盤の上には、キングもクィーンもなかったから。
ただ、交互に駒を動かす。
そんなことを二人は、この何百年の間、続けてきた。
否、実際には、ほんの数秒だったのかもしれない。
何故なら、ここには、時間というものがなかったからだった。
この場所は、全てがあり、全てが失われた場所だった。
少女が、男を見上げて言った。
「つまらない」
少女は、美しい黒髪を二本のお下げ髪に結っていた。
瞳は、この世界を覆う闇ほどにも暗く、肌の色は、闇を照らす光のように淡かった。
少女の言葉に、男は、その顔を上げた。
男には、顔がなかった。
灰色の短髪に縁取られたその顔には、ただ深い穴が空いていた。
「何が?」
男は、言った。
少女は、目の前のチェス盤に呪いをかけるような怒りの目を向けて言った。
「何も、かもが」
「なぜ?」
「なぜ、でもよ」
少女は、その感情をぶつけるようにチェス盤を両手で叩いた。
罪のない駒たちは、悲鳴を上げ、憐れに転げ落ちて底もない暗闇へと吸い込まれていった。
男は、黙って、何もなくなったチェス盤の上へとその顔を向けた。
少女は、腹立たしげに、言った。
「決めたわ」
「何を」
男の問いに、少女は、にっこり微笑んだ。
「もっと、面白いゲームを始めるの」
最初のコメントを投稿しよう!