一目惚れをするに時間はかからない

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一目惚れをするに時間はかからない

「まだ夏だねえ……」「いいお天気だもの」 「どこかで(すず)みたい」「ほんと暑いね……」  桜介(おうすけ )はブラウンの革ジャケットを脱いで、手に持ち、Tシャツの胸をぱたぱた扇いだ。田舎で山が近いため朝方は冷え込むのだが、太陽が上れば、()だるような暑さにもなる。 「本当だねぇ、今日も暑くなりそうだなぁ」  重雄(しげお)もスカジャンを脱いで縦に細く畳み、手に持つと、Yシャツの袖口を(まく)りながら、窓から降り注ぐ黄色い陽射しに目を細めた。  千尋(ちひろ)は肩に掛けたトートバックの中へと、小さく丸めたフリースジャケットを仕舞い、窓の向こうに見える真っ青な空を仰ぎ見た。 「あの大嵐が嘘のような快晴(かいせい)だな。眩しい」 「嵐の後は、決まって晴れ上がるものだよ」  トレーナーとナイロンジャケットを脱ぎ、暑がりなキーラも涼しげな半袖姿になった。ボーイフレンドジーンズも半端丈で涼やか。黄色いスニーカーの足取りも(かろ)やかである。 「荷物が邪魔だ。預けるところはないかな。どこかにコインロッカーがなかったっけ?」  薄着になると、余計に手荷物など増えた。フロア案内を一緒に見た重雄に声をかける。 後ろを振り返って、千尋は首を捻ってから、気を(つか)ったのか、無難な口を聞き、微笑む。 「どこかにあったような気がしますけれど。エレベーターホールに案内があるはずです」 「とりあえず三階から移ろうよ。人が多い」  やれやれと人混みを抜け、疲れた四人は、エレベータホールにようやっと辿(たど)り着いた。桜介は人に揉まれ、ヘロヘロになっていた。観葉植物の影で、白い壁に(もた)れて座り込む。 「あーあ……猫に変身すりゃよかった……」  その桜介のぼやきに千尋がすぐ反応した。 「嫌だよ、運べって? ただでさえ暑いし、あったかい湯湯婆(ゆたんぽ)みたいな猫を抱っこして、人混みを歩けない。……怒られちゃうよ!」  キーラは想像して思わずくすくす笑った。重雄の冷静なツッコミもなキツく手厳しい。 「今さらでは!?」「どういう意味だよ?」  重雄をチラチラと見てはムッとした顔で、重ねてへばっている桜介を叱咤(しった)した千尋だ。 「大体な、お前の荷物は、誰が持つんだよ。しっかりしてくれよな。ほら、立ちなさい」  桜介は登山用のリュックサックに結んだ、白いヘルメットを手持ち無沙汰に(いじ)り回し、屈んだまま千尋を淡い瞳でじっと見上げた。 「ちょっと……休憩だ。過酷すぎるよ……。あのさ、おれ、これでも、夏風邪を引いて、高い熱を出してさ、病み上がりな訳なんだ。ちょっとは気遣って欲しいよ……。頼む!」  大荷物を文句も言わずに担いで来たのだ。バカしか引かない風邪が病み上がりの体で。(キーラに癒して貰い、大したことはない)桜介の汗に濡れた柔らかい坊主頭を撫でた。 「分かったよ。代わるよ。(しばら)く休憩しよう」 「ソファーかどこかで、休憩しましょうよ」  千尋やキーラの優しい囁き声を聞くなり、ほっと胸を撫で下ろし、傍らに立っている、重雄の足元にこてんと頭を預け、(うなず)く桜介。  その頭を撫でながら、足元を覗き込んで、やれやれと重たいトートバックを下ろした。目の前にある壁の案内板を覗き込んだ千尋。 「うん、コインロッカーは二階みたいだな」  声の近さと壁に手をつく千尋の背の高さ、距離感にドキドキしたキーラは恋をしている。恋人になってからも。ふとした瞬間に――。
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