音弥と勇星

2/7
295人が本棚に入れています
本棚に追加
/72ページ
 K県S市、押川町。都会でも田舎でもない、ごく普通の平凡な町。  押川新生教会は、この近辺で一番有名な教会だった。  小さな敷地の中で幼稚園と教会が一体化しているから見た目はあまり立派な物ではないし、預かっている子供の数も他の幼稚園と比べたら格段に少ない。  年少のこまどり組が五人・年中のうぐいす組が八人・年長のつばめ組が七人。三クラス合わせて、園児の数は二十人。押川町の子供の数が少ない訳ではない。単純に近所にもっと大きな幼稚園があり、殆どの家庭はそこに我が子を通わせているのだ。  それでも教会や幼稚園が地域住民たちから愛されているのは、一重に、幼稚園の園長と教会の牧師を兼ねている見谷雄之助の人柄と努力のお陰だった。  俺が生まれるずっと昔から、見谷牧師は町の人達のために殆ど無償で働いてきた。今でこそ牧師然とした温厚な笑顔が彼の表情の基本形になっているが、若い頃は結婚式・葬儀の手伝いや喧嘩の仲裁、老人宅での御用聞き、頼まれれば迷い犬や猫の捜索まで行っていたらしい。その人柄は町交番の駐在からも信頼されていて、一度警察から表彰されたこともあるが見谷牧師はそれを照れ臭そうに断ったという。  牧師は人間が好きで、それと同時に大の愛猫家でもある。家には保護した野良猫が十匹近くいて、頼まれれば引き取り手のない猫の一時的な里親にもなっているらしい。  困っている人のため。それが口癖の見谷牧師は、だから、俺のような身寄りの無い若者をこうして教会で働かせてくれている。給料は普通の会社員なんかに比べたら少ないけれど、そんなことは俺にとって何の問題もなかった。  幼い頃に両親が離婚して児童養護施設に引き取られた俺は、この世に信用できる大人なんていないと思っていた。離婚の直前、両親は俺の目の前で毎日のように「どちらが親権を取るか」で喧嘩をしていた。父も母も、俺の親権を互いに押し付け合っていた。  要らない──幼かった俺を「要らない」と吐き捨てた父と母。施設の教員達も、俺を大勢いる子供の中の一人としか見ていなかった。普段から暗く口数が少ない「変な子供」だった俺は大人達にとって、いてもいなくても構わない存在だったのだ。  見谷牧師は違った。度々ボランティアで施設を訪れ、その度に俺の目を見て話をしてくれた。美しい聖歌のCDをかけて聞かせてくれた。イエスが起こした不思議な力の話もしてくれた。童話の絵本すら読んだことのなかった俺は、見谷牧師が施設に来てくれるのが心から楽しみになった。優しい牧師は、俺が唯一信頼できる大人でもあった。  十八歳になって施設を出た俺は、見谷牧師に勧められるまま押川新生教会でアルバイトを始めた。讃美歌や聖画や聖書の物語は好きだが、正直言って、神そのものの存在は未だに信じきれていない。いたらいいなとは思うけど、普段それを意識して善行を心がけるなんてことは少しもしていなかった。祈ることも殆どなく、毎回の食事に感謝することもあまりない。  教会に身を置いてもうすぐ二年。見谷牧師からは教員免許の取得を勧められているが、俺はまだその一歩を踏み出せていなかった。
/72ページ

最初のコメントを投稿しよう!