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「お前はハンコ業者か」
「えっ、だ、だって、皆にお土産買って行きたいじゃん」
翌日。ホテルから車で三十分の場所にある商店街。買い物かごに二十人分の「おなまえスタンプ」を入れた俺を見て、勇星が呆れたように目を細めた。
持ち手がイルカの形をしている可愛いスタンプだ。元々I市は印鑑などの産地だから、変わった印鑑や子供向けのスタンプなどが土産屋には必ず置いてある。子供達は文房具が大好きな年頃だし、名前のフォントも温かみのある手書き風で愛らしい。キーホルダーよりは実用性のある名前スタンプの方が良いと思って選んだのだけれど。
「時代に合わせてるのか、珍しい名前のスタンプも多いよ。『みちすけ』も『だいや』も『もゆる』もあるし。……ほら、『ゆうせい』もある。ついでに買ってやろうか」
子供扱いされてむくれる勇星が可笑しくて、笑ってしまった。
それからレストランで昼飯を食べて、ぶらぶらと散歩をして、地元の犬と戯れる勇星をスマホで撮って、三時にカフェでお茶をして。
他愛のないことで笑って、訊けば答えが返ってきたり、同じ物を口にして同じ美味しさを味わって。誰かと過ごすこんな時間が俺にとっては新鮮で、嬉しかった。
「夏休み終わったら、秋の遠足だろ。それから運動会。幼稚園のバザーもやるし、十一月に入ったらクリスマスの劇の練習。やることいっぱいだ」
「面倒臭せえな」
「勇星が面倒なのは準備だけだろ。本番は全力で楽しむタイプじゃん」
ラージサイズのオレンジソーダを飲みながら、勇星と肩を並べて通りを歩く。商店街は観光客も多く賑やかだが、男二人で歩いているのは俺達以外にいないみたいだ。
「自分で思ってるより、子供達から大人気だよ勇星は。日本で幼稚園の先生になるっていうのは前から決めてたの?」
「職がねえからやってるだけだ。専門二年やっただけで免許取れるってのもデカいしよ」
「二年頑張れば、俺も先生になれるのかな……」
「通信制の大学でも免許取得できるぞ。今のバイト続けながら頑張れる」
親父はお前のこと気に入ってるしな、と勇星が俺の頭を軽く叩いた。
「………」
本当はまだ、将来のことを真剣に考えられない。幼稚園は楽しいし教会の手伝いも苦じゃないし、見谷牧師のことは尊敬している。海斗との仲も良いし、何より勇星と出会えた。
好きな仕事だ。やり続けたいとも思う。
だけど将来について考える時にいつも頭を過ぎるのは、「本当にこの道で良いのか」ということだ。他で働いたことがないから比べる対象がなく、ただ何となく居心地が良い場所に留まろうとしているだけなのでは、と思ってしまう。
実際、押川新生幼稚園以外の幼稚園で働くことになっても今と同じ気持ちでいられるだろうか。見谷牧師や海斗や勇星がいない場所でも、讃美歌や聖書に触れることのない環境でも、同じ情熱を持ち続けられるだろうか。
自信が無かったし、怖かった。怖いから考えたくなくて、考えないから現状維持が続くだけだ。
俺も勇星のように、「やりたいこと」への一歩を踏み出したい。
「音弥くんに似てる」
「え? あ、……し、失礼な!」
とぼけた顔のコアラのぬいぐるみを指して笑う勇星。
勇星と過ごす時間は楽しいし、彼のことは見谷牧師とはまた違う意味で尊敬もしている。だけど俺は勇星のことも、本当の部分でどう思っているのか理解できていなかった。お互い好きでこのまま仲良くできればいいなとは思うけれど、その一方で、やはり居心地の良さや、勇星の強引さに甘えているだけなのではとも思う。
だから俺は勇星に気持ちを伝えられなかった。俺の未熟な歌声をあんなに褒めてくれた勇星に対して、たった一言「好き」の言葉すら言えなかった。その「好き」が友人に対してなのか、尊敬できる男に対してなのか、愛する人に対してなのか、分からなかったからだ。
勇星は多分俺の内にある動揺を分かっていたから、最後まで抱かなかったんだ。表には出さないけれど、勇星は俺の気持ちが自分に向かない場合のこともちゃんと考えている。
将来も恋愛も、自分の意思で道を進まなければならないのに。
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