299人が本棚に入れています
本棚に追加
「音弥」
目を開けた勇星が、俺に言った。
「初日に海で歌ってた曲、歌ってくれるか」
「で、でもあれは俺が勝手に歌詞作って歌ってただけで……。その歌詞だって、聖書から適当に抜いた節をちょっと変えて入れただけだし──」
「いいから、歌え」
「は、恥ずかしいよ、いきなり……」
勇星がポケットから銀色の何かを取り出し、指で弾いて俺の耳元へ近付けた。
「これが『ラ』だ。声で同じ音を出してみろ」
小さな金属が弾かれたことにより中で振動し、完璧な『ラ』の音を作り出している。まだ混乱していた俺だけど、勇星の言葉にハッとして口を開き、言われた通りに同じ音を出した。
「始めの音は『ラ』。良かったな簡単で」
「らー、らー。早く勇星、忘れないうちに早く」
金属をポケットにしまった勇星が、代わりに、俺の前に右手をかざす。
「───」
何ということだろう。
俺が勝手に想像した歌詞が、あのピアノでしか聴いたことのないメロディが、勇星の手で、その指先で、一つの独唱曲となってまとまって行く。
天よ 今こそ主の御名を讃え
大地よ その御業を果てまで伝えよ
門よ開け、栄光の王のために
軍勢よその御前に跪き崇めよ
「………」
「……ありがとうな」
腕を下ろした勇星は、力なく笑っていた。
「その曲のタイトルは『Genesi』──イタリア語で『創世』」
「あ、……」
「俺が作った曲だった」
音もなく、惚けた俺の頬を涙が伝った。
俺の頬を拭う勇星の指先は温かいのに、その笑みはどこか寂しげだ。どうしてそんなに寂しそうな顔をするんだろう。勇星らしくないのに。勇星はいつだって自信満々で、不敵に笑っていたはずなのに。
心の中には色々な感情が混ざり合っていたけれど──俺は、手の甲で乱暴に涙と鼻を拭き、勇星に向かって飛び切りの笑顔を見せた。
「いい曲だな。さすが、勇星だって思うよ!」
「………」
「この曲、俺……昔から大好きで」
無様に崩れていく笑顔を隠すように、勇星の胸に飛び込む。
「大好きなんだよ。……ずっと大好きだった」
「だから言っただろうが、お前は俺を認めてくれたって」
腕の中、聞こえる勇星の声はいつもの勝ち気なものだった。
「お前が歌ってくれたから、俺もまた曲を作りたくなった。だから夜の海を見にきたんだけどよ。……まさかお前の鼻水をシャツで拭かれる羽目になるとは」
「ご、ごめん……ごめん、ゆうせい……ごめんな」
「はあ。いいよ、もう。存分に拭け」
「ごめ、……ありがとう……」
頭を撫でてくれる勇星の手が、俺の後頭部を軽く叩いた。促されて顔を上げた俺の唇に優しく、暖かな唇が押し付けられる。
少しだけ明るくなった星空の下。
俺達はいつまでもずっと、星に見守られながら触れるだけのキスをした。
最初のコメントを投稿しよう!