音弥と勇星

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「なっ、何だ?」  幼稚園の各教室に異常はない。電気も消されて普段通り静まり返っている。ただ、年長組の教室と礼拝室を隔てているドアの隙間から、微かな物音が聞こえた。  泥棒。──いや、ここには金目の物なんて何一つない。第一どうやって侵入したのだろうか。外から園の中へはスライド式の柵を乗り越えれば簡単に入ることが出来るが、園の庭から教室、または礼拝室に入るにはガラスを割るか鍵を壊さない限り不可能となっている。 「牧師はここにいて下さい。俺が見て来ます」 「大丈夫か音弥。警察に電話した方が……」 「いえ、もしかしたら単に何かが倒れただけなのかも。とにかく様子を見てみます」  見谷牧師をその場で待たせ、俺は礼拝室のドアから中へ静かに体を滑り込ませた。部屋の電気は点いておらず薄暗いものの、まだ窓の外の陽があるお陰で容易に室内を見渡すことができる。  木製の会衆席──ベンチには問題はなさそうだ。前に映画で酔っ払いが教会のベンチに寝ているのを見たことがあるが、その様子もない。  ならば、説教壇。……こちらも問題はない。オルガンにも十字架にも変化はない。 例え先週の日曜に使った献金袋が置きっぱなしになっていたとしても、そこまでの大金が集まる訳ではないから、それ目当てで空き巣が入るとは思えなかった。昼間のうちに猫でも入り込んでしまったか。 俺はオルガンの横にある控室に視線を向けた。控室と言っても実際は、楽譜や説教に使う資料、季節の飾りなどがしまわれている物置部屋だ。普段は鍵もかけていない。 だが。 「お空を飛んで、地球を見よう……」  控室の中から、ふいに低い歌声が聞こえた。思わず体に緊張が走る。 「青く丸いきらきら惑星……」  それは俺も知っている、今日も園児達と歌った子供用の讃美歌「おそらをとんで」だった。 「星も僕らも、みんなも──……」  そこで歌が切れた。どうやら続きの歌詞を忘れたらしい。 「ぼくらも、……みんなも」 「………」  控室のドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。 「ぼくらも、……えっと、みんなも──」 「神さまと生きるこどもたち!」 「うおっ! びっくりしたっ!」  思いきり開け放ったドアの向こう。いたのは、一人の男だった。本や雑貨で溢れ返った狭い部屋の中、パイプ椅子に腰かけたその男が仰け反って俺を見ている。 その足元にはクリスマスのオーナメントが詰まったプラスチックの箱が二つ三つ転がっていた。棚の上の方に置いておいたのだが、どうやらこれが落ちたためにあの物音がしたらしい。 「誰だあんた、どうやって入った!」 「えっと……落ち着けよ」 「警察に連絡するぞ。住居不法侵入だからな!」  そこで、礼拝室の外に待機していた見谷牧師が中へ入って来た。 「音弥、大丈夫か」  礼拝室の明かりが灯される。明るい中で見た男は、見た目には俺よりいくらか年上の、二十代半ばといった青年だった。 「牧師。この男がどうやったか入り込んで──」 「勇星(ゆうせい)……」 「勇星?」  見谷牧師が驚いたように目を見開き、控室の中の男を凝視している。 「久し振りだな、親父」 「親父っ?」  思わず俺も目を見開いてしまった。親父。見谷牧師が結婚していたなんて、子供がいるなんて聞いたこともない。
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