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門の前に立っていた愛花の母親が娘の泣き顔を見て、ぎょっとしたように目を丸くさせる。
「ど、どうしたの愛花」
「お母さん、実は……」
牧師の説明を聞くうちに、愛花の母親が困ったような笑顔になって娘の頭を撫でた。
「ご迷惑おかけしてすみません。私が連絡できれば良かったのですが、何しろ急だったものですから……」
「いえ、私共も先ほど愛花から聞いて初めて知ったもので……」
「主人は扁桃周囲膿瘍で入院したんですよ。高熱に私が驚いてしまったものですから、愛花が重病と勘違いしたんですね。今回は手術もしませんし、抗生物質を点滴しながら数日休めば大丈夫とお医者様も言って下さって」
「……そうでしたか。よ、良かった……」
胸を撫で下ろす牧師の横で、俺は赤くなった愛花の鼻を軽く摘まんで笑った。
「良かったな愛花。お父さん、すぐ元気になってお家に戻ってくるよ」
「ほんと?」
「ああ。愛花が泣くくらい心配したんだよって、お父さんに言ってあげな」
恥ずかしそうに笑って、愛花が母親の手を握る。
「ですが園長先生、一つご相談があって……」
入院は大事を取って一週間とのことだが、運動会は十月五日。退院するのが十月四日だから日にち的にはぎりぎり間に合う訳だけど、入院中に行なうはずだった仕事がずれてその日に入ってしまったらしい。
「午後には戻れる予定なんですが、確か父兄参加の競技はお昼前でしたね。とても間に合いそうになくて、かと言って代役を頼める親類もいないもので……。母親が参加ではダメでしょうか?」
「もちろん可能ですよ。むしろそう言って頂けて感謝です。愛花が『運動会には出られない』なんて心配していたものですから」
良かった、と思いかけて──俺は見谷牧師に言った。
「でも、最後は愛花をお姫様抱っこして走らなきゃならないんですよ。お母さん、大丈夫ですか?」
愛花の母親は背も低く小柄な体系で、手足もほっそりしている。とても無理とまではいかないが、五歳の子供を抱えて走るのは相当苦労しそうだ。
「だ、大丈夫です。私こう見えて力持ちですから」
娘のために見え見えの嘘をつくが、愛花から見ても母親の体は細く、小さい。
「お母さんじゃ心配だよ。『重くて抱っこできない』って、いつも言ってるじゃない。それに……これからお父さんのお世話もするんだから、疲れちゃうでしょ」
「愛花は優しいなぁ」
そう声をかけてきたのは勇星だった。教会の方の玄関──幼稚園の門のすぐ隣だ──から出てきたらしい。俺達は突然現れた勇星に揃って顔を向けた。
「それじゃ、音弥くんの出番じゃねえの」
「え、俺?」
「ああ。当日は愛花の父ちゃんの代役で、音弥くんが走ればいい。──どうだ、愛花?」
「おとや先生が抱っこしてくれるなら、安心!」
「分かった。……俺でいいなら頑張るよ!」
「あ、ありがとうございます……!」
愛花の母親に何度も頭を下げられ、見谷牧師からは力強く肩を叩かれた。まさかの抜擢だけれど、これで愛花が安心して競技に参加できるなら容易いことだ。
「そういえば、勇星は道介と参加するんだっけ」
「ああ、前から約束してたからな」
俄然楽しみになってきた。こうなったら俺も筋トレでもして、全力で挑まないと。
「二人とも、頼んだぞ!」
牧師が俺と勇星の肩を抱き、ぐいと引き寄せる。
「私の自慢の息子達だ」
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