音弥と勇星

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「勇星。どうしてここに……。いつ戻ったんだ」 「今日だ。あんたが生きてるうちに顔見ておこうと思ってな」  勇星と呼ばれた男が椅子から立ち上がり、控室を出てきた。見上げるほど大きな体。振り乱した焦げ茶色の髪、無精髭。温厚顔の見谷牧師とは似ても似つかない、濃く鋭い顔立ち。  俺は牧師に視線を向け、無言で説明を求めた。 「ああ、音弥。彼は私の実の息子ではないよ。昔、よく訪れていた施設で息子として可愛がっていた子供の一人でね。そういう意味では音弥の兄になるな。五年前にイタリアへ行って、会うのは本当に久し振りだ」 「よろしく」 「よ、よろしく……じゃなくて、何でこんな場所で……」 「つい懐かしくなってな。俺が昔書いた絵なんかもあるかと思ったけど、流石に捨てられたか」 「勇星は卒園後、大人になったらここで私の手伝いをすると言ってくれていたんだ。だから五年前、イタリアへ渡る直前に教会の鍵を渡していた。いつでもここに帰って来られるようにと」  人が良いにも程がある。俺は見谷牧師の言葉を聞きながら肩を落としたが、ひとまず男の正体が空き巣でなかったことにホッとした。 「それでどうだった、イタリアは。満足のいく勉強ができたか?」 「まあまあだな。殆ど遊んでたから、勉強なんてしなかったけど」 「勇星らしいじゃないか」  豪快に笑って、見谷牧師が勇星の肩を叩く。今年五十六歳になる牧師もガタイは良い方だけど、勇星はそれ以上に逞しかった。 「それじゃあ勇星、これからずっと居てくれるのか」 「まあな。住む家はないけどな」 「気にすることはない。しばらくは二階にある部屋を使ってくれ」 「ちょ、ちょっと待って下さい。二階の部屋は──」  二階には部屋が二つあり、そのうち一つは見谷牧師の事務室となっている。もう一つは物置と化していて、さっきまで勇星がいた控室とは比べ物にならない量の物で溢れ、とても人が寝られるスペースなどない。 「二階の物置はとてもすぐに片付けられる状態じゃないですよ。かと言って、事務室は寝泊まりできる部屋じゃないし……」 「あんたはどこに寝泊まりしてるんだ」  勇星が俺に言った。 「お、俺はこの近くにアパートを借りてます。ワンルームだから狭いですよ。単身者用だし……」 「私の家に招きたいが、何せ猫が多くてね。確か勇星は猫アレルギーだっただろう」  うーん、と勇星が目を閉じて唸る。そして数舜の後に開かれたその目は、しっかりと俺に向けられていた。 「仕方ねえ。あんたの家で世話になろう」 「え? だ、だから俺の家は狭くて……」 「俺がコッチで部屋を見つけるまでの間だけだ。我慢してやる」  何という上から目線。思わず牧師に縋るような視線を向けたが、いつもの温厚顔で「すまないね音弥、頼むよ」と言われてしまった。駄目だ。根っからの善良人である牧師には、俺の気持ちは伝わらない。  見谷牧師が信頼している男なら俺も一応は信頼できるが、今日ここで初めて会った人間を自分の部屋に住まわせるだなんて、これ以上気が滅入ることはない。だけど住む場所がないと言うなら断ることもできない。それは俺が「良い人」だからではなく、単純に「押しに弱い人」だからだ。 「よろしくな。えっと、名前は何だっけ」 「……栗原(くりはら)音弥」 「音弥か。俺は空島(そらじま)勇星だ。いい名前だろう」 「そうですね」  無表情で相槌をうつ俺の肩に、勇星の腕が回される。 「そんな嫌そうな顔すんなって。取って食おうだなんて思ってねえよ」 「はあ」 「親父、それじゃあ明日また来るよ。今日は荷物が多いから無理だけど、明日にでも一杯飲みに行こうぜ」 「ああ、そうだな。来てくれてありがとう勇星。感謝するよ」  その勇星を泊めることになった俺への感謝を忘れてはいないだろうか。どこか抜けている見谷牧師の性格も、こういう時はほんの少しだけ遣る瀬なくなる。
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